第1章-8

 福禄屋は、江戸で最も栄えている通町から幾本隔たったところにある。近くには日本橋があり、棒手振りたちの威勢のいい声が響き、用事を言いつけられて通りを足早に行く奉公人たちの姿もある。

 その通りを、長い黒髪の少年、雪トと青いざんばら髪の少年、火白。それに茶色の髪の少年、千次は歩いていた。


「何で僕が……」


 仏頂面で溢しているのは、千次である。

 彼と妖の少年二人は、揃って晴秋のいう怪しげな店への聞き込みに出ていた。久那は店の守りのために離れることができないし、晴秋は福禄屋の様子を見るというので、一瞬で女物の着物を着て髪を整えて店に入ってしまった。

 幸七郎が言っていた、出戻りの姉というのは、晴秋ことお晴のことであったのだ。となると、同居人というのが千次になるのだが、息子には見えないし、かといってまさか恋人にも見えないしで、雪トにはなんとも判断がつかなかった。

 彼の横を歩いている火白は、珍しく眼を輝かせて街を眺めていた。


「のう、千次。あれは何だ?あの、赤い妙な形の看板だが!」

「あんなの、唐辛子の形した、唐辛子屋の看板に決まってるだろ」

「ではあれは何だ?あの男、派手な格好で歩いておる奴だ」

「あれは飴売りだ。他の飴屋と違ってるわけじゃない。格好が珍しいだけだ」

「ほー、そうなのか」


 面倒そうな口調で言われても、火白はまったく気にした様子がない。派手なひらひらした衣装を纏って、太鼓をがちゃがちゃ鳴らしている飴売りを眼で追いかけている。それでいて、雑踏にぶつかったりもせずに歩いているのだから、器用なものだった。


「おい、火白。あんまじろじろ見んなよ。田舎者と思われるだろ。雪トも、そいつの友達だってんなら、ちゃんと見とけよ。迷子になっても、僕は探さないからな」

「俺は友達っつぅか、従者だからねぇ。まー、それにしても、主のあれはちっとはしゃぎ過ぎだな」


 久しぶりの人里で浮かれてるにしたってな、と軽く言う雪トを、千次は不思議そうに見た。

 従者というのに、戸惑っているのかもしれない。普通、そう言った人間を連れているのは二本差しくらいだろうが、鬼の火白が武士である訳が無い。

 その会話を耳で拾い、数歩先で唐辛子屋の真っ赤な看板を眺めていた火白は振り返った。


「というか雪。その主と呼ぶの、やめぬか?おれたちのような小僧同士が主従者と呼び合っていては、怪しまれるだろう。名前で呼べ」

「はいはい。そんじゃ、火白な」

「それで頼む」


 といっても、どうせ彼ら三人は通りで浮いている。町人の十五歳ならば、どこかに奉公に出ていてもおかしくないはずなのに、三人とも髷すら結っておらずに着物を着流しているのだから。


「こっちだぞ」


 千次の案内で、裏路地に入り込む。昼でも暗い路地に入ると、喧騒はぐっと遠くなった。勝手知ったふうでずんずん進む千次の後を、火白が進み、そのさらに後ろを雪トが歩いていた。


「よく知っておるな」

「昔、ここらに住んでたからな。……なぁ、聞かせろ。あんたたち、妖なんだろ?なんで江戸に出てきた?僕も妖は見るけど、お前らみたいに人間そっくりに化けられる奴らなんて、知らない。下手くそな奴は、耳とか尻尾とかですぐわかるのに」


 疑いを含んだ声音だった。確かに、化けるのが上手い妖ほど力が強いのだ。晴秋のお札を引っぺがして突き返したことは、このとんがった目つきの少年にも衝撃だったらしい。

 それにしても、あのやたら元気な女陰陽師とこの少年との関係がいまいちわからない火白である。見た感じでは、晴秋には呪いや陰陽術に関する知識はあっても、妖しいものを感じ取る力がさほどないようだった。

 それをこの千次が補っているのだろうか。とするなら、些か妙だが、彼らはれっきとした協力関係なのかもしれない。


「おい、話聞いてんのか?」

「お、すまぬ。どうして江戸に出てきたか、だったな。……いやぁ、実はおれが里を追われたのだよ。ちょっと里のしきたりに従わぬと言ったら、親父殿に勘当されてしまってな」


 人喰いのしきたりのことまで言うつもりはなかった。言えば間違いなく怖がらせることになるのは、いくら火白が疎い性格をしていようがわかる。

 だからそこを抜かして、ざっと語ると、千次は一度黙り、今度は雪トに尋ねた。


「じゃ、雪ト。あんたはなんなんだ?こいつのこと、主って呼んでたけど」

「言葉通りだっての。昔に助けられて、以来仕えてるってだけさ。おれはまあ、妖が見える人間のみなしごだったからな」

「……そうなのか?」


 ずっと前を向いて歩いていた千次が、その言葉で興味を惹かれたように振り返った。

 間に挟まれた火白は、口にこそ出さなかったが珍しいと内心で呟いていた。

 雪トが己から生い立ちを話すことは、滅多にないからだ。それも、出会って一日も経っていない人間の子どもに。

 人間だったころの雪トは、妖が見えるせいで人里では浮いていた。そんなことは露知らなかった、何十年も前の火白は、人里にたまたま遊びに降りていた折に人の輪から外れたところにいる少年を見つけて、友達になろうとしたのだ。

 そこから色々と出来事が重なり、人間だった少年は、鬼になってここにいる。

 従者になんぞならんでいいのに、と鬼になった雪トに火白は言ったが、律儀なのかなんなのか、雪トは譲らずにこうなっている。


「もうずっと昔の話だけどな。あんたも、もしかして妖が見えるせいで色々あったのか?」

「……別に。それはもうどうでもいい。今は、晴秋の仕事を手伝うのが、俺の役目だから」


 再びぷいと顔を前に向けた千次を見て、雪トは火白にちょっと目配せした。親しみを込めているようにも、値踏みしているようにも見える。

 火白は息を吐いて、青い髪をかいた。


「ついたぞ、あの店だ」


 そこで、千次が立ち止まる。着いたところは、橋の下に作られた川沿いの粗末な小屋である。建物の周りに人気はなく、破れた障子紙が、川からの風に煽られて白い幽霊の手のようになびいている。


「おい、本当にあれが晴秋のいうやばい店なのか?廃屋の間違いではないのか、あれ」

「店なんだよ、あれで。目立つとまずいから、わざとぼろに見せかけてんだよ。いいからついてこい」


 知った様子で千次が引き戸に手をかけた瞬間である。

 呆気ない音を立てて、戸口のほうが内側に倒れこんだ。土埃が舞い、店の中の様子が露わになる。

 まるで台風が駆け抜けたように、店の中は滅茶苦茶になっていた。怪しげな図形が描かれた護符は、引きちぎられてただの紙屑になり、香木らしい木片は踏みつぶされたように、木っ端になっている。

 地面より一段高い板葺きの床は、土足で踏み荒らされたのか土まみれだった。


「……この店、これでも営業してんのか?」

「お役人の手入れにあったのかもしれない。怪しいもの、たんまり溜め込んでるから」

「いや、そういうわけでもなさそうだぞ」


 戸口で立ち竦んだ千次の横をすり抜け、さっさと店の中に入り込んだ火白は、板間の上に残った足跡を指さした。

 ぐちゃぐちゃに汚れた泥の足跡は重なってつき、元の形がはっきりわからないものも多かったが、いくらかはしっかりと残っていた。下駄やぞうりのものではない。それは、どう見ても獣の足跡だった。


「なんだ、これ?犬か?」

「いや、多分狐だろう。微かだが、臭いが残っておるからの」


 鼻をすんすんと動かして、店の中の空気を嗅ぎながら、火白が言った。そのまま、足元に眼をやる。


「うわっ!」


 驚いたように千次が跳び上がる。そこにうつ伏せで倒れていたのは、鼠色の着物を着た男だった。

 体を引っ繰り返してみれば、殴られでもしたのか、顎の下が赤く腫れていた。腕一本で軽々と男を抱え上げた火白は、比較的汚れていない場所の板葺きの床の上に、男を寝かせた。


「詳しいことは、こいつに聞けばよかろう。おい、お主、口は利けるか?」

「……み、みず」


 すぐに店の裏手に置かれていた水瓶から、雪トが柄杓で水を汲んで来る。柄杓を渡すと、男は喉を鳴らして飲んだ。

 口元を拭って、男はようやく一息つけたようだった。


「助かったぜぇ……。って、坊主お前、あの陰陽師先生んとこの助手じゃねぇの」

「どうも。吾輔さん。この店の有様はどうしたんだよ?」


 千次が尋ねると、吾輔と呼ばれた男は腰を押さえながら立ち上がった。まっすぐ立ってみれば、今の火白たちより背が高い。六尺(百八十センチ)ほどはあろうかという高さで、江戸の男たちの中ではかなりの大男になる。ちょうど、青年姿に変化した火白と雪トと同じくらいだった。

 しかし、今の火白と雪トは、五尺(百五十センチ)と少しくらいの背の高さに変化しているので、まともに向き合うと吾輔を見上げることになった。


「どうもこうもねぇ。戸を開けたら、いきなりがつんと来たもんだ。ひっくり返って頭打って目ぇ回しちまってよ」


 辺りを眺め渡して、ようやく店の惨状に気がついた吾輔は、うめき声を上げた。


「ひどいものだのう。それにしてもお主、狐を怒らせるとは、いったい何に手を出したのだ?」


 爺のような口調で話しかけられ、吾輔は火白と雪トの方を初めて見る。見慣れぬ少年二人に、吾輔は眼を瞬かせた。


「あん?誰だ、お前ら」

「おれは火白。こっちは雪トという。それにしても吾輔よ、狐に襲われるとは災難だったな」

「狐ぇ?」

「応。ほれ、床を見てみぃ。狐の足跡だ。それに狐の臭いが残っているだろう」


 懐手をして、大男に怯んだ様子も見せない火白に、店主はやや驚いたらしい。


「ここ、やばい品も扱ってたんだろ?化け狐の恨みでも買ったんじゃねぇのか」


 もうひとりの少年も、端正な顔ににやついた笑みを貼りつけている。奇妙ともとれる二人の少年を前にして、吾輔はちらりと千次を見た。


「こいつらは……えーと、晴秋の陰陽師仲間だ。ちょっとした呪をかけた奴を探してるんだ」

「晴秋姐さんに手がかりを追ってもらったら、この店で扱われている香が出てきてのさ。あんたに話を聞こうと思ってたが、それどころではなさそうだの」


 引っ繰り返された店内を見渡す雪トである。


「何か盗られたものはあるか?盗人狐の目当てが、お主の命でなくて良かったのう。あやつら、怒るとなると見境いがないから」


 歳を食った大人のような言い方の少年たちに、奇妙な者を見るような視線をくれてから、吾輔はぶつぶつと罵りながら、店の中を改める。

 少年三人は、足跡を改めて見下ろした。


「狐の妖が、人の店を襲う?聞いたこと無いぞ」

「だがの、他に考えようもあるまい。稲荷の小さな祠ならばそこいらにある。……だが、そうだな、後は管狐の線もあるか?」


 管狐とは、小さな管などに収まった、狐の式神である。陰陽師などが持ち歩き、人に憑りつかせたり、使いのモノとして便利に扱ったりする。


「人にも化けられるしのう。吾輔、お主、本当に何も覚えておらんのか?」

「ああ?」


 踏み砕かれた香木を拾い集めていた店主は、振り返って鼻を鳴らした。


「言ったろうが。見てねぇって。ほらお前ら、とっとと出て行け。この店の片づけをしなくちゃならねぇからよ」


 店を荒らされたことがよほど腹に据えかねたのか、剣呑な目つきになっている彼に、火白は肩をすくめた。これ以上聞いても、無駄になるだけだろう。


「邪魔したの」


 三人は店を出る。次に晴秋から聞いた店は、半刻も歩いた先にある、これまた粗末な船小屋だった。


「なんでお主らの馴染みの店は、川沿いにあるのだ?」

「やばいものを捨てるためだろ。……それより、変じゃないか、あの店」


 今度はいきなり店の中に入らず、三人は物陰に潜んで店の様子を伺った。先ほどと同じように廃墟手前のように装った小屋だが、こちらはなんと、わかりやすくも、板戸が弾けて外に飛び出ていた。


「おいおいおい、晴秋姐さんの教えてくれた店、まさか全部狐にやられてるんじゃなかろうな」

「そんなわけないだろ!……でも、これは確かめないと」


 店が壊されると、晴秋が陰陽師業に使う道具も買えなくなるのだ。

 足音を殺して、そっと三人は戸口に近寄る。今度も同じように荒らされており、やや奥まった板の間の上に、やはり男が倒れていた。


「寅吉さんじゃないか!」


 顔見知りに千次が慌てて駆け寄る。起こしてみれば、やはり彼も客だと思って戸を開けたとたん、顎の下辺りを殴られて倒れてしまったらしい。

 こちらも店の荒らされっぷりを目の当たりにして、すっかりそちらのほうに気を取られてしまう。小僧三人組は、またしてもろくな話を聞くことができずに、店から押し出されてしまったのである。

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