第66話 覚がいた

 そのまま紅葉もみじ千弥せんやに向き直る。



「何をしたんですか!」


「……」



 千弥の顔には何の感情も浮かんではいなかった。


 視線を逸らすことなく紅葉を見つめている。



真鍋まなべ君のお母さんが朝比奈あさひな病院で亡くなりました。そのことを……千弥さん、あなたはご存じでしたよね。何故なんですか!」



 千弥はやはり眉一つ動かさず、紅葉を見つめている。


 そんな彼の様子に構わず、紅葉はぐっと詰め寄る。



「何故、真鍋君に会ったんですか。彼に何をしたんですか!」



 何の応えも返さない千弥に、紅葉は極度の怒りを感じていた。



 どうして彼はいつもいつも紅葉の神経を苛立たせるのだろうか。



 彼の端麗な顔は、少しの動揺も見せることなく。


 そして、決定的な一言を紡ぎ出した。



「紅葉は……特別なんだよ」



 乾いた音と共に、千弥の頬はみるみる赤くなる。



「わたしは……特別なんかじゃありません!」



 血が滲むほど唇を噛みしめ、双眸を強く閉じて叫んでいた。



 紅葉の右手は千弥を殴った痛みに悲鳴をあげている。


 頭には様々な想いが溢れ、飽和状態になっている。



 その時――。



 外で激しい衝突音がした。



 次いで、車のドアが開く音がしていくつかの叫び声が交錯する。


 危険な予感が脳裏を掠めていく。



 我に返った紅葉と千弥は急いでリビングを出た。


 二人が玄関へ走っていくと、勢いよく扉が開き廉弥れんやが慌てて駆け込んできた。



千兄せんにい、悠弥が連れていかれる!!」



 見ると、門扉近くの塀を車が突き破っていた。



 千弥が迷わず玄関を出ようとする。



 が、その腕は廉弥によって強く制されてしまう。


 振り向く千弥の顔に、初めて焦燥の色が滲んだ。



 廉弥の心を読んだ千弥の口からは、驚愕の声が先立つ。



「……まさか」



 廉弥は腕の力を緩めず、放心していた。



 一点を見つめたまま、必死に声を絞り出す。



「奴らの中に――〈さとり〉が……いた」



 三人の目前を、凄まじい音を立てて車が急発進していった。

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