8-1

 さわやかな初夏の風が、薄いカーテンを揺らして、開いた窓から舞い込んできました。

 かすかに海の匂いがします。


 ちひろは、ゆっくりとまぶたを持ち上げました。


 白く明るい天井が見えます。

 自分の部屋ではありません。


 視線をゆるゆると動かして、室内を見渡してみます。

 白い壁、白いカーテン、白いベッド。

 どうやら、ここは病室のようです。


「おっ、気が付いたか!」

「テツさん」


 テツさんはベッドの側に駆け寄ると、ちひろの頭をぐしゃぐしゃと撫でました。

「気分はどうだ。痛むところはないか?」


 ちひろはがばっと起き上がりました。


「町は?【赤い月】はどうなったの? 父さんは? 桐生さんは? みんな無事なの?」

「おいおい、落ち着けよ」

「オオカミ人間は? 桂城は? それから、それから……」

「落ち着けってば」

 テツさんは困ったように笑っています。


「町は無事だ。【赤い月】は消滅した」


「桐生さん! ご無事だったんですね」

「ああ。洋館が爆発したときは、正直ヒヤリとしたぞ」


 その時起こったことを、桐生が話してくれました。


 桂城にはあと一歩のところで逃げられてしまったこと。

 途中で隼人が現れたので、ちひろの援護を任せて自分は町へ向かったこと。

 派遣されてきたヒーローたちと一緒に、町の人たちを避難させていたこと。

 その途中で大きな爆発音がして、山から火の手が上がったこと。

 急いで駆け付けると【赤い月】は跡形もなく消滅していたこと。


 そこには、ちひろ一人だけが倒れていたこと――。


「父さんは……」

「星崎隼人の姿はなかった。お前のそばにこれだけが落ちていた」


 そう言って差し出されたのは、黒く焦げてしまった小さなコインでした。


「爆発の時、父さんは僕をかばってくれたんだと思います」

 誰も、何も言いませんでした。テツさんは、じっと瞳を閉じていました。


 突然、病室の扉が勢いよく開きました。


「なんだよ、みんなで暗い顔してさ! 生きてりゃまた会えるって! な、ちひろ!」

「カズマ!」


 カズマは、にしし、と笑っています。

 その変わらない笑顔が、どれほど懐かしかったでしょうか。

 ちひろの目に、涙がじわりと滲んできました。


「よかった、カズマ。よく生きてたね」

「当たり前だろ! 俺はまだ伝説のヒーローになってないんだぞ。こんなところで死ねるかよ」


 ちひろは、ふふっと笑いました。

「いつもそれだね、カズマは」


「おう。だからさ、ちひろの父ちゃんも絶対生きてるって。あんな強い人が簡単にくたばるわけねえもん」

「俺も同じ意見だ。恐らく、星崎隼人は無事でいる。何も心配することはない」

 桐生タケルはそう言うと、立ち上がりました。


「学園への報告は、俺の方からしておこう。お前は体を休めるがいい。ヒーローにとって、休息は束の間だ。しっかり休んでおけ」

「桐生さん、もう行ってしまうんですか」

「ああ。次に会うまでに、お前たちがどれだけ強くなっているか、楽しみにしていよう」


 扉の前で立ち止まると、桐生タケルは少しだけ笑いました。

「星崎ちひろ。今回の働き、見事だったぞ」


 ちひろが言葉を返す前に、桐生は病室から出て行ってしまいました。

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