第1章-7

「よーう。話は終わったかい?俺、入ってもいい?」

「やかましいわ、とっとと入らんか」


 互いの気持ちを火白と久那が言い終えてからほどなく、一体どこに引っ込んでいたのやら、戸口のところに何食わぬ顔で現れた雪トに、火白は呆れ顔を向けた。

 彼の腕の中を跳び出して、久那の膝の上に着地したのは、るりである。

 主の膝に陣取ったまま、白足袋をはいた小猫は火白に向かってふしゃあと鳴いた。

 この猫又は、やたらと久那に懐いているせいか、火白への当たりがきついのだ。取られるとでも思っているのかもしれない。

 小猫の方にちょっと寂し気な眼を向けてから、火白はこほんと咳払いをした。


「ともかく、だ。人の中で暮らすには、住む場所とたつきを立てる方法がいる」


 奇しくも、ここにいる妖三人は皆、人間だった記憶があるから、すぐに頷いた。人間の世界で生きていくためには、住む場所と金が必要なことを皆わかっているのだ。

これが生まれながらの妖だったら、住む場所も金も人間から奪えばいいとでも言い出しかねない。

 人から畏れられるのは、妖に染みついた性のようなものだが、江戸でそのようなことを毎度やっていれば、退治されるのがおちだ。


「というわけで、仕事をくれそうな福禄屋に降りかかって来た災難を解決したいと思うのだが、どうだ?」

「どうっていうか、俺たちには他にツテがないだろ。それを守るためならやるしかねぇよ」

「はい。それに、あんな小さい子たちのいる家なのです。許せることではありません」


 妖三人の意志が固まるのも早かった。しかし三人とも、同心や岡っ引きのように捕り物などしたことがない。まして相手は、呪いがけもできれば退魔の刀を手に入れることも可能なのだ。


「だが、おれたちは、妖ではあっても呪が使えるわけでもないからの」

「氷上の里は、殴ったほうが早いってやつらばっかりだったからなぁ。ちまちました呪いがけの術なんざ、誰も知らなかったな」

「おれも、解呪の術は知っておるが、元を辿るようなことまではできぬし」

「人の技ですから、私たちの里でもそういった類の術に詳しい者はおりませんでした」


 いきなり詰まった三人である。

 飛んでくる呪いそのものは、福禄屋の近辺に幸招きの力を持った久那がいる限り抑えられるが、それでは根本的な問題を解いたことにはならない。

 うーん、と三人が考え込んだときだ。やおら、戸口が勢いよく開け放たれた。


「やあやあ少年少女、お困りのようだね!」


 日を背にして、入って来たのはこれまたなんとも奇妙な格好の若い女だった。白い狩衣を着、長い黒髪を後ろでひとつに束ねて、総髪のようにしている。これできりりとした表情をしていれば、それなりに様になったかもしれないが、女はとぼけたようなにやけ面をしていた。


「怪しっ」


 思わず火白が口走る。狩衣の女の顔が鬼灯のように赤くなった。


「ぶ、無礼だな、君は!私はこれでも陰陽師なのだぞ!家に入ろうとしたら、怪しい妖気がお隣に蟠っているから、覗いてやったというのに!」

「妖気、ですか?」


 山妖の姫は、小首を傾げた。その様子に勢いづいたのか、女はまだ続ける。


「そうともさ!妖というのは、どこにでもいるものだ!路地の闇、人の側、墓の奥!人に仇なす彼らを祓うのが私の役目さ!」

「おー、それは凄い凄い。で、陰陽師の姐さんや。その妖とやらはどこにいるのだ?」


 久那の前に出つつ、火白は笑いをこらえるような顔で問いかけた。途端、女陰陽師は自信を無くしたようにちょっと眼を細めた。


「えーと……そ、そこの、隅かね?ほら、如何にも妖のように私を見て唸ってる黒猫がいるだろ?」

「るりは私の猫ですけれど、あの、妖というのは……」

「単に、あんたの格好と勢いが怪しいから唸ってんだろ。というか、そもそもあんたは誰だ?幸七郎さんはお隣に愉快な陰陽師がいるなんて、言ってなかったぞ」


 雪トが問う。それに答えたのは、自称女陰陽師ではなかった。


「だから言ったろ。馬鹿にされるだけだって」


 皮肉げな言葉と共に姿を現したのは、十五歳ほどの少年だった。珍しい明るい茶色の髪をして、顔立ちは整っているが、感情の読めない仏頂面をしている。


「どうせこいつらも、妖なんて信じちゃいないだろ。視えやしないんだから」

「そうは言うけどね、お隣さんなのだよ。誑かされるのを見てるわけにはいかないだろう。千次」


 千次、と呼ばれた少年は、鬱陶し気に顔をしかめた。


「放っとけばいいだろ、相手にしたって、どうせ俺たちが笑われてしまいさ」

「そう言うなよ。君と同じ歳くらいの子たちじゃないか、ひょっとして、君と友達になってくれるかもしれないだろう」


 女陰陽師は、ゆさゆさと少年の肩を揺さぶる。見ていて飽きない二人組ではあったが、いい加減話を進ませねば埒が明かなかった。


「おーい、おいおい。お主ら、軒先でそう話し込むな。妖はわかったから、名前くらい名乗りおれ。呼び方がわからんではないか」

「おや、これは失敬。私は晴秋はるあき。見ての通りの陰陽師で、それからこっちの子は千次だよ」


 ふん、と千次は鼻を鳴らした。


「陰陽師というと、あの、吉凶を占い、式神を操る方々のことですか?」

「それなら俺も知ってるぞ。あれだろ、星を読んだり、呪いを扱ったりするやつら」

「うん、それだよ!そして私は、人に悪さをする妖を退治していてね!君たちの周りにもいるはずなのさ。だからそれを倒すから……」

「倒すから?」

「倒した分の金を払っておくれでないかい!正直、この商売はかつかつだからね」

「……そりゃそうだろうなぁ。というか晴秋、お主は妖を見ておらんだろ。それはそっちの千次の役回りなのではないか?」


 その一言に、横を向いていた千次の頬がさっと青ざめた。先ほどまでの冷めた表情が消え、怯えを含んだ顔で火白を見る。


「やっぱりか。しかし、幸七郎のとこの双子といい、お主といい、江戸には妖を見る者が多いのだのう。もっと本腰を入れて隠れるか」

「そうしたほうが良さそうだな、主」


 よっ、と弾みをつけて、雪トは立ち上がった。金色に光る粒が雪トの額に集まり、形を成す。


「晴秋さんとやら、妖について随分詳しいようだけどな、あんたはこのような面貌のやつのことを見たことあるかい?」


 皺ひとつない、滑らかな少年の額の肉を突き破り、長い黒髪をかきわけて生えているのは、象牙のような白い角だった。雪トの口角が、耳までにやりと吊り上がる。奥に金色の光を宿した黒い瞳が、とっさに動けない千次に向けられた。


「千次っ!」


 その額に貼りついたのは、晴秋が投げた短冊状に切られた紙である。


「逃げるんだよっ!」


 狩衣の袖を払い、晴秋は叫んだ。彼女が使ったのは、妖封じの護符である。並みの妖ならば、見るだけで退散とまでは行かずとも怯むはずだった。

 それでも千次だけでも逃がしたいと、眦を決した彼女の耳に聞こえたのは、明るい笑い声だった。笑っているのは、護符を貼られた妖の少年だった。


「ふざけるのが過ぎとるぞ」


 続いて、呆気なく護符がもう一人の少年の手で剥がされる。護符を持ったまま、青い髪の少年は晴秋に罰の悪そうな顔を向けて、頭を下げた。


「すまぬ。うちの者がやり過ぎた」

「はい……はい?」

「いや、だからの、おれたちは妖なのだよ。千次は見破っておったようだがの。ほれ、おれもな」


 火白も同じように角を出す。久那はるりにちょっと目配せした。猫はくるりと宙で回り、小猫の大きさから千次の腰の高さまでの大きさに変化した。


「ほらな。俺たちは皆、妖なんだよ。陰陽師の姐さん」


 ざざっと晴秋が砂を蹴立てて後退った。


「ま、まさか正体を見破ったからには、私たちのことを喰べるなんて話ではないだろうね?」

「そうだったら、とっくに頭から齧っておる。だが、少し困っておってな。陰陽師だというなら、手助けが欲しいところだ」


 悪い話ではないぞ、と火白は懐から煙管を取り出した。


「お主ら、ここの長屋の者ならば、福禄屋に世話になっている者だろう?彼らにちょっと災難が降りかかっておってな、それの解決のために陰陽師を探しているのだよ」

「そうだけど、それがどうかしたのかい?……いや、ちょっと待ってくれ。さっき幸七郎って言ってたね。もしや、幸七は君らのことを知ってて入れたのかい?」

「はい。福禄屋さんは、わたくしたちが妖ということをご存知です。お千絵さんや、芯太くんとお夏ちゃんもです」


 久那が言うと、晴秋は額を押さえて、戸口の枠に寄りかかった。


「何てことだい、身内が思い切り妖を引き入れていたとは……」

「引き入れるとは人聞きが悪い。というかお主は、あ奴の身内だったのか」


 珍妙な格好をしているので気づかなかったが、言われて見れば眉の辺りが似ていなくもなかった。千次がまた元の通りの仏頂面で付け足す。


「晴秋は、福禄屋の主の姉貴さ。だよな、おはる

「本名ばらさないでくれと前も言ったよね、千次!」

「知るか」

「お主ら、だから人の家の軒先で漫才はやめい」


 長屋の他の住人が来たらどうするのだ、というと、晴秋は胸を張った。


「心配ご無用。ここに住んでいるのは、私が言うのもなんだが、滅多なことで驚いたりしない連中ばっかりだからね。妖が三人増えたところで、今更驚くも何もないのさ」

「いや、あんた、すっげぇびびってたよな。まー、そっちの千次を逃がそうとしたのは凄ぇと思ったけどさ」

「そ、それは忘れてくれたまえ!だって驚くだろう、いきなり角が生えて来たんだぞ!」


 怪しく戸口に現れたときの雰囲気を吹っ飛ばして、白いたっぷりした袂をぶんぶんと振り回す晴秋ことお晴を見て、久那がくすくすと笑い声を漏らした。


「というかそれ、全然効かなかったのかい?かなり頑張って作った護符だったんだけど」

「これ、お主の手製なのか。確かに、若い獺や貉なら尻尾くらいは出すだろう」


 ますます手伝ってもらいたいと言うと、晴秋は、腹をくくったのか肩をすくめてさっさと上がり込んだ。


「手伝ってもらいたいというなら、まずどういうことなのか説明が欲しいところだよ。こちらの身内に関わる話かい?私たちは、ひと月ばかり野暮用で江戸を離れていたから知らないのだけど」


 ああ、それでか、と火白は納得した。芯太が寝込んでしまったのは、十日ほど前と言うから、この二人は福禄屋に起きていたことを知らなかったのだ。


「そうだよ。晴秋さん。あんたの甥っ子に関わる話さ」


 雪トが事の経緯をざっと説明すると、晴秋の顔色が変わった。そのまま駆け出そうとするのを、火白が止める。


「落ち着け。お主が陰陽師姿で表から血相変えて駆け込んだら、客がどん引くぞ。芯坊ならば、飯を食って駆け回っておったから、案ずるな」

「そうなのかい。それは……良かったよ。ああ、本当に」


 ほっとしたように、板がむき出しになった床の上に、晴秋は腰を下ろした。


「じゃあ、私は君たちにお礼を言わなければならないね。私の甥を救ってくれて、本当にありがとう。君たちが呪とかけた奴をとっ捕まえようというなら、無論のこと一緒にやらせてくれ」


 真摯に言う晴秋に、火白は頷いた。誘っておいてあれだが、自分たちは妖と陰陽師という取り合わせである。だが、彼女はそこらは随分と柔軟というか、妖だから問答無用で滅すべしというような怖い退治屋でもないようだった。

 その隣に、久那が膝をついて問いかける。


「あの、晴秋さんは、陰陽師なのですよね?でしたら、呪いをかけた者を探すことはできないでしょうか?」

「んん?君たちは妖だろ?こう、妖力でささっとできないのかい?」

「無理だのう。あの呪いは人の作ったものだ。知識がない」

「じゃあ、あんたたち何ができるんだよ」


 まだ突っ立たままの千次は、つっけんどんに言った。

拗ねたような鋭い目つきで睨まれているが、火白たちは皆、伊達に長生きはしていない。十五そこらの子どもに睨まれても、腹立たしさは感じなかった。が、千次からすれば己が子どもと思われていると感じれば、ますます腹を立てるだろうから、考えを悟られるつもりもなかった。

 雪トが軽い口調で言う。


「変化だなぁ。後、俺はできないが主は呪いを剥がすことはできる。力も強いぞ」

「そうです、火白さまと雪トさんはすごく強いのです」

「ありがとうの、久那。……だがの、要するに、おれたちは腕っぷしは強いが、呪のことについては知らなんだ。だから、誰かを探そうと思っておったところだ」

「妖のくせに、人を当てにするのか?」

「ああ。無論だぞ。己ができないのなら、できる者を探せばならんだろ。此度は特に、人の命がかかっておるしのう」


 それに加えて、自分たちの住処が手に入るか否かもかかっているのだから、必死になろうというものだ。

 恥ずかし気もなく人を頼ると言った、自分と同じ歳ほどに見える青い髪の妖の少年に、千次は虚を突かれたようだった。


「勝手にしろよ」


 ぷい、と腕組みをした千次は、それでも帰る気はないのか、晴秋の横に腰を下ろした。

 と、そこで周囲の物音も聞こえないほどに考え込んでいた晴秋が顔を上げる。


「ええと、妖くん。確かに、陰陽のことを知っていると自負しているけどね。呪の手がかりが何もないというのはきついのだ。何かないのかい?」

「応、あるぞ」


 火白は袂から、小刀と黒い鱗を一枚取り出した。


「これは?」

「刀は幸七郎が押しつけられた退魔の刀で、鱗は呪を解いたときに、そいつだけが残ったのだ。呪詛の核か何かだろ。あ、それから名乗りもしておらんかったの。おれは火白だ」

「俺は雪ト」

「私は久那と申します。こちらはるりです」


  妖三人の名前を、晴秋は覚えようとするかのように繰り返した。


「火白くんに、雪トくん、それに久那ちゃんか。凄いなぁ、私、初めて妖と名乗りを交わしたんだよ。……あ、真名を明かすと呪って来るとか、そういう術を使って来る妖かい?」

「しねぇって、お晴姐さん」

「晴秋と呼んでくれよ、この格好のときはさぁ!」


 とりあえず、雪トの後頭部をどついておく火白である。ふざけ好きなのはいいのだが、協力者に断られては堪らないのだ。


「うちの連れがまたもすまん」

「いいんだよ。だがね、それにしても、刀に鱗かぁ」

「鱗のほうは、呪を斬ったときに残ったものだ」

「斬ったって、え、何で?」

「そっちの刀でだ。退魔の刀なら呪もいけると踏んで斬ったら、斬れた」


 基本、火白がやると力技での解決になるのだ。


「うーん。蛇の黒鱗か……。ああ、これは巫蟲の術のようだ」


 そう言いながら、晴秋は鱗を指で挟んで摘み上げると、日に透かすようにかざした。


「晴秋さん、素手で触れて大丈夫なのですか?」


 るりを膝の上に乗せたまま、久那は問いかけた


「大丈夫さね。そこの火白くんがよっぽど上手く斬ったようで、もう呪はかかっていない」


 呪は、元を正せば他人に厄災を齎すようにと捧げられた祈りという話もある。その念を人にとり憑かせて、障りを出すのだ。その障りは、ちょっとした不運のときもあれば、病や死そのものである場合もある。


「これに使われたのは、恐らく呪いとしては有名どころの巫蟲の術だ。これは数多小動物を集め、殺し合わせて残った最後の一匹を呪術に利用するという代物でね。そうやって残ったモノには、喰らわれたモノの怨念と、喰らいつくさねば己が喰われるという執念とが溜め込まれ、混ぜ合わされて、我が強く他者を喰らわねば、喰い殺されるという衝動を持つ、凶悪かつ哀しいモノが出来上がるのだよ。元の生き物がなんであったかは関係なく、そういう衝動を持つ別種の生き物になるんだ。これを利用するのだから、巫蟲の術とは因果なものだよ。しかも呪の技がこれひとつというわけではなく、これ以外にいくらでもあるのだよ。例えば……」

「待て待て!わかったから、ちょっと止まれ!一目でそこまでわかるのが怖いぞ、お主!」


 いきなりの早口である。

 慣れているのか、千次は呆れ顔になり、妖の三人は軽く引いた。我に返ったのか、乗り出していた晴秋は居住まいを正した。


「……えーと、私は生きてる妖を見るのは上手くないんだけど、人のつくった呪を見るのは大得意なのさ」

「左様か」


 陰陽師の眼力にも向き不向きがあるのか、と火白は初めて知った。晴秋は咳払いして続ける。


「とにかくだね。君が持ってきたのはそんなふうに造られた呪で、様々なモノが絡みついて蛇の形になっていたのだろう。それを君がばっさり怨念ごと斬り落としたから、これ自体に最早呪いの気配はない」

「ふむ?ふーむ?」

「晴秋。全然わからんって顔してるぞ、こいつ」


 千次にそう言われても、火白は斬れそうだったから斬っただけなのである。そこまで眉をひそめたくなるような呪詛とは、思いもよらなかった。


「つまり火白さまは、斬ることで浄化をなされたのですか?……呪の核になって生かされていた命を、刀で斬ってあの世へ送り、浄化をされたと」

「そういうことだね。まぁ、火白くんが山田浅右衛門よろしくばっさりと斬ってしまったから、絡みついていた怨念全部跡形もなくあの世へ行って、正真正銘ただの鱗になってしまったようだから、これでかけた奴の痕跡を辿るのは無理くさいね!」

「駄目ではないか!」


 やらかした張本人だったが、火白は思わず突っ込んでしまう。しかし、いやいやと晴秋は首を振った。


「火白くんは善いことをしたのだよ。多くの命を恨みと共に溜め込んで呪詛にされたこの生き物たちは、苦しかったはずだ。その彼らを、皆斬ることであの世に送ったのだからね。君は鬼みたいだけど、どっかで心技体揃った剣術修行でもしてたのかい?そういえば君たちは、どこ生まれだい?」

「田舎の山奥だよ。鬼の里さ。剣術は一通りやらされてたけどな、俺も含めて」


 答えたのは、火白でなく雪トである。

 氷上の里の名は出さないほうが良いと思ったのだろうと、火白も頷くだけにしておいた。幸七郎には知られているようだから、いつかばれるかもしれないとしてもだ。

 晴秋はそれで納得したのか、今度は剣を取り上げた。


「だが、諦めることはない。こっちの短刀には手がかりがある。軽くだが、鞘に独特の香の匂いが残っているからね」


 ほら、と言われて妖三人も嗅いだ。火白と雪トには鼻に刺さる臭いとしか判断できなかったが、久那には何か感じ取れたようで、微かに顔をしかめていた。

 妖並みかそれ以上に鼻の利く自称陰陽師の女に、内心火白は驚いていた。或いはそれは、香の匂いに普段から気を遣い、親しむ女性陣と、そうでない男どもの差だったかもしれないが。


「これは……獣脂に松の実、それに麝香でしょうか?それに、また別の匂いがありますね。毒に思えますが」

「うん、久那くんの鼻は鋭いね。そして私には、こういう呪術に使う用の香や護摩を造っている店には、いくつか心当たりがあるよ。中でも麝香を扱う店は珍しい。……尤も全部、非合法なので聞いて素直に教えてくれるかが微妙なんだよねぇ」

「しかしのぅ、手がかりはそれだけなのだろ?だったら聞いて回るしかあるまい」


 それを聞き、雪トは鼻を鳴らした。


「まだるっこしいなぁ。さっさと角でも見せたらしゃべくってくれるだろ」

「聞くというか、単なる実力行使だよね?脅してるよね?」


 白い眼になる晴秋である。火白は無言で、雪トの後ろ頭を叩いた。


「あだっ!何すんだよ」

「何すんだよ、ではないわ。お前なぁ、晴秋や千次の紹介で、二人の行きつけの店に行って、妖の本性見せたら後がややこしくなるであろうが。初っ端から脅してどうする。今少し穏便に行くぞ」


 手間はなくなるかもしれないが、後々尾を引くやり方は、火白は好きではなかった。

 かなり放っておけない従者の頭をもう一度軽く叩いて、ふと気づくと、千次が眼を丸くしていた。


「お前、妖のくせに俗っぽ過ぎるだろ」

「なんだ、そりゃ?」


 人間二人に驚かれ呆れられつつ、結局その通りの作戦を実行することになったのだった。

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