第38話 はじめての休暇願い

 顔に負けず劣らぬしわしわの手は、まるで魔法のように正確に野菜を刻んでいた。



 料理は基本的に梅が作る。


 紅葉もみじはその下ごしらえや後片付けを手伝うことになっていた。



「梅さん、すみませんが来週の水曜日にお休みをいただけませんでしょうか」



 トントントンとリズム良く野菜を切っていた梅の手が止まる。


 怪我のために静養していた時以外は、紅葉は一度も自分から休みが欲しいと申し出たことはない。


 故に梅を驚かせた。



「水曜は無理です。茶会があるのですよ」


「そうですか……」



 紅葉の気落ちした声は、梅をさらに驚かせたようだ。



「何か特別な用事があるのですか」



 野菜を切りながら、紅葉へ目を向けることなく梅は訊ねた。



「それが……」



 ゆっくりと首を回し、紅葉はじっと梅の姿を見下ろしてみる。



 最近染め直したのだろうか。


 梅の髪はいつもよりさらに明るい緑色になっていた。


 服装は今日もやはりピンク一色。


 しわしわの顔はある特定の宇宙人を連想させる。



(やっぱり……やめておこう)



「あ。いえ、何でもないです。忘れてください」



 慌てて手を横に振り大きな溜息を吐くと、紅葉はじゃがいもの皮を剥き始めた。



 今日のメニューはポテトグラタン。


 育ち盛りの三兄弟のために、山盛りになったじゃがいもを一つひとつ手に取り皮を剥いていく。


 丁寧に芽を取り除き、慣れた手つきで薄くスライスする。



「紅葉さん、どうしたのですか?」



 ひっ、という悲鳴を紅葉は必死に呑み込んだ。



 いつもの元気がないのを不審に感じたのか。


 ボーッとしながら単純作業をこなしていく紅葉の目前に、梅が顔を突き出したのだ。



「あ、あの。律子りつこさんは来週もお忙しいのでしょうか?」



 挙動不審になりながらも、懸命に平静を装いつつ律子の予定を訊いてみる。



「ええ。律子さんと靖彦やすひこさんは、本当に二十四時間といっても過言ではないほど、二人ともよく働いています。病院に休院日はあっても、病気や入院患者に休みはありませんからね」



 紅葉の中では、医者はみんな裕福で悠悠自適な生活をしてるものだと思っていた。


 けれどこの朝比奈あさひな家へ来て、そうではない医者や家庭もあるのだと知った。


 律子も靖彦も自分たちの身体を休める時間を削ってまでも、病院と患者のために働いている。



 しかしそれは、裏を返せば家庭を犠牲にしているとも言えることだ。


 特に小学生の悠弥ゆうやには、辛いと思う時もあるだろう。


 紅葉はかなり悩んだが、やはり梅に打ち明けてみることにした。

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