第十三章 春、はじまりの別れ

第92話 さようなら:フジコ

 冷たい風。


 けれど、その中に柔らかさがある。



 それは春の足音だから――。



 鏡の前に立った紅葉もみじは、胸元でリボンをきゅっと結んだ。



「久しぶりだから、ちょっと変な感じ」



 紅葉は苦笑する。


 鏡に映ったのは、十ヶ月ぶりに見る自分の制服姿。



 この朝比奈あさひな家へ来る時も、確か着ていく服に困って制服姿でやってきた。


 そしてこの家を去る今も、やっぱり困って制服を選んだ。



 このまま帰るだけなら部屋着で十分だが、今からみんなに挨拶をしに行くのだ。


 制服姿が適切だろう。



 既に全員が集まる朝食で、簡単な挨拶は済ませてある。


 けれどそれとは別に、紅葉は一人ひとりに挨拶をしたいと思っていた。



 まずは悠弥ゆうやの部屋へ行き、扉をノックする。



 返事がない。



 さっきまでは部屋にいたはず。


 急に外出でもしたのだろうか。



 もう一度ノックをしてみるが、やはり返事がないので後回しにしようと扉を離れた。



「ナーオ」



 足元を見ると、知らないうちにフジコが来ていた。


 紅葉の顔を見上げている。


 猫は猫なりに別れの予感を感じ取っているのだろうか。



「フジコにも後で挨拶に行こうと思っていたところだよ。ちょうど良かった。ここで挨拶させてね」



 その場に座り込み、フジコを膝へと乗せる。


 制服に激しく抜け毛がついてきたが、そんなことは気にならなかった。



「動物って素敵だね。貧乏も金持ちも関係なく懐いてくれる。それに、こんなに大きくて綺麗な猫にあったのは初めてだよ。いつも応援してくれてありがとう」



 首をさすると、フジコはゴロゴロと喉を鳴らした。



「さて、悠弥は留守みたいだし、次へ行くかな……」



 立ち上がり、抜け毛を払いながら呟くと、咄嗟にフジコがジャンプした。



 片手をドアノブに引っかけ、壁につけた片足を軸にして器用に手前へと引く。


 できた隙間を猫手で開けて、フジコは悠弥の部屋へと入って行ってしまった。



「げっ、フジコ!」



 途端に悠弥の叫び声と化け猫の奇声が飛び交った。


 攻撃が終わると、フジコはさっさと部屋を出ていく。


 どうやら手伝ってくれたようだ。

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