第1章-13

 小狐たちは、語り始めた。


「われらの主は、陰陽師ではないの。わらべなの」

「狐と人の子。名前は真木まき

「われらと兄上は、真木の守り役」

「いっしょに遊んでた」

「ともに遊び、守るのがお役目なの」


 代わる代わる、途切れ途切れかつ矢継ぎ早に話すせいで、信乃と毛乃の話は大分聞き取りづらかったが、整理するとこういうことだった。

 信乃と毛乃、それに兄狐の実乃みのは、元はある狐の大妖の眷属として人里から離れて暮らしていた。その妖は、旧く力の強いあやかしで、早くに親を亡くしてしまった狐のきょうだいたちも、健やかに暮らせていたのだという。

 だが、当の恩ある大妖から、二年ほど前にひとりの人間の子どもを守るよう仰せつかったのである。

 人間の男と、狐の大妖の間に生まれた子どもで、名前は真木。

 妖と人の子ども、とそこまでを聞いたところで、久那が眼を見張ったが、彼女は何も言わなかった。

 ともかく、古来から狐と人の間に生まれた子は多くいる。中には、子ども可愛さに狐を守り役につけるものもいるのだ。

 そうやって巡り合った真木は、寂しい暮らしをしていた。人間の父は体を壊して亡くなり、妖が見えるせいで人から疎まれた。住んでいた村での細かな仕事を引き受け、なんとか暮らしているような有様だったのだ。

 人間の守り役などという役目をつまらないと思っていた狐の妖たちは、最初はただ影から守るだけでいいと思っていた。だが、毎夜寂しいと、寝床である筵の端を掴んで泣くような子どもを放ってはおけずに、結局姿を現すことになったのだ。

 狭い村では、どうしても妖の血が混じっているせいで真木は浮いてしまう。だから、妖力を使って村から離れた江戸での暮らしを始めたのだ。

 玉子稲荷の近くに住み、妖と人とで楽しく暮らしていた。出会ったときは、沈みがちな表情を浮かべることの多かった真木も、明るい笑顔を見せるようになっていたという。しかしその彼らの前に、突如怪しい男が現れたのだ。

 もう、ふた月ほど前のことだという。


「名前はしらない」

「陰陽師としか、なのらなかったから」

「でも、われらがあやかしと知っていた」

「つよいあやかしだから」

「捕まえて、くだにするって」

「くだ?」


 幸七郎が不思議そうな声を出す。お晴の横に座る千次が答えた。


「管狐……狐の式神のことだろ。つまり、その男は、あんたがたを捕まえて己の式神にしようとしたんだ」

「そう。あの人間、そう言っていた」

「われらはいやだと言った」


 断ると、その男は他に連れていた式神で、こともあろうに真木を攻撃して来たのだという。兄の実乃狐は応戦したが、とにかく式神の数が多く、真木と幼い弟と妹を守るのが精一杯。一瞬の油断を突かれて、捕まってしまったのだ。

 それでも、実乃は己が捕えられる代わりに、真木と信乃と毛乃を逃がした。

 ところが、小狐と少女がやっと逃げ切ったと思ったら、今度は真木が母である妖に連れて行かれたのである。

 人の血が強かったから、人の世で暮らしたほうが辛くないと思い、母である妖はそれまで真木を連れて行かなかった。だが、人はどうでもこうでも真木に災いを呼び込む。

 謎の男の襲撃で、母狐は真木を離さなくなった。信乃と毛乃は、それが嫌だったのだ。


「まきは、人間のところで生きたいって言ってた」

「ちちうえさまのこと、好きだったから」

「ははうえさまのところに行けば、人でいられなくなるから」

「だから、人の世にいたがったの」


 だが、それを小狐たちが母妖に言い立てると、彼女は怒った。守り役なのに、娘に怖い思いをさせたのは誰だと、怒りに触れてしまったのだ。母の情は、それだけこわく深かった。

 捕まってしまった実乃狐を助けるための手も、貸してはくれなかった。


「まきが止めてくれたから」

「われらは、毛皮にならずにすんだけど」

「でも、まきは、ははうえさまのところから出ないって言った」


 自分が母の下にいれば、少なくとも母狐の怒りは小狐たちには向かない。何とか苛立ちを解けば、実乃狐を助ける手段も得られるかもしれない。

 でも、でもでも、それはつまり、真木がもう人の世に戻らないということになる。

 妖の領域に長く長く住み着けば、人間は人間でいられない。命はあるけれど、その土地の空気や水に染められて、何か別の生きものになってしまう。


「われら、そんなこと望んでない」

「兄上が好きなまきも、望んでない」

「まきが好きな兄上も、望んでない」

「だからわれら、おのれたちで兄上をみつけようと思ったの」

「兄上が呼んだら、まきも、きっとははうえさまのところから出てくるから」


 そう、小狐たちは話を締めくくった。

 部屋の中には沈黙が満ちる。長い話の間に、外はとっくに暗くなり、行灯のぼんやりした灯りだけが座敷を照らしている。どこか遠くで、犬の吠え声と木戸番の打つ拍子木の乾いた音だけが響いていた。


「お主らの話はわかった。……大変な目に、遭ってきたのだな」


 火白が言うと、小狐たちの尻尾がしゅんと萎れた。俯きがちになった彼らの口から、ぽつぽつと言葉が続く。


「町に出て、いろいろさがした」

「でも、陰陽師はなかなかいない」


 人を避けて、人の寄りつかない破れ寺や、墓場の隅で眠るようになっていた小狐たちは、そこで曰くありげな品を盗んでいく人々を見るようになったのだという。


「これだと思った」

「あの陰陽師も、われらのことをめずらしいから捕まえると言った」

「あの盗人たちも、めずらしいから盗むと言った」

「陰陽師に見てもらって、あぶなくないなら売るのだと言っていた」

「だったら、あやつらのいる店に、なにか手がかりがあると思った」


 だが、まともに聞きに行っても、妖の小狐と見破って来た彼らは、話を聞いてくれるどころかいきなり捕まえようとしてきた。

 そんなことを繰り返すうち、小狐たちも学んだ。

 あいつらには、まともに向き合っても何にもならない。強盗まがいのやり方でもして、店から手がかりを探す方がよほど手っ取り早いのだと。


「ははぁ、それで連続襲撃事件をやっていたところを、火白くんたちに見つかったと」


 お晴の言葉に、信乃と毛乃はまた縮こまった。

 彼らにも、悪いことをしている自覚はあったのだろう。叱られるのを待つ子どものように、首を縮めた姿からそれはわかった。

 ただ、どうしてもどうしても、大好きな兄と人間の娘を取り返したかったのだ。もう二度と会えなくなるかもしれないと思うのが、怖くて、それでああする以外になかったのだろう。

 そんなときにひょっこり姿を見せたのが、火白である。

 易々と自分たちに追いつき、目の前に現れた彼は、小狐たちを振り払わなかったし、騙そうとしなかった。何より同じ妖だったから、信乃と毛乃は縋りついてしまったのだ。


「あなたは、兄上みたいに足がはやかった」

「屋根のうえをはしって追って来て」

「これがほんとの鬼ごっこだったと思った」

「すごくこわかったけど」

「こわかったけど」

「……うむ、怖がらせてすまぬ」


 二回も怖いと言われて、さすがに火白は頭を下げた。

 その走りに付き合わされた千次は、思い出したように口を開く。


「めちゃくちゃな走り方してたもんな、あんたがた。橋の上から跳び下りるわ、舟から飛び移るわ、屋根を走るわ。胃がひっくり返るかと思ったぞ」


 千次を抱えて走った雪トは、肩をすくめた。


「いやぁ、だってそいつらの脚が速くてさぁ。悪かったな、千次。次からはちゃんと運ぶわ」

「二度とごめんだ!」


 千次が、がおうと吠え、まったく悪びれていない様子でにやりと笑った雪トに食って掛かる。

 そのやり取りで、重くなった部屋の空気が、少しだけ和らいだ。


「あの、それでは、この店に呪いを送ったのは、実乃さんではなく、その怪しい陰陽師の男、ということになるのでしょうか?」


 久那が手を挙げて言うと、信乃と毛乃は尻尾で勢いよく畳をぴしぱしと叩いた。


「きっと、そう」

「ううん、絶対そう」

「兄上は、人を呪わない」

「われらは祟り狐ではないし」

「まきのことを好きな兄上が」

「人間を祟ったりするわけない」

「兄上に、やらせているやつがいる」

「だいたい兄上は、きれいなおなごすがたに化けなくなってた」

「ちゃんとした男のほうが、まきを守れると言って」

「おやおや、その実乃くんは、真木ちゃんに惚れているのかね」


 お晴の言葉に、幸七郎が呆れたふうに答えた。


「姉さん、出歯亀している場合ではないよ。うちを狙ったのがその陰陽師だと言うなら、姉上、同業者として何か知らないのかい?」

「へ?」


 言われてみれば、と一同の視線がお晴に集まる。妖と人、合わせて十二の眼に見つめられて、お晴は腕組みをした。


「同業者と言われてもね。私たちは御上からお墨付きを貰った者じゃないから、幸七みたいに寄り合いに出るわけでもないし……」


 これが幸七郎のようなお店者ならば、会合や何やらと付き合いもあるのだが、そういうものがある訳でもない上に、陰陽師やお祓い屋たちの中でも、小僧と女という組み合わせのお晴たちは、少しばかり浮いているという。

 加えてお晴は妖や幽霊がほとんど見えず、よく見える千次に頼って、己の知識と愛嬌で対処している。半端な霊力なのに、仕事は結構うまく回しているし、金払いの良い客に巡り合うことも多いし、きちんとした実家の後ろ盾もあるから、妬まれているのだ。


「だいたい陰陽師の仕事なぞあれなのだよ。妖退治とかそういう派手派手しいものなんてなくってね、なーんか肩が凝るから幽霊に取りつかれたんじゃないかとか、新築なのに家鳴りがひどいのは妖のせいなんじゃないかとか、そういう相談事が多いのだよ。そのときは幸七のツテで、いい医者と大工を紹介したら、それで済んでしまったし」

「陰陽師というより、頼まれ屋だの、お主」

「と、ともかくそんなもんなんだよ。まともな妖や幽霊に会ったことなんて、二回かそこらさ。舅と姑と夫の愚痴を聞いてもらいたくて化けて出た女幽霊とか、集会所の寺が取り壊されそうになって人を脅かしてた化け狸とか」


 まともな妖や幽霊とは一体なんだ、と火白は内心突っ込みを入れる。頬杖をついて、雪トが聞いた。


「そいつら相手にして、どうやったんだ?」

「離縁経験者の私が一晩愚痴につき合って飲み明かしたら幽霊は消えたし、化け狸のほうは幸七のツテで別の破れ寺を見つけて紹介したら、落ちついたよ。まあ、両方とも依頼主からお代はちゃんと貰ったんだけど」

「陰陽師の技、まったく使っておらぬのう……。いや、それで札を作っておることは凄いと思うが」

「いいのだよ!解決はしているのだからね!」


 確かにそうだが、解決の術と言えば弟のコネが主である。俗っぽい妖だと千次は火白に言ったが、これではどっこいどっこいである。

 その火白の考えを読んだのか、千次が口を開いた。


「いや、あんたたちは、気配だけ感じ取ったらかなり怖かったんだぞ。第一、額から角がにょっきりだ。そんなあやかしが、けろっと人を頼るって言ったんだぞ」


 あのときのことを思い出してか、彼はぶるりと肩を震わせる。

 話を区切るように、雪トがぱんぱんと手を叩いた。


「その話は置いといて。……お晴の姐さん、どうなんだい?何か思い出すことはないのかい?」


 お晴は思い出すように頭を抱えた。だがどうも、すぐには思い当たるような節はないらしい。

 今度は久那が、身をかがめて小狐たちに話しかけた。


「信乃さん、毛乃さん、その不届き者の人相はわかりますか?何か、特徴があれば絵に描いて皆さんに見てもらうことができますよ」


 小狐たちは互いに顔を見合わせる。


「ごめんなさい」

「われらは、見ていないの」

「面を被っていたから」

「お面の絵ならば、描けるのだけど」


 しゅんと項垂れる小狐たちに、久那がかぶりを振ってみせた。


「いいえ、きっと手がかりになりますよ。信乃さん、毛乃さん、人の姿に変化して、筆で描いてみませんか?」

「それならば、できるの」

「でも、われら、きょうはもう化けられない」


 朝から昼にかけて、ずっと化け通しだったから、もう今晩は疲れてしまって無理なのだという。

 よく見れば、ゆらゆらと頼りなさげに信乃と毛乃は体を揺らしていた。前脚で眼を擦っているし、三角の耳もぺたりと倒れている。眠気に負けそうになっているのだ。

 顔色が読めなかったから、誰も気づけていなかったが、彼らはまだ子どもの狐である。変化の姿を保てなくなるほどに妖力を使い切っていれば、眠くなって当然だった。


「……じゃあ、今晩はもう寝ようか。僕も明日の朝は早いしね。あっ、火白くんたちは、あの長屋の部屋、好きに使ってくれて構わないよ」

「それは有難い。助かる、幸七郎」


 いいってことさ、と幸七郎は薄くほほ笑み、それがこの日の終いの合図になったのだった。

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