2-5

 カラン、カラン、と扉のベルが鳴り、新聞を眺めていたテツさんは顔を上げました。


「こんにちは」

 扉をよいしょと開けて、愛梨が顔をのぞかせます。


「よう! 愛梨ちゃん、久しぶりだな。今日はどうした?」

「お昼ごはん、ここで食べたくなって。オムライス、くださいな」

「はいよ、ちょっとお待ちを」

 ニタッと笑うと、テツさんは厨房に引っ込みました。




「こないだ、ちひろから電話があったぜ。元気にしてるみたいだな」

 細かく刻んだ野菜を手際よく炒めながら、テツさんが言いました。


「そうそう。悪の組織が現れたって言ってたわ。こっちは心配してるのに、なんだか楽しそうに笑ってるんだもの。困った子よね」


「はっは。まあ、聞いてるかぎりじゃ大した相手じゃなさそうだ。ちひろとカズマも、そう簡単に負けたりしねえだろうさ」


「だといいけど」

「大丈夫だよ、近々帰るって言ってたぜ……っと。ほら、お待たせ。特製オムライス一丁!」


 テツさんは、ホカホカのオムライスを愛梨の前に差し出しました。


「わあっ! いただきます」

「どうぞ」


 愛梨は一口ほおばると、おいしいと言って笑いました。昔と変わらない、ほっこりと優しい味です。


「隼人の奴も、よくオムライスを食いに来てたなあ」

「そうね。ここのオムライスだけは譲れないって言ってた」


 愛梨は少し目を細めて、店の中を見渡しました。もう二十年も前のことを、懐かしく思い出しながら。


「俺ね、ちひろを見てると、いつも隼人を思い出すんだよ。ちひろは父親似だからさ」

「あら、そう? そんな風に言うの、テツさんだけよ」

「そうかい?」

「ええ。みんな、ちひろは私に似てるって言うわよ」

 首をかしげながらも、愛梨は少しだけ嬉しそうです。


「しかし愛梨ちゃんも、よくこんな田舎に嫁いで来たもんだよ。俺たち、本当にびっくりしたんだぜ? あの不愛想な隼人が、こんなべっぴんさんを連れて帰ってくるなんてさ」

「もう、またそうやってからかうのね」


 愛梨はテツさんをちょっとだけ睨みましたが、すぐにおかしそうに笑い始めました。


「でも、あの人が真っ赤なバラの花束を抱えて家に来たときには、私もびっくりしちゃったわ」

「そのアイデアを考えたの、俺だよ。インパクトあっただろ?」


 テツさんは、にしし、と笑いました。


「あの花束、九十九本あったのよね」

「そう。『百本めのバラの花は、死ぬ前の日に贈ります。それまでどうか、俺のわがままを聞いてください――結婚しよう』ってね。プロポーズならこれで完璧だって言って、烏丸たちと一緒になってけしかけたんだよ。まさかその通りに言うとは思わなかったけど」

「後で、あの人が言ってたわ」

「何て?」

「テツさんなんかに相談するんじゃなかった、って」


 テツさんは手を叩きながら、涙が出るほど笑いました。




「今考えても、さすがにちょっとキザすぎるわよね。でも嬉しかったわ」

「女の子はそういうのが好きだねえ」

「うん。でもね、花束も嬉しかったけど、それだけじゃないの」


 愛梨はふわりと笑いました。


「あの人が、テツさんや烏丸先生や、たくさんの仲間に支えられてるんだって分かって嬉しかったの。ああ、この人は孤独じゃないんだなって思って。私、それがとっても嬉しかった」


 テツさんは優しく微笑んで、その言葉をじっと聞いていました。そして、愛梨の前にコーヒーカップを静かに置くと、言いました。


「あいつもどこかで元気にしてるさ。きっとまた、ここに戻ってくるよ」


 愛梨は小さく頷くと、カップに唇を付けました。

 コーヒーの優しい香りが、そっと愛梨の鼻先をくすぐっていきました。

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