第七章 廉弥

第43話 秋葉原へ

 蝉時雨せみしぐれ


 梅雨明けと同時に朝比奈あさひな邸の庭には、今年は蝉が異常発生したようだった。



「ぎゃぁぁぁぁぁぁ! リビングに蝉が入ってきたの! 廉弥れんや、なんとかして!」



 紅葉もみじはパニックになっていた。


 一階リビングの暖炉横で、茶色い蝉がジージーうるさく鳴いている。



「なんだよ。紅葉でも怖いものがあるのか」



 徐に蝉を掴むと、廉弥は紅葉の前に突きだした。



 脚と羽がバタバタと動いていて、かなり気持ち悪い。


 それにたった一匹だというのにこの声量。


 蝉の鳴き声は一キロメートル先でも聞こえるというけれど、激しく納得できる。



「ぎゃぁ、やめてーっ! 蝉はすごく嫌いなの! 早く外へ逃がしてあげてっ!」



 涙目になって必死に懇願する紅葉。



 そんな彼女を見て何を思ったのか、廉弥はニヤニヤといやらしい笑いを零す。


 けれど意外にもすぐに、手の中でうるさく鳴いている蝉を外へと放った。



「はぁーっ。ありがとう、廉弥。怖かったぁ」



 長い吐息を落としながら、紅葉はぐったりと床に崩れる。


 極度の恐怖に、なんだかひどく脱力してしまった。


 動く気力さえ起こらない。



「蝉なんて、噛まないし毒もないから怖がることないだろ」


「嫌いなものは嫌いなの! 昔、ブルマにとまられて大音量で鳴かれたことがあるの! 誰もとってくれなくて本当に困ったんだもん!」


「ブルマに蝉……」



 廉弥は下を向いて笑った。


 ガクガクと肩を揺らしている。



「廉弥、笑いすぎ!」



 紅葉にとっては忘れられない記憶だ。


 思い切りトラウマになっている。



「あ、紅葉。お前、今日は休みだろ。俺、これから出かけるけど、ちょっと付き合ってくんない?」



 一頻り笑ったところで、廉弥が紅葉を誘った。


 日曜は紅葉に与えられた唯一の休日だ。



 なのに、どうして廉弥と出かける必要があるというのか。


 今の脱力感も手伝って、出かける気分などまったく起きない。



「どうして大事な休みの日に廉弥と出かけなきゃいけないのよ。わたしだって忙しいんだから」



 迷わずぷいっと断った。



「秋葉原に行くんだ。確かあの店に、〈七人の魔導師〉のフィギュアもあったと思うんだけど。ふうん……行かないなら別にいい」


「ま、待った!」



 立ち去ろうとする廉弥の腕は、しっかりと紅葉に掴まれていた。



「わたしも行く! エリオット様が欲しい!」

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