第75話 エリオット様

 驚愕の形相で、紅葉もみじは口の開閉を繰り返していた。


 そして次の瞬間、勢いよく大声をあげる。



 その声は狂喜とも呼ぶべき薔薇色をしていた。



「エリオット様!」



 意外にも、男はあまり驚かなかったようだ。



 一瞬だけ間を置いて、すっと紅葉の前に膝を突き顔を近づけてくる。



「よく分かりましたね、私の愛称」



 人気長編小説〈七人の魔導師〉の主人公エリオット。



 紅葉が崇拝する架空の人物。


 まさに男の容姿はその姿にそっくりだったのだ。


 ただし、エリオットの本来の衣装は着物ではないけれど。



「愛称……そうよね。エリオット様がこんな悪の巣窟にいるわけないわ! あなた、誰!?」



 悠弥ゆうやが袖を引っ張るのにも気づかずに、紅葉は勢いよく誰何した。



 忍んできた自分の立場も今やすっかり忘れてしまっている。



「私は善弥ぜんや。君の名前は――」



 言いかけて、善弥は口を噤んだ。



 暫くの間、瞬きも忘れて紅葉を見据える。



 徐々に青い目を細め好奇心を浮かべたかと思うと、蠱惑的な笑みへと変化させた。



「……驚きました。本当にいたのですね。夢の中でしか出会えないと思っていました。つまり、神は無慈悲ではなかったということですか」



 羽織の袂から腕を出すと、善弥は紅葉の肩へと手を伸ばす。



「紅葉に触るな!」



 割って入ったのは悠弥の身体だ。


 泣きそうなほど全身で善弥を睨みつけている。



「紅葉……。それが君の名前なのですね。紅葉、紅葉。いい響きです」



 後悔のあまり、悠弥はぐっと唇を噛みしめた。


 そして神経を集中させて、懸命に何かを探りだす。



 やがて閃いたように、善弥に向かって叫んだ。



「お前なんかが紅葉の名前を気安く呼ぶな! それより、早く俺を中庭に連れていけよ。夜霧よぎりのじいさんが泣いてるぞ。もうこの家には、元気に戦える奴は残ってないって!」



 悠弥の提言に、善弥は思い出したようにポンッと手を打つ。



「あ、そうでした。そんなことを言われたような気がします。流石、遠読とおよみの力を持つ覚。こんなに離れていても、夜霧さんの情けない声が聞こえるのですね。素晴らしい」



 悠弥に向けて賛辞を呈すると、善弥はすっくと立ち上がる。



「では、お二人とも中庭へ。お兄さんたちが健闘されていますよ」

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