6-1
痛いくらいの沈黙が、あたりに満ちています。
ちひろは静かすぎる空気の中に沈んで、膝を抱えて座っていました。
薄暗い部屋も、重苦しい鉄格子も、すぐに気にならなくなりました。
それよりも、海辺の町がどうなっているのか、気が気ではありませんでした。
かんなは大丈夫でしょうか。
子供たちは無事でしょうか。
ブロッチ総帥、ブラックパンジーのメンバー、定食屋のおばちゃんやアパートの大家さん。
海辺の町で出会った人たちの顔が、次々に頭に浮かんできます。
(みんな、無事だろうか)
桐生タケルは、まだあの町にいるのでしょうか。
彼はさすらいのヒーローですから、もう去ってしまったかもしれません。
(もしそうなら、誰が海辺の町を守るんだろう)
その心配は無用だと、すぐに気付きました。
ちひろたちの代わりに派遣されたヒーローが、きっと町にいることでしょう。
オオカミ人間が現れたのなら、応援部隊だって来ているはずです。
それに、今のちひろはヒーローですらありません。
何の力もないのにかけつけたところで、邪魔にしかならないでしょう。
(そもそも、ここから出られないんじゃ、どうしようもないな)
そう思って、忘れようとしました。
でも、無理でした。
胸の中で心配事がむくむくと大きくなって、次々とわいてくるのです。
ちひろは、心臓のあたりをぎゅっと掴んで、目を閉じました。
(眠ってしまおう。そうすれば、もう考えなくていいんだから)
カチ……
硬い小さな音がしました。
ポケットから、小さなコインが落ちたのです。
コインは黒く汚れて、傷だらけになっていました。
でも、こんな暗がりの中でも、きらりと光っています。
オムライスかハンバーグか。ケーキかパフェか。右か左か。進むか戻るか。
迷うといつも、カズマはコインをはじきました。
『だから俺は、迷わないんだ』
ニッと笑ったカズマの顔が、ちひろの目によみがえってきます。
ちひろはコインを拾いました。
冷たい感触が、指先から伝わってきます。
おもむろに、ちひろはコインをはじきました。
くるくると舞い上がったそれは、ちひろの手のひらの上に落ちてきます。
「表か」
もう一度、ちひろはコインをはじきました。
さっきより高くまで跳ね上がると、コインはまっすぐ落ちてきます。
「また表」
もう一度。
今度は裏を向きました。
次に表が出たら、海辺の町のことを忘れよう。
ちひろはそう決めて、再びコインをはじきました。
銀色の光を残して、コインは宙へと飛び出していきます。
やがて落ちてきたコインは、表を向いていました。
のどの奥の方が、ぐっと詰まるような感覚がしました。
知らないうちに、ちひろは唇を噛みしめていました。
コインの表面が、ちひろの手のひらの上で冷たい光をたたえています。
ちひろはもう一度、コインをはじきました。
落ちてきたコインは、また表を向きました。
「もう一回」
また表です。
「もう一回」
また、表。
『貴様はヒーロー失格だ』
『見損なったわ』
耳の奥底から、声がよみがえってきます。
忘れようと決めたのに。
コインだって、表ばかり向いて『忘れろ』と言っているのに。
自分が駆け付けたところで、どうにもならないと分かっているのに。
「もう一回」
涙がこみ上げてきて、視界がにじんでいきます。
また表が出ました。
「くそっ……」
ちひろは、爪がくいこむほど強く、こぶしを握りしめました。
『お兄ちゃんたち、ヒーローなの?』
『かっこいい!』
『本物だ!』
『ビーム出して!』
耳の奥底では、今も子供たちの声が聞こえています。
『でも、助けてくれたわ。ありがとう』
かんなの安心したような笑顔が、まぶたをよぎります。
「くそっ!」
コインは、またも表です。
「くそっ! こんなところで、俺は何をやってるんだよ!」
ちひろは、コインを強くはじきました。
落ちて来たコインが、ちひろの手のひらで跳ねました。
「あっ!」
コインは硬い音を立てて床に落ちると、鉄格子の向こう側へと転がっていきます。
手を伸ばしましたが、届きません。
牢の外で、コインは冴え冴えとした光を放っています。
「くそぉ……っ」
鉄格子を掴んだまま、ちひろはがくりとうなだれました。
その時です。
「全くだよ。キミは一体、こんなところで何をやっているのかね」
あきれたような声がして、黒い手袋がコインを拾い上げました。
「ブロッチ総帥! どうしてここに?」
「うむ、ちょっとな」
ブロッチの背後から、もうひとつの人影が、ひょいと顔を出しました。
「学園の外でウロウロしてたから、ついでに連れて来たんだ。ちひろ、ケガはねえか?」
「テツさん!」
ブロッチの手からコインを取り上げると、テツさんはニッと笑いました。
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