第53話 静かだね
「静かだね、紅葉」
どこかで聞いた台詞だ。
リビングでフジコの毛を梳いていた
「静かだね、紅葉」
もう一度同じ台詞を呟いた
レース地のシェード越しに吹き込んでくる初秋の風に、艶やかな髪を靡かせて。
まるでファンタジー小説に出てくる王子様のようだと紅葉は思った。
が、すぐに頭を振って否定する。
(いや違う。女の敵だ)
「顔の腫れ、ひいたみたいで良かったですね」
「うん」
「痛かったですか?」
「うん」
「そうでしょう」
「う……ん」
見ると千弥は、何故かグランドピアノに顔を埋めて笑っている。
いったい何がそんなにおかしいのだろうか。
「巻き髪の綺麗な女性に会いました。伝言を預かったのですが、聞きたいですか?」
紅葉は幾分うんざりとした物言いをした。
少しの間、千弥はフジコをブラッシングしている紅葉の横顔を見つめていた。
そして静かに「どっちでもいいよ」と言って笑う。
彼女の伝言にはまったく興味がない、と示しているようだ。
そんな千弥の態度に腹が立った。
「千弥さんは殴られて当然です。刺されても殺されても文句は言えません。彼女は、女のわたしから見てもとても素敵な人で、どうして彼女を振ったりしたのか理解できません」
紅葉の言葉は、誰が聞いても家政婦が発言していいような内容ではなかっただろう。
千弥はまたクスクスと笑った。
そしてその笑いがさらに紅葉の神経を逆撫でする。
「ねぇ、紅葉。ドライブに付き合ってくれない?」
「すみません。仕事中ですから」
フジコの毛を梳きながら、紅葉は淡々と断った。
「理由を教えてあげるから」
「別に知りたくありません」
フジコが怪訝な顔をして紅葉の顔を振り仰いだ。
知らないうちに、手に持つブラシに力が入っていたらしい。
「僕は、女性に断られたことはないんだよ」
「じゃあ、今日は記念日ということで」
フジコが堪らず体を起こした。
紅葉を振り仰ぎ「ナーオ」と抗議の声をあげる。
ブラシを持つ紅葉の手は今や怒りに震えていた。
「紅葉なら、僕を……殺してもいいよ」
息が止まった。
言葉が持つ意味以上の悲しみが、紅葉の背中を打つ。
「……夕方なら」
「うん。ありがとう」
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