第六章 悠弥

第37話 100点

 六月の中旬。


 梅雨入りした空はいつも薄暗く、しとしとと雨粒を落としていた。


 耳を澄ませば、朝比奈あさひな邸の庭から、木の葉に当たる水滴の音が聞こえてくる。


 ぽたぽたと物憂げで、時間の感覚も朧気になり、ちょっと憂鬱な気分になってしまう。



 紅葉もみじはこの時期が嫌いだった。


 少し癖のある自分の髪は、どんよりとした湿気の中で、くねくねと曲がりくねって纏まらなくなるからだ。



「何、これ……」



 悠弥ゆうやの部屋を掃除していた紅葉の手が止まった。



 信じられないような紙の束を見つけたのだ。


 机の下に無造作にバラバラと置かれている紙を拾ってまとめあげ、紅葉は何気なく視線でなぞってみた。


 用紙の右上には赤いペンで三桁の数字が書かれている。



「……100点」



 それは答案用紙の束だった。


 優秀な点数が勢い良い筆跡で書かれている。



 次の答案用紙を捲ってみる。


 と、それも100点。


 次も次も、ずっと100点。



「ちょっと……これって普通に100点満点よね。全部100点ってあり得な……」



 紅葉は声を失った。


 脳裏をある可能性が過ぎていく。



 もしかして——。


 これもさとりの力なのだろうか。



 人の心を読み予知する能力の成し得る所業。


 特異な能力を、悠弥はこんな形で使っている?


 呆然と佇む紅葉。



 彼は覚。


 けれど、心を読まれたことのない紅葉には、今のところ普通の子供となんら変わらない。



 つまり、実感がなかったのだ。


 彼が――彼らが人と違う力を持つ人間であるなどと、紅葉は意識していなかったから。


 けれど、今、目にした事実は、明らかに「異常」だと感じた。



 人の心が読めてしまう。


 その力は、不可能を可能に変えてしまうほどの力を孕んでいる。



 自分が思っていた以上に、この能力は、人や生活、もしかしたら様々なことがらに関する価値観そのものへの影響を多く与えてしまう危険なものなのでは……。



 知らず、紅葉の顔は青ざめていた。


 腕の力が抜けていたのか、手に持つ紙束の間から一枚の紙がはらりと落ちた。


 慌てて拾い上げ、何気なく目を通してみる。


 答案用紙ではないようだ。



「これ……来週じゃない」



 玄関で「ただいま」という悠弥の声がしたのに気がついて、紅葉はその紙をエプロンのポケットへとそっとしまった。

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