第5話 それはどこかの家での家事手伝い

「……分かった。もう何も言わなくていい。今から準備する」


 決意と共に勢いよく立ち上がる。



 一刻を争うかもしれない。


 早く支度をしなければ。



 しかし、不意に紅葉もみじの肩は強い力で押さえつけられた。


 驚いて振り向く紅葉の目に、涙で濡れた両親の顔が間近に迫ってきて――。



「ありがとう、紅葉ぃ! 実は消費者金融の借金は、綺麗さっぱり返金できたんだ。ある親切なお方がお金を貸してくださって……。それも無利子で! 世の中、いい人がいるもんだなぁ!」



 紅葉の肩をぐらぐらと揺さぶりながら涙を流す父親。


 それに寄り添う母親も滝のように涙を流している。



 何が起こったのか分からないが、両親のもの凄い剣幕に押され紅葉は絶句した。


 そこへすかさず母親が畳みかけてくる。



「そうなんだよ! だけどその代わり、あんたには学校を辞めて一年間奉公ほうこうに出てもらうことになっちゃったんだよ。お願い、紅葉。家族を助けると思って、その家に行ってくれるかい!」



 母親の口調はもはやお願いではなかった。


 完全に命令形。


 選択肢など他にはない。


 あらがうなど決して赦されない。


 やっとのことで、紅葉の頭はゆっくりと回転を始めた。



(な……なるほど)



 どうやら早合点していたようだ。



 奉公――。



 それはどこかの家での家事手伝い。


 世間一般的に〈家政婦〉という。


 いや、今時だったら〈メイド〉とか呼んだ方が素敵かもしれない。



 目眩に襲われクラッときたが、気丈にも紅葉は一瞬で堪えてみせた。


 借金の取り立てに苦しめられ、挙げ句の果てに夜逃げする。


 その先で追っ手に捕まり、自分を含めた姉弟三人がどこかに売られてドナドナ。



 そんな未来より、ずっとマシではないか。



 幸か不幸か、両親共働きの家庭で育ったお陰で家事には自信がある。


 弟と妹の世話をしながら、さらには保育園のアルバイトまでこなしてきた。


 掃除も料理も、超がつくほど節約しながら無駄なくこなす完璧さ。



「ふっ、ふふふふ……」



 不適な笑みを漏らし、紅葉はすっくと立ち上がった。



「任せておいて! しっかりすっきりきっぱりばっちり、その親切な人には恩返しをしてくるから!」



 両親が口にする感謝の言葉に頷きながら、紅葉も自分へ向けて心中で拍手した。



「――で、お父さん。その人にいくら借りたの?」



 抱き合って喜んでいた両親はぴたりと動きを止める。


 顔を引き攣らせ、ゆっくりと紅葉へと視線を動かしながら、父親は遠慮がちに手をあげた。


 人差し指が立っている。



(――っ!?)



 流石にポジティブな紅葉も、今回の目眩には耐えきれなかった。


 眠気と絶望にひた押され、紅葉の意識は奈落の底へと落ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る