第91話 この寒さを越えたなら

「……わたしはまた、余計なことをしたのかもしれません」



 項垂うなだれて、紅葉もみじはポツリと呟く。



 結局、守蔵もりぞう朝比奈あさひな家へは戻らなかったのだ。



「はい。食べて」



 千弥せんやは切り分けたパイナップルをよこした。


 船の形に美しく盛りつけられている。


 このまま切り売りとしてデパートにでも並べられそうだ。



(この人って――いったい)



 苦笑しながら一切れを口へと運ぶ。


 甘酸っぱさが口内に広がっていった。



「ねぇ、紅葉。人生は思い通りにならなくて、そして非情にも短い。だけど、きっと君ならこう言うんじゃないかな。だからこそいいのだ、と」



 そう穏やかな声で告げたあと、千弥は涼しげに笑う。



 それへ、紅葉は呆れ顔を返した。



「いいえ、千弥さん。残念ながら、わたしはそんなことは言いません。わたしは長生きしたいんです。やりたいことをやって、誰もがびっくりするくらい長生きしてみせます。当然、梅さんには負けますけどっ」



 艶やかな前髪を掻き上げると、千弥は声を出して笑う。



「やっぱり紅葉の心は読めない。いつも驚かされてばかりだよ」


「それは良かったです。でももうすぐお別れです。春がきたら、わたしは高校生に戻るんですから」



 千弥の笑いは静かになった。


「そうだったね」とだけを零す。



 年が明け、冬まっただ中となっていた。


 この寒さを越えたなら、少しずつ春が近づいてくる。


 そして四月になれば、住み込みで働くことはなくなるのだ。


 朝比奈家での奉公も一段落となるだろう。

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