2-3

「助けて! かんな先生!」


 黒ずくめ男が、ひとりの園児を抱え上げています。

 同じ服装の男がさらにふたり。


 そしてもう一人、黒いマントをなびかせ、左目を眼帯で隠した男が、勝ち誇ったように笑っています。


「うははははは! さあ、どうする? こぎつね幼稚園の諸君!」

「光太郎くん! ちょっと、その子を離しなさいよ!」


 先生と呼ばれた若い女性は、今にも噛みつかんばかりの形相で男を睨みつけています。


「フン、離せと言われて簡単に離すわけがないだろう……ちょっとキミ、手に持った箒を下ろしたまえ。怖いじゃないか」

「下ろせと言われて簡単に下ろすわけないでしょ! さっさとその子を離しなさい!」

「うっ、そんなに睨んだって無駄なんだからな! なんといっても、こちらには人質がいるんだぞ。うははは!」

「この卑怯者! 何が目的なの?」

「我々は悪の組織だよ。悪いことをするのが目的に決まっておる」

「へえ、身代金の要求でもしようってわけ?」

「そんな卑劣なことは考えておらん! 悪には悪のモラルというものがあるのだ」

「知らないわよ、そんなこと。いいからさっさと手を離しなさい!」


「ふん! お遊びはここまでだ。お前たち、この幼稚園を破壊しろ!」

「イエッサー!」


 黒ずくめの部下たちが嬉しそうに雄たけびを上げた、その時でした。


「やめろ!」


 ちひろは一気に距離を詰めると、子供を抱えた男のアゴめがけて、手のひらを突き上げました。

 男は「きゃん!」と悲鳴を残して白目をむき、その場に倒れました。

 子供を抱きとめると、ちひろは眼帯の男へと向き直ります。

 あと二人の部下たちも、もうすでにカズマの足元に転がっていました。


「なんだ、お前たちは!」

 眼帯の男が、厳めしい声で訊ねます。


「お前らこそ何者だ」

 カズマも鋭い表情で、男を睨んで言いました。


「フッ。何者か、だと?」

 よくぞ聞いてくれた、と、男はちょっと嬉しそうです。


「われらは悪の組織、ブラックパンジー! 私はその総帥、ブロッチだ!」


 再び高笑いする男の前で、ちひろとカズマは顔を見合わせました。


「悪の」

「組織」


「そうだとも……ん? 何だ、そんなに目をキラキラさせおって。何が嬉しいんだ、もっと怖がれ! だいたい、貴様らこそ何者だ!」


 ちひろとカズマは同時に一歩、前へ出ました。


「俺たちは!」

「新人ヒーロー」


 せーの、で叫びます。

「ワカバマン!」


 バッ、と、ふたりはポーズを取りました。

 この一か月、考えに考えてきた決めポーズ――ヒーローサインを。


「ワカバマン、だと?」

 そう言うとブロッチは「うははははは!」と笑いだしました。


「何がおかしい!」

「フン! やけにいきのいい小僧どもだと思ったら、ヒーローとはな! 今日のところは見逃してやろう。だが次に会ったときが、お前たちの最期だ!」


 ブロッチはそう言い捨てると、三人の部下をたたき起こして、小走りで去っていったのでした。



「……変身する暇がなかったね」

「……そうだな」


 ひざのあたりを小さく引っ張られて、ちひろは視線を落としました。

 さっき人質にされていた子供が、ちひろをじっと見上げています。


「キミ、大丈夫だった?」

 ちひろはそう言って、子供の頭をポンポンと叩きました。


「お兄ちゃんたち、ヒーローなの?」

「そうだよ。まだ新米だけどね」


 ちひろが答えると、その子はぱあっと笑いました。


「すごい! かっこいい!」


 その声を合図に、子供たちがわっと押し寄せてきました。


「カッコいい!」

「すごい!」

「本物だ!」

「ビーム出して!」


 もう大騒ぎです。大勢の子供たちに抱きつかれ、ちひろは目を白黒させています。


「ほら、みんな! いいかげんにお兄さんたちから離れなさい! そんなに大勢でぶら下がったら、お兄さんたち疲れちゃうわよ!」


 よく通る元気のいい声が、りんと響きました。ちひろは思わず顔を上げました。


 黒い大きな目はいきいきと輝き、後ろでひとつにまとめられた栗色の髪が、風に柔らかく揺れています。

 少し日に焼けた肌に、金色の小さなネックレス。白いポロシャツがよく映えています。

 手にはまだ箒を握りしめていますが、ちひろと目が合うと、彼女はにこっと笑いました。


「さっきはありがとうございました。助かりました」

「あっ、いや。どうも……」


 どうしたというのでしょう。ちひろは自分の頬が、かーっと熱くなるのを感じました。


「ヒーロー、とおっしゃってましたけど……」

「怪しいものではありません、ご安心ください。それでは失礼します!」


 ちひろはそれだけ叫ぶように言うと、正門目がけて一目散に駆け出しました。


「おい、ちひろ!」というカズマの声が聞こえた気がしましたが、それどころではありません。

 これ以上ここにとどまっていたら、きっと心臓が爆発してしまいます。


 どこをどう走っているのか、ちひろにはもう分かっていません。とにかく走りました。

 熱くなった頬が、なぜだか緩んできます。でたらめの歌でも大声で歌い出したい気分です。

 頭の中で花火がばんばんと破裂しているような、変な胸の高鳴りをどうしていいかわからないまま、ちひろは全速力で走り続けました。

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