第90話 再入院

「はぁーーーっ」



 白い天井へ向けて、魂の抜け出そうな溜息を吐く。



紅葉もみじ、あまり溜息を吐くと幸せが逃げるっていうよ」



 ジロリ。


 紅葉は横目で千弥せんやを睨む。



 ――この人にだけは言われたくない。



 結局、紅葉はしっかり再入院となった。



 出血はしたものの、それほど傷が開いたわけではなかったのだが、長期間の入院を強制されることになった。


 退院させるとまた無理をしそうだと、朝比奈あさひな家の全員が危惧したようだ。



 軽く軟禁といったところか。



「パイナップル、食べる?」



 胸ポケットからメスを取り出すと、パイナップル丸ごと一個を手にとって、千弥は徐にメスを入れた。


 天地を切り落とし、慣れた手つきで切り分け始める。



守蔵もりぞうさんってお名前だったんですね。去年お会いした時に、名前が書いてある手拭てぬぐいを拾ったんですけど、『モリクラ』さんだと思っていました。といっても、あの時は咄嗟に思い出せなくて呼べませんでしたけれど……。結局はそれで正解だったんですよね。もしも『モリクラさん』って呼んでたら、きっと振り向いてくれなかったでしょうし……」



 恥ずかしげもなく、紅葉は間違いを白状した。



 千弥は下を向き、パイナップルを切る手を震わせる。


 手元が危険なほどかなり震えている。



 そこまで笑うことはないだろうにと、紅葉は心中で抗議した。



「正直驚いたよ。確かに君が〈さとりトリ〉だと手紙をよこしたのは守蔵さんなんだけれど、まさか梅さんと対面させるとはね。守蔵さんは、死ぬまで梅さんの前に顔を出すつもりはなかったようだから……」



 サンタクロースの名前は、朝比奈守蔵。



 やはり失踪した梅の夫だった。



 彼は梅の元から去ったあと、一人転々と居を移しながら暮らしていた。



 意外にも失踪の原因は、守蔵が覚である事実に梅が怒ったことではなかった。


 政略結婚が、そして戦争が彼女の恋を奪い、人生を狂わせた。



 守蔵は梅を自由にしてやりたかったのだ。



 しかしやはり彼も、自分が苦しんだのと同様に、もっと強い覚の能力に翻弄される孫たちを哀れんでいた。



 そして迷いながらも筆を執ったのだ。



〈覚トリ〉を見つけた、と。

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