第1章-16

 火白の生まれ故郷は、山の中にある。山の中なのに、氷上という名前がついているのは、冬になれば雪に閉ざされるような、そういう里であるからだ。


「といっても、おれたちは皆、鬼だからなぁ。子どもの時分には、冬になっても平気で雪玉で遊んでいたのう」

「子ども……?」


 今の火白の姿は、十四か五の少年だから、千次には子どもの時分はそう遠くはないように見えるのだろう。本当は、もう八十年以上も前のことなのだが。

 その話は後でしよう、と火白は決めて、構わずに続けた。


「ともかく、雪で閉ざされてもおれたち鬼には、少し寒い程度なのだ。まあ、積もった雪で屋根が抜けては堪らんし、吹雪になれば道を失いもするし、寒すぎるのは嫌いだから暖は取るがの」


 しかし、人の里のように、冬が長かったために寒さで命を取られるものが出たことはなかった。鬼とは、それだけ体のつくりが人間に比べて頑丈なのだ。


「おれの家はそこの里長だよ。父が長でな」

「じゃああんた、里の若様なのか?」

「まあの。といってものう、元とつくが」

「もと?」

「なにかやったの?」


 袂から小狐に言われて、火白は頭をかいた。さて、ここからが問題なのである。

 確かに、氷上の里の鬼は人を喰う。

 ただし、見境なく喰うのではなくて、これと決めた者と勝負してその命と魂をもらい受ける、というある種の儀式なのだ。だから、人の女子どもを喰うような奴は一生軽蔑される。

 鬼には鬼の矜持がある。武芸に命を張っていたという、かつて日ノ本に数多いたという益荒男たちと相通じるものが。

 断じて、遊びや楽しみで喰うのではないのだ。

 そうとわかっていて、そこにかける鬼の想いも理解していて、それでも人を喰わぬと言ったのだから、火白は父鬼に里から叩き出されるはめになったのである。長になるものがそれでは、示しがつかないのだからと。

 つまりそれくらい、鬼というのはしきたりに厳格なのだ。


「うむ、簡単に言うとだな。父はおれに一人前の鬼になるために、人を喰えと言った。おれは嫌だと言った。そうしたら追い出された。そういうことだ」

「はぁ。それでなの」

「鬼なのに、ぃからは人の血の臭いがない」

「ふしぎだったけど」

「そういう事情があったの」


 小狐たちは、妖だからか鬼のことも知っていたらしい。すんなりと頷いていた。

 妖は、基本的には人の心に寄り添うことはない。根っこから違う生きものなのだから、当たり前だ。気に入った人間には手を貸すし、それ以上の情を交わすこともあるが、多くはちょいと妖力で脅かすとおもしろい反応を見せてくれる生きものか、食べ物程度にしか見ないのだ。

 なので、小狐たちの反応は淡泊だった。一方の千次は、案の定顔色が少し青くなっていた。


「え、じゃあ、あんたは、元々悪鬼の里を継ぐ者だったってのか?」

「悪鬼……ああ、人喰いをする鬼のことをそう呼ぶのか。うむ、そうだったのだがの。おれは人が喰えなかった。他に旨い食べ物だってあるのに、なんだって命を賭して魂や命を貰い受けねばならぬのかわからんでな」


 確かにそれも、火白の本心ではあった。

 大切な儀礼だと聞かされてそだったのだが、己ひとりではなく、他者の命と矜持をかけてまで、やらねばならぬこととはどうしても思えなかったのだ。これも恐らく、前世の感覚の残滓が生んだ思いなのだろう。

 ちなみに転生云々はさすがに今言えば、混乱させるだけだろうと、火白は隠すことにした。


「雪トは元々人間だったから、人は喰えん。久那は鬼ではないから、人を喰わぬ。だから、人喰わす三人衆だの、おれらは」


 だからお江戸に出て来ても平気ではある、と火白が言うと千次は腕組みをした。


「……とりあえず、あんたにてんで名づけの才がないことはわかった。人喰わず三人衆はないだろ」

「なんだとこら」


 火白が拳の関節を鳴らすと、千次は両の掌を火白に向けて振った。


「冗談だよ。元々、あんたたちからは何にも感じてなかったから」


 千次の勘は、かなり鋭い。人の肉を旨そうと言うような、危ない妖だったら何となく察知できるのだという。その勘で言えば、火白たちは危なくはなかった。

 ただ、火白の放つ妖気がそこらの妖と比べものにならぬほど大きかったから、警戒はしたのだ。


「そうなのか?」


 氷上の里と、山妖の里以外の妖にろくすっぽ出会ったことのない火白は、己の妖気が他の者より大きいと言われても首を捻るしかない。どちらの里でも、確かに単純な力比べで負けたことはほぼなかったが、身軽さでは雪トにわずかに負けるし、そもそも父親に徹底的に負けて髪を奪われた。

 髪は妖力の源のひとつだから、あれでかなり力は削がれている。

 そういうと、千次は呆れたようにかぶりを振った。


「そんなもんなのか。お武家さまみたいなことするんだな、あんたの親父さんも」

「けじめさ、けじめ。首を落とされんで助かったわ」


 髪が切られたせいで、露わになった首筋を手でとんとんと叩きながら、火白は答えた。かなり本心を込めていたのだが、千次はふうんと鼻を鳴らしただけだった。


「妖にも色々あるんだな」

「応さ。今の話、晴秋たちに言うのならば好きにして良いぞ」


 どうせあちらがおれから聞き出すようにと言い出したのだろう、というと、千次は諦めたように肩をすくめる。そこへ来て、気配を察知したのかまたも袖の中から小狐の声がした。


「お話、おわり?」

「そろそろ、玉子稲荷が見えてくるのだけど」


 彼らの声に、火白と千次が前を向いて、また歩き出す。その先には、長い階段を持つお社が建ち、その周りには小さな店や長屋が軒を連ねている町並みが広がっているのだった。







*****







「というわけでだね!私たちは昨日に引き続いて探索だよ、雪トくん!」

「ほいよ。そんで、俺はどこについてけばいいんだい?」


 江戸、通町を歩きながら、そんな会話を交わす二人があった。

 片方は白装束の女で、もうひとりは紺の着物の十四、五の少年である。

 少年、雪トは、晴秋と共に昨日行きそびれた道具屋に向かっていた。雪トの主たる火白は、千次と共に妖への聞き取りのために玉子稲荷の方へ向かっている。

 火白を守ることが、雪トが己に課した使命なのだが、とうの主から来んでいい、と言われたのである。引き換えのように主から言い渡されたのが、今雪トの隣を歩いている女陰陽師の護衛だった。

 一度だけ、こちらに来なくていい、と言われただけである。その程度のことで、不満を持った訳ではない。ない、はずなのだが、妙に落ち着かないような感覚はあった。


「君、本当は火白くんのほうについていたかったのではないかね?」


 前を向いて歩いている晴秋が、ふいにそんなことを口にした。咄嗟に返答が遅れた雪トである。奇妙な間の空き方が、それが真実だと何より雄弁に語ってしまった。


「……まあな。あのお人、なんだかんだ俺が見ていないと、とんでもないことになるもんでな」


 火白はつい最近に、里から追放されてしまったばかりである。

 あのとき、雪トは火白に言われて、久那への手紙を届けに行っていたから、その場にはいなかった。

 それで帰って来てみれば、里から火白が追い出されて消息不明になっていたのである。

 雪トが必死になって探し回り、ようやっと江戸へ繋がる街道で見つけたというのに、当人がけろりとした顔をしていたのである。

 主でなかったら、張り倒していたところだった。


「そうなのかい?そんなふうには見えないけれどね」

「いやいや、あれでこっちとしちゃ気が気じゃないのさ」


 里のしきたりを守れなかったのだから仕方ない、と実の父親の手で、生まれ故郷から追放されたことを火白は簡単に受け入れていた。主がそういうならば、従者の己がごねても詮方ないのはわかりきっているのだが、それでも何も思わないでいられるほど、雪トはすぐには割り切れないでいた。

 たったひとつの過ちのせいで、生まれ育った故郷からも肉親からも切り捨てられねばならないほど、火白が悪いことをしたと雪トには思えなかった。

 だが、火白は己が一等悪いのだから、他の誰かに怒るのは止せと言ったのだ。主に言われてしまえば、雪トには従う他ない。


「昔っから、そうなんだからなぁ」

「ううむ、なんだか私にはよくわからないが。君は相当、火白くんのことに関して気合が入ってるんだね。従者だと名乗っていたけれど」

「そりゃ当然さ」


 元々、みなしごとして当たり前のように死ぬはずだったところを、火白に救われたのだ。以来、雪トは火白を主と呼んでいる。


「うん、ではさっくりと聞き取りを済ませて、火白くんと千次の方にでも行こうか。妖たちと会うならば、私もそこを見てみたいくらいだしね」

「やめといたほうが良いと思うけどなぁ」

「む、何故だい?」

「妖にも色々いるからさ。人間を見て、旨そうとかいうやつらだって珍しかないからな。妖退治の札が描けるあんたとか、妖をよく見る千次なんてのは、普通のやつらより旨そうに見えるらしいし」

「あー、それはあれかね?西遊記で三蔵法師の肉を妖たちが喰いたがったという逸話と同じ系統の話かね?徳が高い人間の肉を喰うと寿命が延びるとかいう……」

「さあなぁ。俺は人喰いする妖じゃねえからわからねえけど、そういうものかもしれねぇぞ」


 だから、やめておいたほうがいいのではないか、というと、晴秋はやや引きつった顔になった。

 元が人間だったから、雪トに人間の肉を喰いたいと思う衝動はない。

 前世とやらを引きずる火白も、仮に人を喰うという感覚を持ち合わせていても、梃子でも人を喰わないだろう。

 だが、江戸ほど大きな町ともなれば、そこには多く妖がいるから、その中には、氷上の里の鬼たちのように人間のことを旨いとか不味いとかいう者とているだろう。


「そういや、晴秋の姐さん。江戸の妖には、長みたいなのはいるのかい?」

「いや、どうだろうね。私は出会ったことがないし、話も聞いたことがないよ。どうしてそんなことを聞くんだい?」

「んー、俺たちのところはさ、里長ってのがいて、その下で皆暮らしてたからなぁ。ここにもそういうのがいるかと思ったんだが」


 火白はその息子ではあったが、勿論雪トはそれを明かすつもりはなかった。


「ほう。長を戴いて暮らしていたのか。だが、さっきも言ったように私は聞いたことがないね。力の強い妖の噂はちらほら聞いたことがあるが」


 大狸、鎌鼬、大河童、大狐などなど、晴秋は、雪トも知っている妖の名前を挙げた。どうやら、お江戸の妖は里の中で纏まっている山の妖たちとは違って、かなり自由気ままに生きているようである。

 雪トにはそのほうが、都合が良く思えた。それならば二、三人の余所者が紛れ込んでいても、気にされにくいからだ。

 能天気な火白と、おひいさまの久那は、そこいらのことは余り考えていないだろう。

 さっさと用を済ませて、また三人になりたいものだと、そんなことを思いながら、雪トは江戸の空を見上げるのだった。


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