第80話 千弥の選択

 息を吸うことも吐くことも赦されない真空の刻。



 静止した沈黙は、耳を塞ぎたくなるほどの耳痛を与えてくる。


 誰もが彼を、悲痛の表情で見つめていた。



「取引を――。悠弥ゆうや廉弥れんや、それから紅葉もみじを返してください」



 凛とした迷いなき声音。



 沈黙を破り、千弥せんや夜霧よぎりの問いに答えることなく促した。



 千弥が残るのと引き替えに、三人の解放を要求したのだ。



「紅葉ぃ?」



 なんじゃそりゃと言わんばかりに、夜霧は辺りを見回した。



 善弥ぜんやの後ろでぴょんぴょん跳ねてアピールしている姿を見つけると、思い切り胡乱な目を向ける。



「彼女はうちの家政婦です」



 特に何の価値もない人間です。


 というように、千弥はサラリと説明した。



「ふん、いいだろう。善弥、その三人を外へ出してやれ」


「いいえ、夜霧さん。その娘は私にください」



 悠弥を他の男に渡しながら、善弥が平然と請願する。



 悠弥は縄を解かれ、廉弥と共に中庭から外へと連れていかれようとしていた。


 二人は千弥を振り返り、どうするべきかしきりと意思の疎通を図っていたが、千弥が首を横に振るのを見て大人しく出ていった。



「そんな変な女が欲しいのか。お前ならいくらでも他にいい女がいるだろう」



 ジャージ姿に鉢巻をしたこの怪しい少女を、誰が望むというのだろうか。



「そういうところが気に入ったんです」



 紅葉の猿ぐつわと縄を取り除き、善弥は肩を抱いてみせた。


 すかさず千弥が意見する。



「それでは取引が成立しませんよ。彼女も返していただけないのなら――」


「わたしも残ります! 千弥さんと一緒に残ります! いいえ、ぜひとも置いてください!」



 千弥をひとり置いていくなど考えられない。


さとりトリ〉である自分がいれば、一緒に逃げられるチャンスもできるはず。



 紅葉は彼の言葉を遮って、自ら残りたいと訴えた。

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