4-9

 いつの間にか、すっかり日が暮れていました。


 薄暗い廊下を、蛍光灯の冷たい光が照らしています。

 ちひろは下を向いたまま、先生の足音について歩いていきます。


 ふと、先生が足を止めました。


 ちひろが顔を上げると、先生の肩越しに、背の高い男性が立っているのが見えました。


 その顔を見たとたん、ちひろの頭の中のもやが消し飛びました。

 一条恒彦――カズマのお父さんです。


「一条さん、この度は我々の力が及ばず、申し訳ございません」


 烏丸先生がそう言って、深々と頭を下げました。

 震え始めた唇を強く噛んで、ちひろもがばっと頭を下げました。


「顔を上げてください、ふたりとも」

 カズマのお父さんは、静かな声で言いました。


「カズマは、絶対にヒーローになるんだと言って聞きませんでした。私も『お前のそそっかしい性格では危険だ』と言って、あいつの意見は聞いてやりませんでした。親子そろってガンコ者でね。結局いつも、話は平行線でした」


 ちひろは頭を下げたままで、じっと聞いていました。


「あいつが自分で選んだ道です。もう何も言うまいと、私も決めていました。それで万が一、何かあったとしても、何も言うまいと――」


 そこで声が震えて、言葉が途切れました。


 少しの沈黙の後、カズマのお父さんは再び口を開きました。

「おふたりに責任はありません。どうか、お気になさらないでください」


 ちひろは顔を上げると、ポケットからコインを取り出しました。

「これ、カズマが大事にしていたものです。一条さんにお返しします」


「……カズマはまだ、こんなものを持っていたのか」

 カズマのお父さんは、少しだけ驚いた様子で言いました。


「このコインは、私がヨーロッパに研修にいったときのおみやげに、子供たちに渡したものなんだ。もうずいぶんと昔のことだよ。上の息子たちはあまり興味がなさそうだったが、カズマだけはそれをずいぶん気に入っていてね」


 カズマのお父さんは、コインを乗せたちひろの手を、そっと上から押さえました。


「これは、君が持っていてくれないか」

「えっ、でも……」

「あいつは無鉄砲で、無計画で、ひとつのことに夢中になると他のことが目に入らなくなる。君にもきっと迷惑をかけただろう」


 ちひろは黙って左右に首を振りました。

 迷惑をかけていたのは自分の方です。

 優柔不断なちひろを引っ張ってくれたのは、いつだってカズマだったのですから。


「カズマの相棒でいてくれて、ありがとう。君が無事で本当によかった」

 そう言って、カズマのお父さんは深く頭を下げました。


 そして歩き始めます。

 ちひろたちの行く方向とは逆に向かって、少し早足で遠ざかっていきます。


「……行こう、星崎」

 烏丸先生は短くそう言うと、ゆっくり歩き出しました。


 ちひろは乱暴に涙をぬぐうと、先生の後をついて出口へと向かいます。

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