4-7

 どれくらい時間がたったでしょうか。


 太陽はすっかり午後の顔をして、あたりをさんさんと照らしています。

 空はいっそう青さを増して、どこまでも晴れ渡っています。


 カズマは見つかりませんでした。


 父に似た男も、どこにも見当たりませんでした。

 服の切れ端も、靴の片方だけでも、どんなに探しても、何も見つかりませんでした。

 ただひとつ、銀色のコインを除いては。


 ちひろは地面にぺたりと座り込んで、もう一ミリも動けなくなっていました。

 考える力も、もうありません。

 小鳥たちのさえずりさえ、ちひろの耳には届いていませんでした。


 背後から足音が近づいてきました。

 それでもちひろは、振り返ることもできないまま、その場に座り込んでいました。


 やがて足音は立ち止まりました。

 少しの間をおいて、足音の主が口を開きました。


「子供は無事だぞ、少年。先ほどご両親が迎えに来て、家へ帰った」


 現れたのがブロッチ総帥だと分かっても、ちひろはうつむいたままでした。

 返事をする力さえ、今はありません。


「ここは危険だ。少年、立てるかね」

 ブロッチが手を差し伸べました。


 ちひろはやっと、ゆっくりと振り返りました。


「帰ろう。キミは少し、休むべきだ」


 ちひろは何も考えられないまま、差し出された手を掴みました。

 ブロッチは、その手を引いて山道を下りはじめました。




 ちひろの頭は、考えるという能力をまるでなくしてしまったようでした。


 今、自分が何をしているのか、どこを歩いているのか。

 自分は何者なのか、なぜこんなところにいるのか。

 そんなことさえも、分からなくなっていました。


 足は鉛のように重く、体はあちこちズキズキと痛みます。

 手を引かれるまま歩くこと以外に、今のちひろにできることはありませんでした。


 山を下りる間、ブロッチは何も言いませんでした。

 ちひろは何も話していませんが、何があったのかは察しているようでした。


 やがてブロッチが手を離し、肩をぽんと叩きました。

「着いたぞ、少年」


 ふたりは、山道の入口まで戻ってきていました。


 ちひろがのろのろと顔を上げると、目の前にはかんなと、その後ろには桐生タケルが立っていました。


「どういうつもりよ、光太郎君を森に置き去りにするなんて。それがヒーローのやることなの?」


 かんなはきつい目でちひろをにらむと、吐き捨てるように言いました。


「光太郎君、ずっと森で泣いてたのよ。あなたに置いて行かれたって、怖くて怖くて震えてたのよ。何かあったら、どう責任を取るつもりなの?」


 ちひろは何を言われているのか、理解できないでいました。

 それくらい、全く頭が働いていなかったのです。


 かんなにはその様子が、まるでとぼけているように見えたのでしょう。

 かんなはキッとちひろを見据えると、右手を振り上げました。


 バチンと、乾いた音が響きました。


「ヒーローなんて言われて、いい気にならないで! 子供たちを危険な目に合わせて、手を引けと言われたのに無視して、あなたたちって結局、自分たちが手柄を立てたいだけじゃない!」


「……勝手なことばかり言わないでよ」

 ちひろの口から、そんな言葉がこぼれました。


「なんですって?」

「いいよね、先生は。好き勝手言ってるだけでいいんだから。自分たちは守られて当然だとでも思ってるんでしょう」

「なによ、それ。どういう意味?」


「自分たちを守るために、誰かが犠牲になったとしても、どうせ何とも思わないんでしょう。いい気になるな? 手柄を立てたいだけ? 何があったかも知らないくせに、勝手なことばかり言わないでよ!」


 涙の粒が、かんなの目の端からいくつも流れ落ちていきます。

 おろおろしているブロッチの横をすりぬけて、桐生が前へと歩み出ました。


 次の瞬間、大きなこぶしが、ちひろの頬を思い切り殴りました。


 体がバランスを失い、ちひろはその場にがくりと膝をつきました。

 左の頬がジンと熱く痛み、口の中にざらりとした血の味がにじんできます。


「どんな理由があろうとも、貴様はヒーロー失格だ! さっさと村へ帰るがいい。その情けない姿で、二度と俺の前に現れるな!」


 桐生は強い調子でそう言い残すと、くるりと背を向けて去っていきました。


 かんなも涙をぬぐうと

「見損なったわ」

 とだけ言って、桐生の後に続いて行ってしまいました。


 ブロッチもいつの間にか姿を消していました。

 ちひろは膝をついたまま、自分の影を見つめていました。


 せめて泣けたら、楽になれるのかもしれません。

 けれど泣けません。

 心は悲鳴を上げ、大泣きしているのに、体はそうしてくれません。


 息をするのも苦しくて、ちひろは胸を押さえました。


 背中には暖かな日差しが降り注いでいます。

 今はそれが、ひどく残酷なことのように思えます。


 ちひろはしばらく、立ち上がることさえできませんでした。

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