第86話 退院は年明けだね

 善弥ぜんやは特殊な能力を持っていた。



 癒読ゆよみ――。



 それは、人の生命を読み、傷があれば治癒を促す能力だとか、人に命を移す能力だとか言われているらしい。



 しかし実際のところはよく分かってはいない。



 紅葉もみじが倒れ多くの血液を失った時、彼はその能力を使って傷口を塞いだ。


 治癒したわけではないが出血が止まり、そのお陰で一命を取り留めたのだという。



「昏睡状態……」



 その後、善弥の意識は完全に失われ、精神活動も外部刺激に対してもまったく反応を示さない状態に陥ってしまった。


 外傷もなく、ただただこんこんと今も眠り続けているという。



「君は不思議に思っているんだろう。何故、彼が君を助けたのかと」



 紅葉は首を振った。



 言われなくとも分かっている。


 自分が〈さとりトリ〉だからに違いない。



 彼の心を奪い、そして、きっと命をも奪ったのだ。


 千弥せんやが説明してくれた、まさにその通りに。



「もしかしたら、彼は目覚めるかもしれないよ。君と僕たちが呼びかけたら、戻ってくる気がする。何年かかるかは分からないけれど」


「それは――彼の未来を読んだからですか?」



 残念そうに千弥は小さく首を振る。



「そう感じるだけ」



 結局、善弥がどこから連れて来られた存在だったのかは判明しなかった。


 夜霧よぎりの口からも孤児院からだとしか聞くことはできなかったのだ。



 しかし千弥の見解では、朝比奈あさひな家と遠くで血が繋がっているのではないかとのこと。


 廉弥の髪や瞳の色が薄いのも、たぶんどこかで彼のような人種の血が混ざっているからだろうと。


 想像の域は出ないものの、千弥の説明にはかなりの説得力があった。



「そろそろ僕は行くよ。また来るからね」


「あ、千弥さん」



 腰を上げて退室しようとする千弥に声を掛けた。



「わたし、いつになったら退院させてもらえるのでしょうか。もうだいぶ痛くなくなったんですけど……」


「傷が深かったからね。――どうして?」


「あの、クリスマスまでには退院したいんです」



 千弥は少し驚いた顔をした。



 が、やがて視線を上にあげ、顎に手を当てて悩み出す。


 そんな彼の仕草に、何故か紅葉は意地悪をされている気分になった。



「クリスマスの予定があるの? 誰と?」



 どうして彼にそんなことを教える必要があるというのだろうか。



 いや、ないだろう。



「内緒です」


「じゃあ、退院は年明けだね」



 それだけを言うと、千弥はさっさと病室から出ていこうとする。



「待ってください!」



 ゆっくりと振り向きニヤリと笑う千弥を、紅葉は真っ赤な顔で睨んだ。



 こんな千弥は初めてだった。


 こんな風に意地悪をされた記憶もない。



 今までの優しさは、未来に失望し、全てに対する諦めから派生したものだったのだろうか。



 どちらにしても、今の千弥が本物だろう。


 そう確信できる。


 何故なら腹が立つことに、今の彼はもの凄く煌めいている。



 深く長い溜息を吐いてから、紅葉はぐったりと白状した。



「……梅さんです」



 ぽかんと一瞬自失したあと、千弥は大きく笑い出した。



 病室の壁に手をつけ、激しく肩を揺らしている。


 かなりツボに嵌ったらしく、腹を押さえて悶絶している。



 その時、ノックの音と共に扉が開かれた。

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