第1章-9

「どうなってんだよ!」


 川にかかった橋の上に三人は並ぶ。時刻は既に、昼を周っていた。

 団子売りから買った団子を千次に差し出しながら、雪トが肩をすくめた。


「落ち着けよ。晴秋の姐さんから教えてもらった店は、あと幾つ残ってるんだ?」

「……三つ。って、この団子買う金、どこから出した?」

「小銭くらい持っておる。朝からつき合わせておるし、おれの奢りだ」


 それを聞いて、千次は驚いたように団子を頬張る火白の顔を見たあと、大きく口を開けて団子を齧った。


「吾輔さんのところも、寅吉さんのところも、狐にやられたみたいだけどさ。狐がいきなり人を襲うなんてあるのか?」

「おれたち鬼と狐どもは、あまり仲が良いとは言えぬから、よくは知らぬ。だが、この江戸でいきなり店に殴り込みをかけるとなれば、よほど切羽詰まっているのだろうな。狐は人を化かして、右往左往する様を見て喜ぶからの。化かしもせずに、いきなり殴り飛ばすなど普通はあり得ぬ」

「そうそう。殴り合いで決着つけたがるのは、俺たち氷上の里の鬼だよ。狐ってのは、知恵比べのほうが好きなもんさ」

「ふーん。にしても、あんたたちの里、物騒すぎるだろ」


 呆れたように呟いてから、千次はまた団子をひと口齧る。足元に広がる川面に向けた眼は、考え事を巡らせているからか、よく動いていた。


「店を荒らした理由はなんだと思う?」

「何か探しものがあったように見えたな。あやつらの店、狐のお宝に手を出しでもしたか?」

「そんなヘマはやらないとは思うんだけど……」


 ああいった店は、怪しげな香草や薬、護符以外にも、どこか寂れた寺や神社からいわくありげなものを彫り出して売りさばくこともやっているのだと、千次は続けた。


「盗品売買ではないか!」


 妖を怒らせるどころか、ばれたら刀で首の飛びそうな話である。

 千次は肩をすくめた。


「だから、こそこそやってるんだよ。尤もさ、江戸で陰陽師なんてもう数が少ないから、ああいう店の稼ぎの大半は、そういういわくありげな品を欲しがる大店とか、お武家さまたちの家から出てるって話だぜ」


 夜な夜な泣き出す壺とか、夜の闇で輝く仏像とか、そういうものを欲しがるもの好きもいるのだ。好事家というべきなのか、命知らずというべきなのか、火白は迷った。妖絡みの品や、人の恨みが込められたものに迂闊に触れれば、簡単に命を落とすこととてあるのだ。


「変わり種だのぅ。なんだってまた、そんなものに手を出すのやら」

「そりゃ、変わり種はどこにだっているだろ。鬼の里にもさ」


 それもそうか、と火白が苦笑したときだ。

 獣臭い臭いが、火白の鼻をついた。串に残っていた団子をひと口で食べきり、火白はもたれていた欄干から体を引き剥がして、後ろを振り返った。

 雪トも同じ臭いをかぎ取ったのか、身構えている。


「え?なんだよ、どうしたんだ?」


 千次にはまだ感じ取れていないのか、戸惑う声を上げた。


「臭いんだ。さっきの店で嗅いだのと、同じ臭いがするぜ、こりゃ」


 雪トが眼を細め、油断なく辺りを眺めながら答える。三人がいる橋の上は、かなりの数の人々が行き交っていた。橋を行く人々を眺めていた火白は、ふいに反転して、川の方を向いた。


「あれか」


 火白の鼻が指さしたのは、川べりを歩いている二人の子どもだった。遠目からは顔などはわからなかったが、赤い着物と青い着物をそれぞれ着た男女の子どもに見える。しかし、火白の鼻は二人から放たれる獣の臭いをしっかりと嗅ぎつけていた。

 だが、三人のいる橋から、川べりまではかなり遠い。まともに走っていては、雑踏に紛れて見失ってしまうだろう。

 己の立ち位置と子ども二人との距離を見定め、火白は決めた。


「よし、跳ぶか」

「は?ちょっ、あんた今なんて?」


 心得たとばかりに頷いた雪トが、さっと千次を担ぐ。次の瞬間、鬼の少年二人は橋の欄干を蹴っていた。


「待て、こらぁっ!」


 抱えられた千次から、悲鳴のような怒号が上がったが、妖二人は一向構わずに、川に浮かんだ舟の上に跳び下りる。かなりの高さから落ちて来た少年三人を受け止めることになった舟だが、かすかに軋んだだけだった。


「すまぬな、ちょいと足場にさせてもらったぞ」

「お、おう」


 眼を剥いている船頭に断りを入れながら、火白と雪トは次々舟を足場にしていく。


「ちょっ、どっ、お前らっ、なんでそんなことできんだよ!」


 俵のように雪トに抱えられている千次が、舌を噛みそうになりながら聞いた。

 風に飛ばされないよう声を張り上げながら、火白は答える。


「里に転がっておった本に軽巧というのが書かれてあっての。暇だったから、ちょっと頑張って習得したのさ」

「それ中華の技だよなぁ!」

「はっはっはっ。よく知っておるの」


 軽巧とは中華武術における鍛錬法のひとつで、極めれば常人の何倍もの高さまで跳んだり、水面や壁に立ったりもできるようになるという。氷上の里に転がっていた、古い書物に書かれていた鍛錬方法を、人間より遥かに高い身体能力を持つ鬼が、従者を巻き込みやり込んだ結果、火白も雪トも妖力に関係なく、様々な動きを行うことができるようになっていた。

 実際、二人はかなりの勢いで舟べりを蹴って移動しているように見えるが、舟はまったく揺らいでいない。小鳥が止まった程度の衝撃に抑えているのだ。

 だが、前後左右に振り回されている千次はその限りではなく、眼を回す寸前になっていた。


「おい!そこの童たち、止まれ!」


 空中で火白が叫ぶと、子ども二人はそれに反応して振り返る。人間離れした動きで、しかも人を担いだまま追って来る少年たちを見て、子どもたちはぱっと駆け出した。


「あっ、逃げた!」

「僕でも逃げるって!こんなんに追いかけられたら、怖いに決まってんだろ!」

「むぅ……」


 だんっ、と少しだけ強く舟べりを蹴って、火白と雪トは、陸地に跳び下りた。

八艘跳びの義経もかくやという動きをした少年たちには、通りすがりの人々が奇異の眼を向けるが、火白たちはそのまま子どもらが駆け込んだ路地に踏み込む。

 見れば、赤と青の着物の端が天水桶のある曲がり角に翻って消えて行くところだった。


「いいから、もう下ろせよ!」

「あんたが、ひとりで俺らより早く走れるってんなら、そうするんだけどなぁ」


 後ろでやり合う千次と雪トはそのままにして、火白は屋根に跳び上がった。屋根の上を飛ぶように走り、子どもたちの真正面に跳び下りると、両手を広げて立ちふさがる。

 逃げていたほうからすれば、空から急に眼の前に人が降ってきたようなものだ。二人は立ち竦む。よく見れば、男女の違いはあっても、彼らは間に鏡を立てたようにそっくりの顔をしていた。


「ようやっと捕まえた。なあ、お主ら、陰陽師たちの店を襲っておったやつらだろ?少々聞きたいことが……」

「きっ、『狐七変化・木ノ葉眼潰し』!」


 火白が口を開いた瞬間である、青い着物の男の子のほうが、袂に手を突っ込むと火白の顔に何かを投げつけたのだ。

 かなりの勢いで飛んで来た無数の礫のような何かを、火白はあっさりと手で叩き落した。少し手がちくちくしたが、何と言うこともない。叩き落したそれらを見れば、無数の笹の葉が地面に散っていた。


「なんだなんだ、江戸の者は初対面の相手の顔面に、物を投げつけるやつらばかりなのか?」


 護符を飛ばして来た晴秋といい、この時代の都会は物騒であるな、と火白は溢した。

 一方、葉を叩き落された子どもらのほうは、立ち竦んでいた。それも、思い切り怯えている。火白はしゃがみ込んで、できるだけやさしく見えるほほ笑みを浮かべ、穏やかに言った。


「狐の子だろ、お主ら。おれもほら、妖だよ」


 火白が眼を金色に光らせると、子どもたちの顔がほんの少しだけ緩んだ。


「あやかしなの?われらと同じなの?」

「身軽なあにさんは、陰陽師ではないのね?」

「陰陽師ではない。だが、陰陽師がどうかしたのか?」


 火白がきょとんと首を傾げると、子どもたちは甲高い声で唄うように続けた。


「陰陽師は、わるい奴なの」

「われらのあるじと、兄上をとったの」

「とり返すの」

「とり戻すの」

「ねえ、妖なら、手伝って!」

「ねえ、われらの兄上なの!」


 手伝って手伝って、と急に纏わりついてくる子どもらである。いきなり妖術をけしかけて来た相手の変わりように、火白は面喰った。


「ちょっと待て。待たんか、兄上とはなんのことだ?」

「兄上は、兄上」

「われらの、お兄ちゃん」

「きれいな毛並み」

「ふかふかの尻尾」

「あったかいの」

「いい匂いがするの」

「だから、連れてかれたの」

「あの悪い奴に」

「陰陽師に!」


 代わりばんこに喋り出した子どもたちは、駄々をこねるように地団太を踏む。よく見れば、彼らは裸足で、爪が不自然なまでに尖っていた。おまけに、腰の辺りに赤茶色の尻尾の影がぼんやり見えて、火白は慌てた。


「変化が解けかけておるぞ。尻尾は引っ込めておけよ」


 言うと、二人はぱっと腰を押さえた。


「失敗なの」

「われらは、化けるの下手」

「人間の姿も、そんなにもたないの」

「でも兄さんは、化けるの上手」

「だって、わからなかったもの」

「だから、手伝って!」

「あやかしのよしみで!」


 今度は、火白の両袖を引っ張り出す狐の子らに火白は面喰った。こうなると、乱暴に引き剥がすのも気が引ける。気のせいか、頭のてっぺんに三角形の耳が二つ飛び出しているように見えて来た。


「あ」


 止める間もない。呆気ない声を上げたのは、一体どちらだったのか。

 ぽふん、と気の抜ける音と共に、狭い通りにもくもくと白い煙が立ち込める。あとに残っていたのは、緑色の葉っぱが二枚と、赤茶色の毛並みの、火白の手のひらに一匹ずつ収まりそうな丸っこい小狐二匹だった。


「ばっ、ばか者っ!こんなところで……どわっ!」


 とっさに二匹を隠そうとしゃがんだ火白に向けて、子狐二匹はぴょーんと跳びついてくる。

 雪トと彼に担がれた千次が、裏路地に姿を現したのは、まさにそのときだった。

 やっと地面に降りながら、千次は目の前の光景に呆れた声を出した。


「あんた、なにやってんだ?」


 二匹の小さな狐に、両肩をがじがじと齧られている火白は、おれが聞きたいと軽く息を吐いたのだった。

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