第96話 さようなら:千弥1

 自室のソファで足を組み、千弥せんやは優雅に本を読んでいた。



 その膝にはフジコがだらりと溶けている。


 千弥の上に辛うじて乗っているが、体重十二キログラムの巨体&長毛はぜんぜん収まり切らず……。


 まるで毛足の長い毛布が彼の上に覆いかぶさっているように見える。



 今さらだが、どうもフジコは一番千弥に懐いていると確信した。



 何故なら、顔が猫仙人になっている。



「千弥さん、いろいろとお世話になりました」



 姿勢を正してペコリと頭を下げる。



 紅葉もみじの中で、千弥は一番お世話になったと思う人間だ。


 度重なる怪我や入院で細かいことまで世話をやいてくれた。



 それに、真鍋まなべの母親の件についても頭が下がる。


 あの時点では、千弥にとってはまったく他人である彼の母親を助けるため、力を尽くしてくれたのだ。



 真鍋の姿に見た未来は、いずれ訪れる死を物語っていただろう。


 誰よりも「未来は変えられない」と理解しているのは千弥自身だ。


 それにも関わらず、決して諦めず、自らが奔走し、ひとつの命を救おうと努力してくれた。



 知らなかったとはいえ、そんな彼を疑った自分を、紅葉は恥ずかしいと思っていた。



「いや」


「ぁえ?」



 何を? と紅葉は訝る。


 礼を言っているだけなのに、嫌もなにもないだろう。



悠弥ゆうやと約束したの?」



 本から目を逸らすことなく千弥は問うた。


 かなり物憂げな態度だが、何をしてても絵になるところが腹立たしい。



 それにしても、廉弥れんやも千弥も何故そのことを訊くのだろうか。



「えぇ。まぁ、子供の言うことですし。……でも、どうして廉弥も千弥さんも、そんなことを訊くんですか? というか、それ以前にどうして知ってるんですか?」



 素朴な疑問として、紅葉は他意なく訊いた。



「僕たちはさとりだからね。お互いの心を読んで知ってるだけ。紅葉こそ、今さらそんな質問をするなんて、どうしたの?」



 本の頁を捲りながら、反対に千弥が気怠く問う。



「あ、いえ。覚同士は心を読みあえるんですよね。でも、それって隠し事とかできないってことなのかなぁと思って――」



 もしそうならば、とても不便だと思う。



 それに第一、恥ずかしいではないか。



 人はいつも正当なことだけを考えているわけではないし、知られたくないことだってあるのだから。

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