第三章 朝比奈三兄弟

第15話 三男:悠弥 あんた、誰?

 猫の散歩とは。


 猫用ハーネス(胴輪)を着せ、それにリードを付けていくものらしい。



 フジコはやっぱり近くで見れば見るほどに大きな猫で圧倒されてしまう。


 けれど意外にも、かなり温厚な性格をしていた。


 初対面の紅葉もみじに最初こそ驚いた顔で警戒したようだが、手に持つハーネスを見た途端に大人しくなったのだ。



 どうやらフジコも散歩が好きみたいだ。



 最初は真っ白な猫だと思っていたけれど、よく見れば所々に茶色と黒色の斑点があった。


 昔飼っていた三毛猫を、ほんの少しだけ思い出す。


 もちろん体の大きさは、フジコの四分の一以下だったのだけれど。



「それにしても……散歩が敷地内でできちゃうなんて、世の中ほんとに不公平!」



 フジコの散歩がてら近所を探索できると期待していた紅葉はがっかりしていた。



 この辺りは超高級住宅街なのだから、有名人の邸宅もあるはず。


 特に気になる人物がいるわけではなかったが、どんな人間が住んでいるのかそれなりに興味があったのだ。



 千坪を優に超える敷地は、屋敷や駐車場、茶室やコンサバトリー以外は芝生に覆われていた。


 芝生は定期的に専門業者が手入れを行っているらしく、雑草もなく綺麗に刈り揃えられている。



 屋敷裏手にある箱庭のような露地と茶室。


 唯一そのエリアだけが日本文化を感じさせるが、他はどう見ても洋風の邸宅と言えるだろう。



 猫だからか、フジコの散歩は犬の場合とはまったく様子が違った。


 優雅に芝生の中を歩いては、時々地面に寝転がったり毛繕いをしたりする程度。


 のんびりし過ぎて、これが本当に運動不足解消になるのかと疑いたくなるくらいだった。



 そんな感想を抱きながら、芝生の中をぐるりと一回りして玄関へ。


 扉の前に着いたところで、フジコは紅葉を振り仰ぎ、小さく上品に「ナーオ」と鳴いた。


 どうやら紅葉を〈世話係〉と認めてくれたようだ。


 なんだか嬉しくなって腕の力が抜けていたのか――。



「げっ、フジコ」


「えっ――」



 誰かの声と同時に紅葉の手からリードが離れた。


 直後、猫の声と人間の悲鳴とが凄まじく交錯する。



 見れば、門扉の前でフジコが少年を襲っていた。


 立派な猫手で少年の右足を抱き込み、脛に激しく爪を立てている。


 フジコの大きさから、まるで狼が人間を襲っているかのように見えた。


 慌ててリードを拾うと、紅葉は少年からぐいぐいとフジコを引き剥がした。



「どうしてフジコがここにいるの!」



 それは黒いランドセルを背負った小学生だった。


 三、四年生くらいだろうか。



「ごめんねっ、怪我は? 大丈夫?」



 素早く駆け寄って、紅葉は傷にハンカチを当てた。


 幸いフジコの爪はきちんと手入れされていたので、あまり深い傷にはなっていないようだ。


 紅葉はホッとない胸を撫で下ろす。



「あんた、誰?」



 怪しい人間を見るように、少年は紅葉を睨み付けた。

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