第56話 君が傍にいてくれるなら

「どんな言葉で正当化しようとしても無駄です。わたしは千弥せんやさんに、決して同情なんてしませんから」



 千弥に対してどうしてここまできっぱりと言い切れるのか。


 紅葉もみじ自身にも分からない。



 けれど彼が、何か根本的な部分で迷っているのを感じていた。


 それが紅葉に断固とした態度を取り続けさせる。



 彼の迷いを今、肯定してはならないと。


 本能のどこかで感じるのだ。



「僕は……何故生まれてきたんだろう」



 吐かれた言葉は疑問ではなく、呪詛じゅそのよう。



「だから、わざと彼女に殴られたんですね。殴った方が傷ついているのも知らないで。自分の都合だけを考えて。彼女なら自分を消してくれると……殺してくれるとでも思ったんですか!」



 間髪入れずに紅葉は訊いた。


 強い語調で。



「紅葉は……さとりじゃないのに覚みたいだ」



 橙色の空は終焉を迎え、すみれ色に支配されようとしていた。


 南の空には星が輝く。



「すみません。高校生のわたしなんかが偉そうなことを言って。反省してます。……でもわたしは、どんなに貧乏でも、生まれてきたことを悩んだことはありません。いつだって生んでくれた母に、育ててくれた父に感謝しています。それでも、こんなわたしでも憂悶ゆうもんすることはあります。でも、それが人生だと思うんです。一生懸命だからこそ美しいんだと。特殊な能力を持って生まれたのなら、人と違う人生を歩めることをもっと楽しめばいいんです。人生、楽しんだ者の勝ちなんですから」



 千弥の元々大きな瞳は、もっと大きく見開かれていた。


 整った唇から放たれる言葉は、小さく掠れる。



「例えば……ね、紅葉。君が僕の傍にいてくれるというのなら、僕はもう迷わない。今でなくてもいいから、考えてみて欲しい」



 呟かれた言葉は祈りに似ていた。



 何かに縋りたい、そんな想いが色濃く映る。



 伸ばした腕を紅葉の頬へと伝わらせ、千弥はそっと顔を近づけた。


 そんな彼に、紅葉は逃げることなくまっすぐ目を見て言い放つ。



「千弥さん、あなたは分かっているはずです。それは。ただ自分が楽になりたいだけで、相手を大切にしたいと思ってはいない。人を好きになるということは、良いところも悪いところも全部ひっくるめて好きになるということです」



 千弥の動きがぴたりと止まる。


 少し逡巡したあと、遠慮がちに訊く。



「紅葉にはいるの? そういう人が」



 大いに不愉快だと言わんばかりに、紅葉は深い溜息を吐く。



「どうして廉弥れんや悠弥ゆうやも千弥さんまでも、わたしには彼氏がいないって思うんでしょう。一人ですがちゃんといます」


「……ごめん」



 頬を緩め、慌てて千弥は謝罪する。



「謝らなくていいですよ。そう思い込まれるってことは、わたしの方にもきっと問題があるんですから。――そろそろ帰りましょう。ここはとても素敵な場所ですが、わたしにはちょっと寂しすぎます。それに、梅さんの首も長くなってしまいますし」



 最後の部分は、変な表現になっていた。


 千弥はやっぱりクスクスと笑った。

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