6-4
地下道を走り抜け、階段を一段とばしに駆け上がり、校庭を突っ切って、ちひろは塀を飛び越えました。
息が上がって、肺がぐっと苦しくなりますが、それでもちひろはスピードを上げて走っていきます。
さっきまでの胸の痛みに比べたら、こんなもの、何ということはないのです。
追手はついてきません。
テツさんとブロッチが、上手に引き付けてくれているのでしょう。
ちひろは、側道に入ったところで立ち止まりました。
海辺の町まで、ワカバウイングで飛ぶつもりでした。
電車で二時間の町まで、ちひろのヒーローオーラでは届かないかもしれません。
それでも、電車に乗っている暇はないのです。
「行くぞ」
ちひろは、息を大きく吸い込むと、右手をヒーローバングルに重ねました。
その時です。
大きなエンジンの音が近づいてきます。
振り返ったちひろの前で、サイドカーのついた大きなバイクが、土煙を上げてとまりました。
「どこへ行く」
「桐生さん」
桐生タケルはバイクから降りると、ちひろに正面から向かい合いました。
空は次第に赤みを増し、たなびく雲の底の方にはもう、淡い紫色がにじみ始めています。
「今夜は新月だ。ニセモノの月を打ち上げるには、最適だろうな」
「ええ。先を急ぎますので、これで」
「質問に答えろ、どこへ行く」
「海辺の町へ」
「何のために」
「町を、悪の手から守るためです」
ちひろは、しっかりと桐生タケルの目を見つめて答えました。
「海辺の町には俺が行く。貴様など、足手まといだ」
「いいえ、行きます」
「忘れたのか、貴様はヒーロー失格だと言ったはずだぞ。あの町に貴様の居場所などない。必要とされていない場所に、なぜ向かう?」
「『約束したから』です」
「ほう」
桐生タケルは、にやりと笑いました。
「誰と約束したというのだ。今はいない相棒か? それとも、町の女性か、子供たちか? いずれにせよ――」
「自分自身と、です」
夕暮れの澄んだ風が、ふたりの間を吹いていきます。
ちひろは言いました。
「俺は、ヒーローになる道を自分で選びました。明確な理由はなかったかもしれない。強い信念があったかと言われれば、そう言い切れるほど覚悟もなかったと思います」
桐生タケルは、じっと黙っています。
ちひろは続けます。
「でも、今なら言える。誰からも必要とされていなくてもいい。誰にも知られなくたっていい。俺は自分で決めたことを、中途半端で投げ出したくない」
ちひろは、キッと顔を上げました。
「俺はあの町を守りたい! 俺は、海辺の町のヒーローだ!」
ぽろぽろと、熱い涙がこぼれてきます。
ちひろは、右手をヒーローバングルに重ねました。
その手を、黒いバイクグローブが、そっと押さえました。
「無駄にヒーローオーラを使うな。決戦はまだ先だぞ」
「桐生さん?」
「いいから、さっさと涙を拭け」
桐生タケルが笑っています。
ちひろは、あわてて袖で涙をぬぐいました。
「よく覚えておけ、星崎。ヒーローはいつも『強く、優しく、カッコよく』だ。どんな時でも、情けない顔を見せてはならん」
「はい……っ!」
ちひろは片方の手のひらで顔を覆ったまま、しっかり頷きました。
指の間から、抑えきれない涙の粒が、きらきらとこぼれ落ちていきます。
桐生タケルの大きな手が、ちひろの肩を力強く叩きました。
遠くから、大勢の人の気配が近づいてきます。
おそらく追手が来たのでしょう。
桐生タケルはちひろに向かってヘルメットをひとつ、投げました。
「乗れ、星崎ちひろ!」
ちひろはヘルメットを頭に押し付けながら、バイクのサイドカーに飛び乗りました。
「待て!」
「脱走者を捕まえろ!」
口々にそう言いながら駆け寄ってくる本部の連中をあっという間に引き離し、バイクはうなり声を上げて走り出しました。
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