第1章-21

 今更ながら、どう言いつくろっても人を襲ったのは間違いないのだよな、と火白は思いながら、地面にしゃがみ、足元で伸びている男を見下ろした。

 すっかり意識が吹っ飛んでしまったようで、白目を向いて昏倒している。

 しまったなぁ、と頭をかく火白の向かい側には晴秋がいて、腕組みをしていた。


「まさか一撃でのしてしまうとは……。もうちょっと交渉するつもりだったんだけどな」

「すまん。正直、やってしまったとは思っておる」


 己の中の喧嘩っ早さを自覚させられて、火白は確かにへこんでいた。


「まあでも、正直ちょっとすっとしたね」


 妖のことをぼろくそに言い過ぎなのだよ、と晴秋は、そこらに生えていた猫じゃらしを引っこ抜き、それで男の顔をぺしぺしと叩いた。


「あのぉ……」

「ん、ああ。実乃か。どうした?」


 見れば、狐はどうも人間臭い仕草で火白の肩を前脚で叩いていた。


「その、お願いがあるのです。その陰陽師が、どこかに俺を縛っている護符を持っているはずなんですよ。そいつを壊しちゃくれませんか?そうでないと、俺は自由になれないんです」


 式神として括られているから、実乃狐は満足に人の姿に化けるのもままならず、逃げられなかったのだという。


「確か、赤い錦の守り袋に入れてあったと思うんです。俺の毛と血を混ぜて焼いた円盤なんですけど」


 それを壊せば、実乃狐は自由になれるのだという。


「これかい?」


 躊躇いなく陰陽師の懐に手を突っ込んだ晴秋が、小さな錦の袋を掴み出す。逆さにして振ってみると、中から素焼きの赤茶色の円盤が転がり出た。


「それです!」


 やや興奮気味に、実乃は三本の尻尾をぱたぱた振り回した。


「貸してみろ。変なものがかかっているとよくないから、おれが壊す」


 晴秋から円盤を受け取ると、火白は手にかなり力を込める。呆気ない音がして、円盤は真ん中から三つに砕けた。

 途端、ふわりとあたたかな風が実乃から立ち上る。


「よっし!」


 歓声と共に、くるりとその場で実乃は宙を飛んだ。ぼふん、と白い煙が上がって、それが晴れたときには、青い着物を着たひとりの青年が立っていた。

 切れ長の目をして、役者のような細面の顔をしているその顔は、久那たちがつくった人相書きの女に似ていた。あの女の性別を男にしたら、ちょうどこのような具合だろうと思わせる風貌である。


「やっとこの姿になれた!」


 そのまま踊り出しそうな勢いで喜ぶ青年に、晴秋がおーいと声をかけた。


「喜ぶのはわかるけれどね、ちょっと落ち着いてくれ。君は確かに実乃くんなんだよね?二ヶ月ほど前に、攫われたという」


 晴秋が尋ねると、青年は何度も頭を縦に振った。二ヶ月前に攫われてからずっと、彼はこの陰陽師の式神にさせられていたのだという。逃げ出そうにも術で縛られ、逆らえば毛皮を燃やされ、逃げれば次は捕まえた弟たちに手を出すと脅される。 

 それでどうしようもなく、式神に甘んじていたのだと言う。

 弟たちを人質にしたという嘘を教えて縛っていたのか、と火白は改めて倒れた男を見下ろした。


「信乃と毛乃は無事なんですか?こいつが捕まえていたんじゃないんですか?真木さんもですか?ああそれに、玉子稲荷の俺たちの家も……」

「落ち着け落ち着け。お主はこ奴に嘘をつかれたのだ。そちらの弟と妹は、おれたちの仲間と一緒にいて安全だし、真木という娘は今は母御の大狐の下にいるそうだ。……お主らの家のことは、すまぬがおれたちにはわからぬ。見に行っておらなんだ」


 火白が両手を振ってそう言うと、彼より頭ひとつ分は背の高い青年は大きく胸を撫でおろした。


「よかった。じゃあ、あいつらは無事なんですね」

「うむ。元気なものだぞ。おれたちは、あの双子に頼まれてお主を探しておったからのう」

「そうなんですか!?鬼のあなたと出会うなんて……」

「……まあ、色々とあったと言っておこう」


 そこまで言ったとき、倒れていた男がうめき声を上げる。猫じゃらしを持ったままの晴秋、それに火白と青年姿の実乃の姿を見た瞬間、男はさっと跳び退ろうとし、しかし足を滑らせて尻餅をついた。


「そりゃあの、頭を揺さぶられた後だ。まともに動けるようになるには、今少しかかろうよ」


 少年姿から、青年姿へと己の形を変えて、火白は男を見下ろした。何せ、青年の姿での火白は六尺(百八十センチ)を越えているのだから、かなり背が高くなる。大抵の人間ならば、見下ろせるほどなのだ。

 うろうろさ迷った男の視線が、火白の背後にいる晴秋を捉えた。


「な、あ、あんた、わての式神を盗ったんか!?」

「盗ったというか、彼の身内に頼まれて陰陽師に攫われたという彼の行方を捜していたんだよ。それから、福禄屋って店に馬鹿な呪詛を仕掛けてくれた犯人もね」

「ついでに言うと、おれは式神ではない。ただの妖だ。こ奴らの……なんだ、どう言ったらいいのだ?」

「友でいいんじゃないのかい?」


 ではそうしよう、と火白は気軽に頷いた。


「な、何言うてるんや。妖が友やて?妖やで、捕まえて式にするか、退治すべきもんやろう!」


 尻餅をついたまま、餌をねだる鯉のように口をぱくぱくさせている男だが、その一言がよほど衝撃だったらしい。だが、勢いよく立ち上がって食って掛かってきた男を、ぴしりと晴秋は撥ねつけた。


「妖だろうがなんだろうが、幼いきょうだいを引き離して攫うなど、許されることではないだろう。だが、彼は私たちの友人で、私たちの家族のために骨を折ってくれているんだよ。……さあ、話し給え。なんだって、福禄屋を呪った?答えなければ……えーと、どうしよう。脅し文句なんて考えてなかった……」


 いやそこはちゃんと言い切れよ、と思いながら、火白は無造作に足を地面に叩きつけた。腹を下から突き上げるような衝撃が寺と地面を揺らし、伽藍の瓦が数枚落ちる。

 鈍い音に、男の肩がびくりと撥ねる。そのまま懐に手を突っ込んだ彼が掴み出したのは、呪符の束だった。


「うげっ」


 火白が呻いて、晴秋と実乃を背中に庇った。


金門きんもん玉女ぎょくにょ、召喚!」


 言葉と共に、角を生やした白牛とその背にまたがる、鎧をつけ金棒を構えた女武者が現れた。


「し、式神っ!」

「こいつらがか!?うお、危なっ!」


 武者の振り下ろした剣を避けようとして、火白は思い直してその場に留まり、女武者の振り下ろして来た金棒を両手で受け止める。下手に避ければ、牛が背後の二人に突っ込むからだ。だから敢えて一撃を受けたのだが、上からの剛力に、骨がみしりと軋んだ。

 先ほど雷を受けたせいで、焼けこげた腕が傷むが、火白は構わずに叫んだ。


「実乃、変化して晴秋を離せ!」

「は、はいっ」


 実乃狐が、大鷲に変化して晴秋を掴んで飛ぶのを確認して、火白はす、と力を抜き、振り下ろされた金棒を掻い潜った。


「荒事に、させるでないわ!」


 やけくそで叫びながら、跳躍して金棒の上に乗る。軽巧で身を軽くし、そのまま火白は女武者を蹴り飛ばした。牛の背から女武者は吹き飛び、伽藍の中へと吹っ飛んで行った。

 そのまま白牛の背に落ちるようにして乗る形になった火白は、牛rの硬い額を渾身の力で殴りつけた。よろめいた牛の背から跳び下りて、もう一発踵落としを決める。

 苦し気な声を上げた牛を、火白は今度は両手で掴んで建物の中へとぶん投げた。そのまま女武者の式神にぶつかった牛の巨体は、柱を真ん中から折る。二体の式神は、音も立てずにそのままかき消えた。

 式神を片付け、さてあの男は逃げたのかと、視線を巡らせてみれば陰陽師の男はまだそこにいた。己の式神が倒されたことが信じられぬのか、腰砕けになっている。


「今すぐ話さぬか。洗いざらいだ」


 額から角を出し、口から牙を出す。瞳を黄金に変化させて、火白は男をねめつけた。隠していた妖気を表に出し、男へ向けて放つと彼の顔が紙のように白くなる。

─────勘弁してほしいのう、怖い鬼の真似事など。

 内心で閉口しながら、火白はなるたけ『怖い鬼』の顔で男を睨み下ろした。思い描いているのは、怒ったときの父鬼の形相であった。

 睨み殺しそうな金色の瞳に見下ろされ、男は腕で顔を庇うように動いた。


「な、なんや、何か悪いことをした言うんか。わては別に、誰ぞを呪い殺した訳やない!仕事が欲しかっただけや!」


 その叫びの途中で、実乃と晴秋が地面に戻って来る。男の目の前で、白はさらに妖気を強めた。


「仕事?仕事欲しさに、お主は子どもに呪いをかけたのか?」

「そ、そうや!あの店には、まともな陰陽師でもあらへんのに、仕事にありついとる女がいるて聞いたんや!わてのほうが、ずっとうまく術も使えるのに!」


 妖気にあてられてか、急に口が軽くなった男の話である。聞くうちに、火白と晴秋の目は氷より冷え切って行った。

 この陰陽師は、名を安藤あんどう永明えいめいと言い、京の都で由緒ある家に生まれたそうだ。その家は陰陽師の家系であった。永明は最も、才があったという。

 だが、安藤の家が陰陽の術を掲げていたのは、今は昔。かつての術の知識が書かれた蔵書こそあれど、まともに陰陽の術を極めようとする者などいなかった。

 永明はそれに反発した。人と異なることができるのに、どうしてそれを使ってはいけないのか、わからなかった。妖を術で括り、己の言うがままに動かすことも、小動物をより集めて蟲毒をつくることもできる。 

 どれもこれも、ただの人間には触れることも叶わぬ技だ。それだのに、何故それを使ってはだめなのだろうか、わからない。

 そう言い募る次男坊に、異能で道を立てようとするなど愚かなことだ、と永明の二親は言ったのだ。

 結局、我慢できずに永明は家を飛び出した。己の術で生きていこうと決めたのだ。


「それで、流れ流れて江戸にまで来たのか」

「そうや!そうしてみたら、ここには仰山妖もおる!霊もおる!やけど、まともな陰陽師は少ない!」


 だのに、それだのに永明はなかなか仕事にありつけなかった。ここでなら、己の技を存分に振るって人の役に立つことができると思ったのに。

 そんな中で聞いたのが、とある陰陽師の話だった。

 なんでも、元は陰陽師でも何でもない、商家の娘だったという。それが、離縁されて実家に戻り、以来どこからか拾ってきた目の良い小僧を相棒にして陰陽師屋をやっているのだという。

 その自称女陰陽師は、お調子者だが愛嬌があり、ほとんどすべての依頼を成功させているという。

 人を頼らねば、妖すらも自力で見ることも叶わないような、しかもおなごと餓鬼という二人が、どうして己より上手く生きてゆけるのか、人々から讃えられているのか、どうしても永明には納得ができなかった。

 聞けばその陰陽師は、福禄屋というそこそこに裕福な小間物屋の出らしい。実の弟がやっている店の居候で、しかもそこに双子の子どもがいることまで、永明は突き止めた。

 この子どもだ、と思った。

 この子どものうちのどちらかに術で病を仕掛け、それを己が治せばいい。そうしたら、いかさまのような女陰陽師は恥をかくし、己は仕事を手に入れられる。

 素晴らしい思い付きだと思ったのだ。無論、命をとるつもりはない。子にはしばらく病で辛い思いをさせることになるが、死ぬようなことにはならない。その前に己が助けるからだと、そう思いながら、永明は福禄屋の跡取りという小さな童に、蟲毒を放ったのだ。


「こやつ……」


 余りに勝手な言い分を募る男である。演技などかなぐり捨てて、本気で締め上げてやろうかと火白が足を踏み出したときだ。

 晴秋が一歩で永明の前に立つと、その胸倉を掴み上げる。それから、止める間もなく頭突きをかましたのである。

 鈍い音が、境内に響いた。

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