1-3

 玄関のドアに手をかけると、家の中から香ばしい匂いが漂ってきます。

 ちひろは勢いよくドアを開けました。


「ただいま!」

 

「おかえり、ちひろ」

 母がリビングの扉から、ひょこっと顔を出しました。


「今日はカレー?」

「正解よ。早くカバン置いてきなさいね」


 そう言ってにこっと笑うと、母はキッチンへと戻ります。

 ちひろは一段とばしに階段を上ると、自分の部屋にカバンを放り込みました。




 ちひろがリビングへと降りてくると、母はちょうどカレーをよそっているところでした。

 テーブルの横の棚には、写真立てが置かれています。

 それは、星崎家でただ一枚だけの家族写真。ちひろがまだ一歳のころの写真です。


 幼いちひろを抱いて満面の笑みを浮かべた母と、少し困ったような顔で母に寄り添う青年――伝説のヒーローとまで謳われたそうですが、写真の中の父は、ごく普通の若者にしか見えません。


 あまり自分とは似ていないと、ちひろは思います。

 周りの人の言う通り、自分は母親似なのでしょう。


 ちひろの知る父は、その写真の姿だけです。

 この写真を撮ったわずか二か月後に、父は姿を消してしまったのです。


 何があったのか、誰も知りません。

 任務遂行中だったのか。事件に巻き込まれたのか。

 生きているかどうかさえ、今もわからないままです。


「ねえ、母さん」

「なあに? はい、ごはんできたわよ」


 いただきますと言って、ちひろはスプーンを手に取りました。

 ですが、いつものようにカレーにがっつくこともなく、気が付くと写真の方をぼんやりと眺めてしまっているのでした。


「どうかしたの? 写真ばっかり気にして」

「ねえ、父さんってどんな人だったの?」

「とっても素敵な人よ。当たり前でしょ、母さんの旦那様なんだから」

「またそんなこと言って」

「だってホントだもの。強くて、優しくて、カッコいい人! でも、ちょっと不器用なところがあるわね」

「ふーん」


 ちひろはやっとカレーをひとくち、口に運びました。


「父さんはどうしてヒーローになったんだろう。母さん、知ってる?」

「さあ、どうしてかしら。この町に生まれた男の子はみんなヒーローを目指すから、なんとなく自分もそうなったんじゃないかしら」

「それだけ?」

「きっかけなんて、そんなものよ」


 拍子抜けしたちひろを優しく見つめて、母はふふっと笑いました。


「もうすぐ、ちひろもヒーローになるのね」

「うん」


 コッチ、コッチ、コッチ

 壁掛け時計の音が響いています。


「母さん」


 ちひろが何か言う前に、母はにっこり笑って言いました。


「一条君が一緒なんでしょ? だったらきっと楽しくなるわ! あなたたち、いいコンビだもの」


 そうやっていつも、ちひろの不安や心配事など、母にかかればあっという間に笑い飛ばされてしまうのです。

 ちひろは苦笑いを浮かべるしかありませんでした。


「俺、母さんにはかなわない」

「当たり前でしょ。母は何よりも強し、よ!」


 母はちひろのコップに熱いお茶を注ぎながら、そう言って笑いました。


(きっと父さんも、母さんにはかなわなかっただろうな)


 写真の中の父は少し困った表情のまま、写真の前のちひろを見つめ返すばかりでした。

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