第52話 巻き毛の美女
フジコは芝生で仰向けになっていた。
くねくねと身体を捻り、背中をこすりつけて遊んでいる。
体こそ特大だが、その様子は普通サイズの猫と何ら変わりない。
芝生の間に生えた猫じゃらしを見つけ、真顔で猫パンチしている姿もなかなか微笑ましい。
「フジコはいいよね。悩みがなくって……」
夕方の散歩途中。
リードに戯えていたフジコは、頭を持ちあげて「ナーオ」と鳴いた。
いつもより気持ち強めな鳴き声。
どうやらフジコは
「あ、そうか、ごめんごめん。猫は猫で大変なんだよね。毎日、世界平和を考えてるって噂だし」
溜息混じりに謝ると、紅葉は芝生からのっそりと立ち上がる。
そのままフジコを連れて玄関へ戻ろうと――。
「わっ、ちょっと待っ――」
突然、紅葉の腕は凄まじい勢いで引っ張られた。
体長一メートル、体重十二キロを超える巨体に不意を突かれ、引き摺られるようにして連れていかれる。
シャーーーッ。
門扉近くへ辿り着いたところで、体中の毛を逆立てたフジコが激しい威嚇を始める。
ただでさえ大きな猫が、巨大化したヤマアラシのように変化していた。
「フジコ、どうしたの?」
フジコの威嚇方向を見る。
鉄の柵を隔てた向こう側に、長身の女性が立っていた。
スタイル抜群で顔が小さく、髪はくるくるとお姫様のように巻かれていてる。
まるでファッション雑誌から抜け出してきたかのような完璧な美女。
あまりの美しさに、思わず紅葉の顔が赤くなってしまう。
「あの……
紅葉の存在に気がつくと、女性はにっこりと笑った。
しかしそれだけで何の返事もない。
誰かを待っているのだろうか。
「
何故だか紅葉には、この女性の目当てが千弥だとすぐに分かった。
恐らく千弥の顔を殴ったのも彼女だろう。
一瞬だけ女性は驚いたという顔を見せた。
けれど、すぐにまた花のような笑みを浮かべる。
そして、何が彼女の興味を惹いたのか、紅葉の目をじっと見つめてきた。
「もしかして――あなたが〈静かな紅葉〉さん?」
女性は妙な訊き方をした。
「静かじゃないし、うるさいくらいですけど、確かにわたしは紅葉です。高木紅葉と申します。こちらで家政婦をしています」
紅葉の返答に女性は豪快に笑った。
端正な容姿だが、とてもサバサバした性格のようだ。
そういう女性には憧れる。
紅葉は彼女に好感を抱いてしまった。
「納得したわ。千弥さんにそう伝えて」
「え?」
猛獣のように威嚇を続けるフジコの巨体を全体重で押さえた状態で、紅葉は必死に訊き返した。
その様子に女性はまたしても大きく笑う。
「気を悪くしないでね。紅葉ちゃんのせいじゃないから。うーん。じゃあ、千弥さんにはこう伝えて。『諦めたわけではありません。修行をつんでから出直します』って」
女性は僧侶のような伝言を口にした。
そしてすぐに手をあげてタクシーを拾う。
「あ、あの! お名前は!」
我に返った紅葉は慌てて名前を訊いてみたが、
「必要ないわ。巻き髪の派手な女が来たって言えば分かるわよ」
またまた豪快な笑い声をたてたかと思うと、女性はタクシーに乗ってしまう。
そして、車窓から笑顔で手を振り、何事もなかったかのように去ってしまった。
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