第1章-15

「できたの!」

「これが、あの陰陽師のお面づらなの!」


 翌朝のことである。久那から筆と墨と紙を借り、また童姿に変化した信乃と毛乃はそう久那に紙を見せていた。

 描かれているものを見て、福禄屋裏長屋に住んでいる五人は、首を傾げる。彼らが集っているのは、他の部屋と比べるとやや広い晴秋の部屋である。

 ちなみに、福禄屋の持つ長屋の部屋は全部で八つあって、そのうち三つに晴秋と千次と妖の三人が今いることになる。

 晴秋ことお晴は、身内なのだから福禄屋の二階に住まえばいいとも火白は思ったのだが、そこには何か事情もあるのだろうと、何か言うことはしていなかった。

 ともかく、小さな子どもも含むとは言え、七人もの人間が、八畳ほどの部屋に集まったのだから、中は手狭この上なかった。その上、陰陽師の住まいらしく、火白たちにはさっぱり解せぬ模様が描かれた絵やら、漢字がずらずら並んだ本が、部屋のあちこちに広げられたり、積まれたりしている。

 それらに囲まれながら、晴秋はふむと頷く。


「これは、あれだね。方相氏の面に似ているね」

「ほうそうし?」


 火白が鸚鵡返しに尋ねると、千次が紙に描かれた六つの眼を指で示しながら言った。


「まあ、詳しくは省くけど、宮中で行われる儀式での役目の名前さ。鬼を追い払うための儀式でね、今私たちがやってる節分の源流とも言われている」


 だが、これは少し形が違う、と今日は狩衣姿になった晴秋は続けた。


「都で使っている、本物の方相氏の眼は四つだと聞いたことがあるんだが、これは六つある。本物ではなく、何某か己で改良を加えたのだろうね」

「その眼は、金色だったよ」


 稚児輪を結った、女の子どもの姿に化けた信乃が、言う。


「あとは、しゃくじょうも、持ってた」


 ぼさぼさ髪の小さな男の子に化けた毛乃は、筆でその錫杖の絵も描いた。


「それにしてもお主ら、絵、上手いのう」


 幼い小狐ながら、信乃と毛乃の絵はわかりやすく、綺麗に描かれていた。


「絵は、まきに習った」

「絵なら、われらは兄上よりうまいの」


 そうやって遊んだときを思い出してか、声が明るくなった小狐たちだったが、すぐしゅんと縮んだ。


「まきの絵は、もっとうまかった」

「われらは、あの絵が好きだった」

「まきの描くわれらと、兄上の絵」

「そうかい。だったら、おれも見てみたいの。お主らの兄を見つけて、真木嬢に描いてもらうとするか」


 方相氏擬きの面と、錫杖の絵が描かれた紙を取り上げながら、火白は何でもないことのように言った。ぱっと顔を上げた小狐たちの前で、火白は首を捻る。


「ううむ。しかし、こんな面をくっつけたやつが町を歩いておれば、めちゃくちゃ怪しいのう」

「そんなもんつけて、歩いてるわけないだろ。っていうか、それ、鬼を追っ払う儀式の面の真似なんだろ?あんたらは平気なのかよ」


 部屋の空間が足りないせいで、積まれた布団の上に座る羽目になっている千次が、相変わらずの仏頂面で言った。


「さあのう。まあ、大丈夫だろうて。おれたちは鬼だが、別に豆を嫌っている訳でもないし」

「節分の炒り豆とか旨いよな。あとはあれ、きな粉まぶした餅もな」

「陰陽師泣かせかこいつら……」


 平気の平左と言ったふうな鬼の主従である。

 今日は久那の肩の上に陣取るるりが、みぎゃあと声を上げた。早くしろ、と急かすようなその声に、よし、と火白は呟いた。


「昨日、おれたち三人で話してみたのだがの。真木嬢たちが住んでおった玉子稲荷の周りにいる妖に、話を聞いて回ろうと思うのだ。実乃狐と陰陽師は、かなり激しくやり合ったというし、そうであるなら騒ぎを見ていた妖のひとりや二人はいるであろうからの」

「ははぁ。人間相手の聞き取りの次は、妖相手か。……うむ、正直私も、妖同士の話は聞いてみたいんだけどね。私は昨日の続きの店巡りをしようかと思うんだよ」


 今は晴秋が預かっている退魔の刀に、染みついていた匂いがある。少し特別なその香を売っている店を見つければ、誰が買ったかがわかる。

最初の考えでは、そうやって買い手を見つけようということになっていたのだった。小狐たちが店を襲撃して騒ぎを起こした上に、彼らの身の上話が絡んで来て拗れたが、誰が香を買ったかという謎にまだ答えは出ていない。

 そしてのその誰かは、今回の犯人に繋がっているはずだった。


「あれから、もう一度調べてみたのだがね。刀そのものは、そこいらの店で求めれば手に入るものだ。つまり、ただの刀に退魔の術を込めたて、急ごしらえ退魔のものにしたってことさ」


 だから晴秋はそれを調べるという。


「じゃあ、俺も……」

「いやいや、千次は火白くんについて行きなさい。君たち、江戸の町の地理はよくわかっていないんだろう?」

「そうだな。誰かに案内してもらえれば、大いに助かる」


 しかし、晴秋ひとりで昨日のような店を次々に回らせるのも、どこか心配であった。


「ではせつ。お前は晴秋のほうに行け」


 不思議そうに顔を上げた従者に、火白は重ねて言った。


「昨日のように何かあるとも限らんだろ。お前は晴秋の手伝いだ」

「……主はどうすんだよ」

「どうするって、千次を借りて玉子稲荷に行くと言うたろ。久那は、引き続いて店にいてもらうことになるが……」

「はい。また何かが来てもいいよう、眼を光らせています。るりと一緒に」


 何も来ないのが一番だが、昨日の今日ということもあり得る。久那はそれでも、ふわりとした、見る者を安堵させる笑みを見せた。


「鬼のぃ。それでは、われらは?」

「われらも何かしたいの」


 そっくりな顔に、同じ思いつめた眼をしていう双子の狐である。火白は顎に手をやって、少し考えこんだ。

 正直なところ、火白たちより人間らしい振る舞いに慣れていない小狐たちには、長屋でじっとしていてもらいたかったのだが、これでは我慢できずに飛び出してしまいそうである。そうなったらなったで、昨日のように騒動を引き起こさないとも限らない。

 それまで黙っていた晴秋が、良いことを思いついたという顔で手を打った。


「では、小狐くんたちは、火白くんについて行けばいいじゃないか。聞き込みならば、人手……じゃない妖手がいるのではないのかね?」

「わかったの!」

「われらも土地にはくわしいから!」

「ぜったい役に立つの!」


 真木と兄のために何かしていないと、落ちつかないのだろう。腰の辺りからまたも飛び出している尻尾をぱたぱたと振りながら、双子は何度も頷いた。こうなると、是が非でも火白についてきそうだった。


「わかったわかった。だが、お主ら、人の形にはなるなよ。またいつどこで元に戻るかわからんからな。狐の姿で、おれの服の袂にでも入っておれ」


 はーい、とやたら元気に返事をした双子は、煙と共に一瞬で元の小狐に戻ると、火白の着物の左右の袂それぞれに、早速潜り込んだ。そのままそこに居座って、早く早くと急かし出す。


「うん、では、小狐くんたちの支度も済んだようだし。行くとしようかね、皆。一刻も早く、この事件を解決しよう」


 狩衣の白い袖を振って、晴秋が柏手を打つ。狭い部屋に響く乾いた音を合図にして、妖と人間が動き出すのだった。







*****







「そう言えば、前から聞いてみたかったのだが、お主は晴秋の弟子なのか?」


 玉子稲荷を目指して歩きながら、火白は隣を歩く千次にふと問いかけた。答えてくれないかとも思っての問いだったが、千次は意外にあっさり答えた。


「弟子って言うか、助手だ。僕のほうが晴秋より眼が良いから。僕が見て、晴秋に伝えて、それでどうするか決めるんだよ」


 晴秋は陰陽道の知識を蓄えており、妖には詳しい。学ぶことである程度感覚が鍛えられる呪術に関しては見抜く才があるが、天性の才能が重要な、妖を見る霊力に乏しいらしい。


「小間物屋の主の姉が、どうして陰陽師をやっているのだ?……ああ、別に何か複雑な事情とかがあるなら、答えんでもいいが」

「別に、隠すようなことじゃない。元々、福禄屋の家には妖が見える人間が生まれやすかったんだと。だけど、そういう人間って妖絡みの災いを呼びやすいだろ。だから、それをどうにかしようと先々代が色々調べ出して、孫の晴……お晴が嵌ってしまったんだと」


 元は先々代の道楽のような、学者のような、そんなふうであったらしい。だが、祖父に懐いていた孫娘がそれに首ったけになってしまったのだそうだ。


「お晴は五年経っても子ができなかったから、嫁ぎ先から戻って来た。ちょうどそのころにさ、幸七郎さんとお千絵さんの間に子どもができたんだよ」


 幸七郎とお千絵は、仲の良い夫婦だったから、子どもの誕生は誰もが待ちかねていたことだった。初産だったが、お千絵は元気に子を産み落としたのだ。

 しかし、生まれた子は双子だった。それも、男女の双子だったのだ。

 双子の男女は、心中した男女の生まれ変わりだという話がある。それにかこつけて、これは不吉だとそのようなことを言い立てる親戚が現れたのだ。言い出したのは、主にお千絵の家に所縁ある者たちだったという。

 お夏を仏門にやれば、という話も出たそうだ。福禄屋に奉公人がひとりもいないのも、そのときの騒ぎに原因があるそうだ。


「阿保らしい。前世は、そのように今世を歪めるためにあるのではないわ」


 珍しく、苦いものを吐き捨てるように言った火白に、少し驚いたようで千次は眼を細めた。それに気づいて、火白が頬をかいた。


「ああ、悪い。お主の話の腰を追ってしまったな」

「……構わないけど、あんたもそういうことで何かあったのか?」

「うむ。まあ、おれの家でも色々とあってな。昔の話だが」


 ふうん、と千次は雑踏の中を進みながら、鼻を鳴らした。小狐たちの重みを感じる袖を振りながら、火白もその隣を歩いている。

 魚を入れた籠を持つ、棒手振りの男を避けてから、千次は話を続けた。


「そのときに、お晴が溜め込んでいた知識で親戚たちの物言いを撥ねつけたんだと。僕は知らないけど、立て板に水の弁舌で、ごねていた全員を叩きだしたんだってさ」


 そこらの学者よりも詳しく、噺家よりも弁の立つ福禄屋の娘に舌戦でぼろ負けし、それきり親戚たちはいなくなった。

 それまで道楽と言われていただけの知識で、人を助けられるのだと思ったお晴は、それからあの陰陽師業を始めたのだという。元々、離縁されて塞ぎ込みがちだった姉を心配していた幸七郎は、ともかく姉が明るくなったことを手放しで歓迎したし、親戚たちを追い払ってくれた義理の姉に、お千絵も感謝した。

 それやこれやで、福禄屋の裏長屋になんとも怪しげな人助け屋ができたのだという。


「僕がお晴に会ったのもこのころだ。……それまで、僕はあっちこっちに住んでてさ」


 妖が見えたのを不気味に思った両親の手で、千次はまだ幼い時分に両国の見世物小屋に売られてしまった。何かにつけてすぐにぶたれ、飯もろくろく食わせてもらえないそこでの暮らしは辛く、とうとう耐えられないと思いつめて千次は逃げ出したのだという。

 何年かを物貰いや日雇いの仕事で暮らしていた千次は、ある日、妖退治を頼まれたものの、見えなくて困っている晴秋に出会った。そして、千次が口を出し、眼を貸すことでその一件は落着したのである。

 晴秋の貰う手間賃を分けてもらいたくて、千次は手を貸したのだが、彼女はそれよりも、これからずっと助手になってほしいと言ってきたのだ。眼の良い人を探していたのだと言って。


「……正直、僕みたいな素性の怪しいのに頼むなんて、阿保なのかと思ったけど」


 半信半疑でついて行ってみれば、福禄屋の面々は驚くくらいあたたかく千次を家に入れた。弟は、姉のやっていることを人助けとは思っていたが、やはりおなごひとりであちこちを駆け回る彼女を気に掛けていたのだ。

 本当に君に妖が見えるならば、手助けしてやってほしいと主から言われ、千次はそのまま引き受けて居ついたのである。


「あの店の人は、皆馬鹿みたいにお人好しだから、僕みたいなのも店に置けるんだ」


 そう、妖の見える少年は言った。

 妖である少年は、そうか、と頷く。


「なるほどのう。お夏と芯坊も見える質だが、元々そういう家だったのか」

「そういうこと。こっちの話は、これでわかったか?それじゃ、あんたらも自分のこと話せよ。僕が先に語ったんだから、自分たちだけだんまりは無しだぞ」


 にやっと笑う千次に、火白は肩をすくめた。


「元からそちらが狙いか。やけにあっさり語ると思えば」

「僕たちも、昨晩何の相談もしてなかったわけじゃない。あんたたちが、邪鬼じゃないのは気配でわかるけど、でも身の上は聞いときたい。あんたを信用してこっちが先に言ったんだから、そっちの番だぞ」


 したり顔の千次に、火白は嵌められた気分になった。彼だけでなく、晴秋や、ひょっとすると幸七郎もこれに噛んでいたかもしれない。

 だが、彼ら全員の前で語るよりも、千次ひとりに語ったほうが、気が楽なのは確かだった。あとで彼の口から、他の面々に伝わるにしてもだ。

 話を聞きつけてか、火白の袂がもぞもぞ動き、左右の袖から小狐の頭が二つ飛び出す。


「われらも、われらも聞きたい」

「めったに出て来ない鬼のはなし」

「珍しいもの」

「だから、われらも気になるの」

「お主らのう……。町中で口を利くなと言うたであろうが」


 眼を細めると途端に、小狐たちは袖の中に元通り収まる。だが、中でしっかりと聞き耳を立てているのが、気配で伝わって来た。

 目の前には千次がいて、火白が話始めるのを待っている。確かに、先に話されてしまったのに、下手にはぐらかしては信用されなくなるだろう。それは困るのだ。

 はて、どこまで話したものやらと、火白は頭をかくのだった。


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