第10話 ドアノッカーですよ

 通されたのは、明るい色合いをした木目基調の広いリビングだった。


 四十畳はあるだろうか。


 小さなアパートに住んでいる紅葉もみじには、驚くほど広く感じられた。



 片隅には、黒く艶やかなグランドピアノが置かれている。


 壁は平坦ではなく滑らかな曲線を描いていた。


 天井も高く、開放感に溢れている。



 恐らくは音響も整えられた部屋なのだろう。


 部屋の広さも考慮すると、ちょっとした演奏会ならば難なく催せそうだ。



 窓辺には、カーテンではなくシェードがすっきりと設えられている。


 薄いレースの生地を五月の風が通り抜け、リビングの空気を爽やかに揺らしていた。



 奥には外壁と同じ色合いのレンガで造られた暖炉があり、周りを小さな蔦が彩っている。


 その横に佇む大きな花瓶は清涼感溢れるガラス細工で、今が見頃の白い薔薇が活けられている。


 そのせいだろう、部屋は生花の香りで満たされていた。



 ガラスのテーブル上に用意されている食器は、紅葉でも判断できるほどの高級品。


 色や形も抜群にセンスが良い。



(こんなお屋敷で家政婦だなんて……)



 もしかしたら自分には無理なのかもしれない。


 あんな高そうな食器を壊したりしたら、どんなことになるのか……。



 あまりに豪華な佇まいと調度品に、「家事なら任せて!」と意気込んだ紅葉の自信が音を立てて崩れていく。


 ちらりと横目で見たお婆さんの姿からは、もやもやとダークなパワーが立ち上っている。


 より一層恐ろしくなった。


 その時、パタパタとスリッパの音を響かせてひとりの女性が部屋へと入ってきた。



「お義母様、すみません。急ぎの電話が入ってしまって……」



 インターホンで聞いた優しい声。


 どうやらこの女性が、朝比奈あさひな家の奥様のようだ。


 彼女は声も素敵だったが、実物はさらに可憐な三十代前半くらいの美人だった。


 女優だと言われたら、たぶん何の疑いもなく信じてしまうだろう。


 その女性が「お義母様」と呼ぶということは、このお婆さんは姑ということか。



「いいのですよ。この娘は合格でしたし」



 意外にも姑は優しく答えた。


 嫁と姑の関係は悪くないらしい。



「あ……あの、合格とはいったい――」



 もちろん躊躇した。


 けれど、気になったことは今後のためにも我慢せずに訊いておくべきだ。


 そう思い至って、紅葉は勇気を振り絞って姑の方に訊いてみた。


 紅葉の顔をジロリと睨む姑の目が、またまた怖い。



「ドアノッカーですよ」

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