5-1
大粒の雨が、地面を激しく叩いています。
時折、薄暗い空を稲妻が走り抜け、すさまじい雷鳴があたりを揺さぶります。
テツさんの店にも、朝からお客さんはひとりも来ていません。
テツさんはカウンター席に座って、のんびりコーヒーをすすりながら新聞をめくっていました。
ちひろが村に戻ってきたと聞いてから、もう一週間が経ちました。
まだ一度も、店には顔を出していません。
ちひろにとってこの店は、カズマとの思い出が多すぎるのでしょう。
ここへ来るには、もう少し時間が必要なのかもしれません。
「雨、止まねえなあ」
テツさんが、ため息まじりのひとりごとを言った、その時。
カラン、カラン
扉のベルが鳴りました。
「いらっしゃ……」
珍しく、テツさんの言葉が詰まりました。
男が立っていました。
黒いパーカーがぐっしょりと濡れて、髪の先から水のしずくが、ポツ、ポツと床に落ちていきます。
テツさんは黙って立ち上がると、カウンターの裏へ回りました。
そしてタオルを何枚かわしづかみにすると、それを男の胸元に突きつけました。
「とりあえず、拭けよ。店が水浸しになっちまう」
男はタオルを受け取ると、ずぶ濡れになったパーカーを脱ぎました。
「適当に座ってくれるか。こんな天気じゃ、どうせ誰も来ない」
テツさんはフライパンを手に取ると、何も聞かずに料理を始めました。
男は、さっきまでテツさんが座っていたカウンター席に腰かけました。
窓の外が激しく光り、重い雷鳴がとどろきました。
雨がごうごうと降っています。
ゴトン、と、カウンターの上にお皿が置かれました。
とろんとした半熟卵がなんともおいしそうな、金色のオムライスです。
注文などしていないのにと、男はけげんな目を向けましたが、テツさんは知らん顔です。
少し迷っていましたが、やがて男は左手にスプーンを持つと、ホカホカの玉子をすくって、口へと運びました。
そして、だんだんと夢中で食べ始めた男の横顔を、テツさんはちらりと横目でうかがいます。
変わっていません。十七年前と同じ姿です。
左の頬に、まだ新しい大きな傷が痛々しく残っているほかは、昔のままです。
男はオムライスを食べ終えると、ポケットを探って小銭を数枚、カウンターに置きました。
そして、何も言わずに立ち上がると、まだ濡れているパーカーを羽織って、扉のほうへと向かいます。
「待ちな」
テツさんの言葉が、雨音よりも強く響きました。
「本部とは別のルートからの情報でな。先週、星崎ちひろと一条カズマを襲った男は、若い頃の星崎隼人にそっくりだったって話だ」
男は何も言わず、背を向けたまま立っています。
「新人とはいえ、ヒーローふたりをまとめて叩きのめすほどの強さだ。ただのそっくりさんとは思えない。だけど、隼人が敵に寝返るはずがない。十七年前に何があったのか、なぜ若い姿のままなのかは分からないが、恐らく隼人は記憶をなくし、敵に操られている――と、俺は思ってた。だが、違ったんだな」
男はゆっくりと振り返りました。
「お前、ちゃんと覚えてるじゃねえかよ。『テツさんの特製オムライス、五百八十円』ってな」
テツさんは残念そうに笑うと、指先でカウンターの小銭をつつきました。
無造作に置かれた小銭が、チャリチャリと小さな音を立てます。
テツさんの言う通り、それは五百八十円ありました。
メニューも見ずに、そんなキリの悪い金額を払う人などいるはずがありません。
そう、常連のお客さん以外は。
「二年前から、ウチのメニューは全品、ドリンク付きになったんだ。悪いが、飲み終わるまで帰さねえからな」
テツさんは、まっすぐに男の目を見つめています。
窓の外が光って、空を引き裂くようなものすごい音がしました。
どこかに雷が落ちたようです。
男は――星崎隼人は軽くため息をつくと、やがて観念したように、カウンター席に座りなおしました。
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