第4話 命さえあれば人生なんとかなる

 父親の話では、実は一年前に会社をリストラされていたらしい。


 その事実をどうしても家族に告げることができず、ずっと平静を装って過ごしてきた。


 朝は元気に出社する振りをして、少し遠いが歩いて行ける公園で時間を潰す。


 夕方になると、何事もなかったように疲れたていで家へと戻っていたのだという。



 まるで絵に描いたようなリストラの惨劇。


 それが今、紅葉もみじの目前で展開されている。



「どうして早く言ってくれなかったの!?」


「紅葉、お願いだからお父さんを責めないでやって。これでも、あんたたち三人の子供を一生懸命育ててくれたんだよ。それにずっと一人で仕事を探してたんだって。家族にも打ち明けられず、長い間苦しんでいたんだよ。あんたたちの為に頑張ってきたお父さんの気持ちも分かってあげてよ」



 項垂れる父親を庇うように、やつれ果てた母親が答えた。



 当然このままではいけないと思った父親は、週に一度は職業安定所へ赴いていた。


 いくつかの職場を紹介してもらうと、その場で履歴書をしたためて面接会場へと向かう。


 しかしこの大不況の中、当然職は見つからず父親の努力が報われることはなかった。



 そして、とうとうその日は訪れた。


 貯金が底を尽き、父親の足が向かう場所――。



「しょ、消費者金融ーっ!?」



 食卓にバンッと激しい音を立て、紅葉はまたしても大声をあげてしまった。


 急いで口を押さえたが、時既に遅し。


 即座に近隣より苦情の声が返ってくる。


 今度は左右といわず上下の部屋からも責め立てられた。


 消費者金融とは、俗にいう〈サラ金〉のこと。


 いや、父親の話を聞くとどうやらトイチ業者のようだから、もっとずっと強烈にタチが悪い。



 いわゆる〈ヤミ金〉だ。


 借入金利が年利365パーセントの〈十日で一割の金利〉というから、世にも恐ろしすぎる。


 もし本当ならば厳しい取り立てにあったり、果ては夜逃げという決断も必要とされるかもしれない。



 紅葉の額に嫌な汗がじわりと滲む。


 愕然としたまま、紅葉は我が家を見渡した。



 築四十年は経っていそうな二階建ての木造アパートに、部屋は二つとキッチンのみ。


 数年前に弟が壊したガラス窓と薄い壁はガムテープで塞がれているだけ。


 壁紙はところどころ剥がれ、湿気にやられた部分にはうっすらとカビ跡が……。


 十年前に新調したカーテンは、日焼けしすぎて元がどんな柄だったのかさえ分からない。


 家具といえるものは食卓だけで、物は全て床に無造作に置かれている。


 洗濯機は今では珍しい二層式でベランダに据え置かれ、テレビだっていつ買ったのかも分からないほど、古くて小さなブラウン管タイプ。



 この家庭に売って金になるものは皆無だ。


 貧乏。


 いや、もしかしたら極貧の部類かもしれない。


 ゴクリと生唾を飲み込むと、紅葉は恐る恐る訊いた。



「まさか……今からみんなで夜逃げとか?」


「……」



 恐ろしいことに両親は否定せず。


 ただただ視線を限りなく胸元へと深く落とす。


 こんなはずではなかったと、悔しそうに歯を食いしばる父親の目尻には涙が滲んでいた。



(こ、これは……)



 流れる無言の時間を打ち砕くように、紅葉は拳を硬くした。




 命さえあれば人生なんとかなる――。


 これは紅葉の格言だ。

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