第一章 はじまりは悲劇から

第3話 本物の悲劇

「えええーっ!?」



 小さなアパートの一室から溢れ出た、悲鳴のような叫び声。


 それは薄い壁を通して、アパート全室を隈無く貫いていく。


 すぐに「うるさいぞ!」と、左右の部屋から苦情の罵声が返された。


 ドンッドンッと壁を打つ音で威嚇され、その部屋に集う者は全員ぐっと肩を竦める。



「う、嘘でしょ!? お願い、嘘だと言ってよ!」



 再び大音量で叫びそうになった声を、自分の口を手で押さえ、紅葉もみじは必死で小さくした。




 数分前、両親は彼女を呼んで目前へと座らせた。


 時刻は夜中の一時を過ぎている。


 既に深夜と呼ばれる時間帯だ。



 夜の九時まで保育園で働いていた紅葉は、流石に眠くて欠伸を漏らした。


 すっかり眠っていたところを起こされて、この場に連れてこられたのだ。


 何か理由があるにせよ、完全に常識を逸脱している。



(こんな時間に何だろう……)



 そう訝る紅葉の前で、父親はじっと彼女の目を見つめ、母親は何故か視線を落としていた。


 二人が発するただ事ではない雰囲気に、紅葉の頭を嫌な予感が渦巻いていく。


 あまり遠くない既視感が、力強く野生の勘を肯定してくる。



 長い静寂。



 どこまでも続きそうな沈黙に、さっきの既視感は気のせいだったのかもしれないと思わされた。


 その場に漂う未だかつて無いほどの緊張感。


 それが、「今回はあんなもんじゃない」と不吉な予感をしきりと訴えてくるのだ。


 紅葉の手のひらにじわじわと嫌な汗が滲み出る。



「紅葉、赦してくれ!!」



 張り詰めた緊張の糸は、突然放たれた謝罪の言葉にプツンと音を立てて切られた。


 続いた父親の要望に、さっきまでの眠気は一気に吹き飛ぶ。


 そしてあまりの驚愕に近所迷惑も省みず、紅葉は大声をあげてしまったのだ。



「ちょっ……ちょっと待ってよ! わたしは学校に行きながら、家計を助けるために保育園でアルバイトまでしてるんじゃない。なのにこの上、高校を退学してくれなんて——」



 ホロリ。


 父親の目から零れた涙に声を失う。


 横から支える母親の姿は痛ましく、隣の部屋では何も知らない弟と妹が寝息を立てて眠っている。


 再び訪れた静寂に、紅葉の喉が無意識に嚥下した。



 一大事だ。


 これは夢でも幻でもない。


 本物の悲劇だ!

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