第1章-22
「へっ!?」
「うわっ」
いきなりの晴秋の行動に、驚いた声を上げたのは、実乃と火白である。
が、晴秋は彼らにも眼をやることなく、自分よりも背の高い永明の首周りの着物を掴んで締め上げた。
「そんな下らないことだったのかい!?それならば、私の目の前に現れれば良かったではないか!死にはしないから構わない、だって!?ふざけるな!熱を出す子がどれだけ苦しむか、我が子を見るしかできない親がどれほど苦しむか、どうしてわからないんだ!」
「晴秋、やめろ。それ以上やったら、そいつの息が詰まってしまうぞ」
女の腕だというのに、晴秋はまるで重さを感じていないかのように永明の体を持ち上げていた。
黒い沓を履いた永明の足の爪先が、地面を擦っている。その状態で、さらに首を絞められたのだから堪らない。男の顔は、ややどす黒くなる寸前だった。
火白の言葉に、晴秋はようやっと我に返ったように手を離した。永明の体がよろけて、またも後ろ向きに倒れ込む。
その男を、晴秋は無造作に襟首を掴んで持ち上げた。まだ、問い詰めなければならないことはあったのだ。
「うわっ、な、なんなんや。知ってることは話したやろう」
「ああ、そうだな。福禄屋のことはな。だが、もうひとつ話せ。どうして、狐のきょうだいに手を出した?」
これにも、永明はやや渋った様子を見せたが、火白がぶら下げたまま揺すりたてるとようやく口を開いた。
「別に、理由なぞないわ。けったいな狐が、人に化けて暮らしとったから、化けの皮剥いでやろうと思っただけや」
それを聞き、今度は実乃が吠えた。
「けったい、だって!?おれたちは、何もしてなかっただろ!人に化けて、真面目に人と一緒に働いてた!木の葉の銭だって使ったことはない!」
「妖が混ざり者の人間と一緒に、人に混ざって暮らそうとするのんが、そもそもおこがましいんや!」
首根っこを火白に抑えられながら、永明は唾を飛ばして炎を吹くような勢いで言った。実乃が、一瞬だけ打たれたように身を引く。
それをどうとったのか、永明はさらに叫んだ。
「おかしいやないか!なんであんたら妖や半端者が普通に幸せに暮らせて、わてがみじめな思いをせなあかんのや!ずっと、ずっとずっと陰陽師の修行をしてきた!認めてもらえるはずやったんや!」
誰より頑張って来たのに、持って生まれた妖を見る才能と陰陽師の才能を腐らせないようにしてきたのに。それなのに、親も、友も、誰も己をわかろうとしない。当たり前の人間たちと同じ暮らしをさせようとした。
どうしてそうしなければならないのだ。折角、町を行き交う人々と違うふうに生まれついたのに、それを生かそうとして何が悪いのだ。
挙句に、妖まで出て来た。妖が出て来て、その妖を友と呼び、助ける人間が出て来た。
どうしてなのだ。何故このような力の強い妖が、才能もろくにないような陰陽師に己から手を貸すのだ。
己には、助けてくれる人間とて、ひとりもいないのに。
「なんでや……なんでなんや」
終いには俯いて呻くように呟きだした永明の着物から、火白は手を離した。それ以上、聞いていられなかったのだ。
吊り上げられていたところから落とされて、永明は草の茂みの中に尻から落ちる。己の想いを吐き出して気力が萎えたのか、立ち上がろうとすらしなかった。
大雨に打たれたどぶ鼠のようなその男の頭を、火白は黙って見下ろした。
この一連の騒動の犯人を捕らえたら、自分はもっと怒るだろうと思っていた。だが、今は胸の奥に苦いものがあるばかりだった。
「……阿保ばかり抜かしおって。すべて己で招いたことだろうが」
認められたくて、褒められたくて、努力した。
持って生まれた才能を腐らせたくなかったのだと、この男は言った。
なるほどそれは、立派な志だったろう。
だが、そうやって培ったものを、この男は己より弱い者にばかり向けた。幼い子どもを呪で苦しめ、小狐たちから大切な家族を奪った。
挙句、己ばかりひどい目に遭ったのだと喚き散らしている。
己の行いで泣いた者、傷つけた者たちを顧みず、己の哀しみを掬い取ってくれる者だけを待ち焦がれる者に、かけてやる言葉などなかった。あるはずもなかった。
「己に力があると思うならば、それで誰かの助けになりたいと思うならば……お主は、もっと自分以外の誰かに、優しくあるべきだったよ」
だというに、火白はそう呟いている己に気づいた。
火白の呟きが聞こえたのかどうか、男は一度だけ肩を震わせる。それから、指の隙間からぎらぎら光る目を火白に向けた。
「人喰い鬼のくせに」
呟きのような一言に、胸を刺されたような気がして目を細める。
「……そんなことしか、言えぬのかよ」
聞こえていようがいまいが、どうでもいい小さな声で火白は呟いた。
それから目を逸らし、火白は背後に立っている妖と人に視線を向けた。
「……なあ、晴秋、こ奴はどうしたらいいのだろうか?」
男を親指で指し示しながら。火白は首を傾げた。
ふん、と鼻を鳴らした晴秋は、まだ怒りが収まらないのか眉根に深いしわを寄せていた。いつもの闊達な表情は、まだ戻っていない。
永明は芯太に呪をかけ、実乃を捕まえていたが、前者は証拠がないし、人の法には妖を捕らえたことを咎めるようにはできていないのである。
「あのぅ、それもあるんですけど、この壊れた寺、どうしましょうか?早く逃げたほうがよくありません?」
「なんだと?」
実乃の言葉に、晴秋と火白は改めて境内を見渡した。先ほどの式神二体を、火白は蹴り飛ばし、投げ飛ばしたが、言われてみれば式神たちは見事に建物の中心である太い柱を、へし折っていたのである。
先ほどから寺がぎしぎしと不吉な音を立てているのに、火白と晴秋はようやく気がついた。
「あ、まずいわ、これ」
おまけに、先ほど火白が地面を足で踏み、建物そのものを揺らしたのが重なる。寺はぎしぎしと不穏な音を立てたかと思うと、嫌な音を立て、折れた柱を真ん中にして崩れてしまったのである。
実乃が晴秋を、火白が永明をそれぞれ掴んで逃げたので、彼らは倒壊に巻き込まれなかったのだが、残ったのは瓦礫の山である。門も、既に火白が殴って壊しているのでこちらも瓦礫寸前だった。
立ち上る埃の中、顔を見合わせた三人は同時に頷いた。
「よし、逃げよう」
捨てられているとはいえ、寺が壊れたとなれば必ず騒ぎになる。
ここは不忍池の行楽地にも近いから、崩落の音だとて聞こえていてもおかしくないのだ。そこで同心や岡っ引きに見つかりでもしたら、面倒になるのは必至だった。
まさか、陰陽師の操る式神に襲われたので争っていたらうっかり寺を壊してしまいました、などという申し開きが通じる訳もない。そもそも、火白と実乃などは妖で、身元を保証してくれるものすらないのである。番所にしょっぴかれたら、それだけで福禄屋にも迷惑がかかる。
晴秋が何か思いついたように手をぽんと叩いた。
「じゃあ、ちょうどいいからこいつはここに置いて行こう。おっつけ来るだろう同心方に、押しつけるんだよ。壊れた寺の前にいたら、怪しい者として間違いなくしょっぴかれるだろうからね」
「んん?」
「できるんですか?この御仁、逃げてしまうんじゃ……」
訝し気な声を上げた妖たちに、晴秋はにやりと笑みを向けた。
「いやいや、そこはほら、私も陰陽師だし」
晴秋はそう言って、懐から呪符を一枚取り出すと、ぺたりとそれを永明の額に貼りつけた。瞬間、火白に抑えられていた永明の動きが止まる。
「よし、上手く行った」
「なんなのだ、これ?」
札を指さしながら火白が尋ねると、晴秋は得意そうにそっくり返った。
「うむ。これはね、足止め用のお札だよ。本を調べて、私が作ったのだ。二刻も立てば動けるようになるが、それまでは絶対に動けない」
「そんなもの持って来ておったのか……」
「万が一!万が一と思って持って来たのさ!……ちなみにこれ、一か月かけてようやく一枚できあがるという代物なんだけどね」
「自信作という訳か。よかったのう、使いどころがあって」
小さく火白は笑った。
つまり同心や岡っ引きが来るまで、永明はここから動けないのである。札を貼られた永明は、目ばかりをしきりと動かしていたが、それ以外何もできないようだった。ついでに晴秋は、永明の懐から、呪符や道具を根こそぎ取り出すと、それは己の懐にしまった。
火白は、その様子を黙って見ていた。今更この男から、何も聞きたくはなかった。
「……」
火白は息を吐いて、額から角を消し、牙を引っ込めた。青年の姿から、五尺(百五十センチ)ばかりの少年の姿へと変化する。この小さめの体にも、ここ数日でずいぶん慣れたものだと、そんなどうでもいいことをふと思った。
さんざ人を騒がせた陰陽師をその場に残し、火白たちは誰かに見られぬうちに、一目散にその場から退散するのであった。
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