第100話 さようなら:梅3

 突然、梅はゲホゲホと咳き込み出した。


 苦しそうに胸に手を当て小さな体を丸めてしまう。



「梅さんっ!」



 慌てて傍へ近寄ると、紅葉もみじは背中をさすってやった。



「最近、急に胸が苦しくなるときがあるのです。きっと、わたくしはもう長くはありません。ですが、朽ちていくこの身体に鞭打って、孫の嫁が来る日を待つつもりなのです。あぁぁ、曾孫ひまごの顔が見たかった。よよよよよ」



 弱々しく身を捩ってみせる梅の身体からは、凄まじい妖気が漂っている。


 どうやら……今度は同情を誘う策略らしい。



「ついこの間、人間ドックに行ってらっしゃいましたよね。確か、全て正常値だったとおっしゃっていませんでしたっけ。というか、内臓年齢は二十代だったとか……」



 梅の咳は見事に止まった。



 そして、コホンと改めて一つ咳払いをすると、背筋をキリリと伸ばし、紅葉の方へと向き直る。



 まるで最終兵器を出すとでも言わんばかりの形相だ。


 小さな体から、殺気に近い、凄まじいまでの妖気を醸し出している。



「紅葉さんの気持ちは分かります。千弥せんやさんは医大生であの美貌。心優しく繊細で非の打ち所がない人間です。廉弥れんやさんも少し暗い部分はありますが間違いなく美男子ですし、成績優秀、スポーツ万能、どこを取っても人並み以上、素晴らしい青年です。そして、悠弥ゆうやさんはまだ子供ですが、甘え上手で思いやりもありいい男に成長すること間違いなしでしょう。実は芸能界からの誘いも多いのですよ。その三人から誰か一人を選ぶのはそれはもう至難のわざ、拷問にも近いことです。ですから、紅葉さん――」



 歌うように語っていた梅の目が、キラリと光った。




「選ぶ必要はないのです!!」




 ドーンと音がしたような気がした。



 梅の顔が十倍くらいの大きさになったような錯覚を覚える。


 その後ろに、高層ビルをまるごと飲み込む勢いの、高波すら見えたような……。


 紅葉の視界を、目眩めまいが列をなして飛び回る。



 今、いったい自分は何を言われたのだろうか。


 反芻するのも恐ろしい。


 この国においてあり得ない。



 三人の嫁になれとは――。



 完敗だ。


 今後もずっと、この老人にだけは勝てる気がしない。



 想像を絶する提案に心底疲労困憊ひろうこんばいして、紅葉は這々ほうほうていで逃げていった。

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