第九章 梅
第57話 静かな別れ
『別れよう。でも、もう一度だけ会いたい』
季節は既に秋。
木々は黄色や赤に色づき、頬を過ぎる風は冷たさを含んでいる。
町を行き交う人の服装も、夏から秋の色合いへと一気に変化していた。
少しだけ重たさを感じる。
先日、
夕日の丘で「一人だけだかちゃんと彼氏がいる」と公言したことだ。
(わたしは
ちっとも大切にしていなかった。
それどころか彼はずっとメールを送ってくれていたのに、
紅葉の携帯には、真鍋からのメールが未読のまま残っている。
何度も返信しようと思ったけれど……うまく説明できないもどかしさに負けて、ずっとだんまりのまま半年が過ぎてしまっていたのだ。
そして、その罪悪感が積み重なり、より一層連絡できなくなった。
悪循環を繰り返していたのだ。
そしてとうとう――。
『別れよう。でも、もう一度だけ会いたい』
別れを告げるメールが彼から届いてしまった。
震える腕で何度画面を見ても、その一言だけがしっかりと刻まれている。
いつかこうなることは予想できたはずだ。
自分はあまりにも失礼な態度を真鍋に対してとり続けていたのだから……。
同級生の
初めて出会った時から、紅葉はずっと彼に憧れていた。
ハンサムで頭が良いというだけでなく、いつも笑顔で優しくて、そして勇気がある人だったから。
前向きで明るい人柄である上、学年を引っ張るムードメーカーでもあり、女子に限らず男子にも教師にもとても人気がある生徒だった。
けれど紅葉は、真鍋は美人の祥子が好きなのだと思っていた。
それはいつものことだし、世間一般的にも常識というもの。
だから、彼と知り合えただけで紅葉は十分満足だった。
しかし、ある時。
真鍋は祥子に仲介役を頼んで、紅葉に交際を申し込んできた。
夢かと思って頬を抓るほどに驚いた。
本当に自分などと付き合って良いのかと、何度も何度も本人に確認したほど信じられなかった。
でも……とても嬉しかった。
素直なところが好きだと言ってくれた。
紅葉の姿が勇気をくれると笑ってくれた。
けれど、ちょうどその時期に家計を助けるため保育園のアルバイトを始めることになり、ほとんど二人で会う機会も作れなかった。
お互いについて話をする時間すら、あまりなかったように思う。
そして、そのまま
そんな経緯なのだから、付き合っていたなどと言える間柄ではないのかもしれない。
久しぶりに会った真鍋は、相変わらず優しい笑顔を見せてくれた。
紅葉の体調や境遇を気遣ってくれた。
とにかく開口一番で、紅葉は留年の話をしなかったことを謝った。
メールの返信だって自分の都合で
怒ることもなく、真鍋は静かに微笑んで赦してくれた。
そして、そのまま他愛ない話をして……何事もなかったように別れたのだ。
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