第84話 僕の話を聞いて

千弥せんやさん、なんだか変わりましたね」



 瞳の色が違う。


 何かが払拭されて新しくなった印象を受ける。



「うん。僕の未来が奪われたからね」



 ベッドの横に椅子を用意して腰掛けると、千弥は徐に刃物を取り出した。



 どうみても手術用のメスだ。



「林檎、食べる?」



 長く端正な指は器用にメスを操り、林檎をウサギの形に切り分けていく。


 そんな様子も恐ろしく絵になる男だ。



 紅葉もみじには思い出せる部分と、思い出せない部分とがあった。



 山田という男が短刀を握りしめ、奇声と共に千弥に襲いかかった。


 咄嗟に紅葉は間に入って脇腹を刺されたのだ。



 そして自分は倒れ、意識を失った。



 三人の話によると、その後すぐに廉弥れんや悠弥ゆうやが駆けつけて、夜霧よぎりを含め残りの男達を倒したのだそうだ。


 夜霧と山田、二人の四肢を折ったと言って千弥は笑った。



 けれど紅葉の感覚では、自分はどう考えても助かる傷ではなかったと思う。



 走馬燈のように一コマ一コマ再生されてく映像。


 鼓動と共に流れ出る大量の血液。



 それと共に冷えていく身体。


 小さくなっていく鼓動。


 消えていく命。



 最後に見た、黄金の滝――。



「あの人ですか?」



 廉弥と悠弥は教えてはくれなかった。



 どうして自分が助かったのか問うても、話を逸らしたり俯くだけで決して話そうとはしない。



 彼らが口を噤むには、それ相応の訳があるのだろう。


 答えてくれるとしたら、この人しかいない。



「はい。食べて」



 メスに刺したまま渡された林檎をありがたく頬張る。


 シャリッとした小気味良い食感。



 優しい甘みと程よい酸味が口の中に広がっていく。


 生きてることを実感する。



 そしてそれと共に、やっぱり訊かなくてはいけないという想いが沸き上がってくる。



「あ、あの……」


「先にね、僕の話を聞いて」



 問われる内容など分かっているのだろう。


 千弥は紅葉の声を遮った。



「僕の未来は決まっていた。あの時、間違いなく確実に僕は死ぬはずだったんだ」



 先読さきよみの能力を持つさとり



 その力に誤りはあり得ない。



 彼が読んだ未来は、限りなく確定された未来だった。


 抗おうとすればするほどに近づいて、そして現実となる。



さとりトリ〉である紅葉の干渉がなかったとしたら、確実に――。



「千弥さんが、大人しく手足を短くされてたということですか?」



 それは何かの冗談だと言わんばかりに、猜疑の目を向ける。


 千弥はプッと吹き出した。



「相変わらず面白いね。でも残念ながらそうじゃない。あの男から短刀を奪って、そして自分の胸をね――」



 手に持つメスを動かし、千弥は左胸へと当ててみせた。



 紅葉はハッとした。


 どこかで分かっていたような気がする。



 彼はいつも冷静沈着で、狂気に呑まれるなどない人だ。



 そこに逃げることができない以上、きっともう一つの道を選ぶ。



 ――自分を殺すという道を。



 もしかしてこれからも、その時を待ち続けるのだろうか。



「……わたしは、余計なことをしたのでしょうか」

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