535 雪の降る町 私たちは、どこまで歩いていけるかな?

 雪の降る町


 君(あなた)がいる。幸せな時間だ。


 私たちは、どこまで歩いていけるかな?


 思い出は永遠に私の中に残らない。いつかは私の中から消えてしまう。(色褪せてしまう)でも、それでも私は、この思い出が綺麗だと思う。素晴らしいと思うのだ。


 朝、目をさますと、世界は真っ白な色に染まっていた。

 毎年、見慣れた冬の風景だ。

 世界は雪に埋もれて、家も、道も、田んぼも、なにも見えない。(かろうじて山と川があるとわかるくらいだった)

「降ったね」

 富田真由美は言う。

「うん。降った。結構降ったね」台所で朝ごはんの用意をしていた真由美のお母さんは起きてきた真由美にそういった。

「雪かきする?」

「今、お父さんがしている」お母さんが言う。

「手伝おうか?」

「ううん。大丈夫。一人でやるって言ってたし」真由美を見て、にっこりと笑って真由美のお母さんはそう言った。

 それから真由美はお母さんの手伝いをしながら、朝の支度をして、朝ごはんを食べて、そして、「いってきます」を家族のみんな(元気な犬のコタロウにも)にいってから、家を出て自転車に乗って、学校に向かった。

 山奥にある学校までの道のりは遠い。

 しかも雪の積もった日は、本当に大変だった。

「よいしょっと」

 真由美は家々のみんなが、雪かきをして、なんとか車や自転車が走れるようになっている道路を自転車を漕いで学校までの道のりを急いだ。

「おはよう、真由美」

 すると、後ろから同じように自転車に乗って、親友の奥田春日が言った。

「真っ白やね」春日が言う。

「本当。もうやんなっちゃう」笑いながら、真由美は言う。

 二人の吐く息は白い。

 季節は冬。

 世界は見渡す限り、真っ白。

 それは、雪深い山奥の町にある、普通の、いたって日常のありふれた風景だった。


 どうして私のこと、じーっと見てるの? 好きなの?


 私は君に笑顔でベーと舌を出して、あっかんべーをした。(すると君は私に、なんだかすごく変な顔をした)


 真由美が浦野清くんと出会ったのは、小学校時代のある晴れた春の日の午後だった。


「浦野くん。本当になんでも頑張るよね。どうしてそんなにいつも一生懸命に頑張っているの?」と真由美は本当に不思議そうな顔をして聞いた。

 時刻は放課後。

 みんなが帰ったあとの、空っぽになった小学校の教室の中に生徒は二人しかいない。

 真由美は一人で残って教室の掃除をしている浦野くんに向かってそう聞いた。「どうしてって、僕は今週の掃除当番だから」と真由美に向かって浦野くんは言った。

「それはそうだけど、そんなに一生懸命になって掃除をする人はいないよ。そんなの浦野くんくらいだよ。みんなある程度は真面目にやるけど、手を抜くところは手を抜いているし、塾とか、家のお手伝いとか、あとは友達と遊びたいからとか、そういうことに時間を使いたいから適当なところで掃除を切り上げちゃうし、……こんなに頑張って教室を本当に綺麗にしようと思っているのは、きっと浦野くんくらいだと思うよ」

 と、自分の席の椅子に座って浦野くんの掃除の様子をさっきから飽きることもなくずっと観察している真由美はまるで手伝うそぶりを見せるわけでもなく、ただずっと掃除をしている浦野くんの姿を見続けていた。

 浦野くんは真由美に「別に理由なんてないよ。でも一応僕の役割だから、役目を受けた以上はちゃんと仕事をしないといけないな、と思ってさ」と箒とちりとりで教室の床の掃き掃除をしながら言った。

「浦野くんは本当に真面目だね。きっと人生損するタイプだね」と呆れた、と言った顔をして真由美は浦野くんにそう言った。

「別に損してもいいんだよ。僕の気持ちの問題だから」とちりとりのゴミをゴミ箱の中に捨ててから、浦野くんは真由美に言った。(それで浦野くんの今日の掃除は終わりだった。浦野くんが掃除をした教室は本当にとても綺麗になっていた)

「みんな言ってるよ。面倒なことは浦野くんに任せちゃえばいいってさ」にっこりと楽しそうに笑いながら真由美は言う。

 真由美が見る浦野くんの汗をかいた満足そうな顔は、(きっと掃除が思い通りによくできたのだと思った)オレンジ色の夕日の色に染められている。(そんな浦野くんの姿を見て、……真由美は、ああ、なんて綺麗な横顔なんだ、と思った)

「まあ、私はそんな浦野くんのこと結構好きだけどね」と机の上にひじをついて、その小さな手のひらの上に自分の頭を乗せながら、またさっきと同じようににっこりと笑って真由美は言った。

「ありがとう」とにっこりと笑って浦野くんは言った。

 浦野くんは、掃除道具を掃除用のロッカーの中に片付けると小学校を下校する準備を始めた。

「ねえ、途中まで一緒に帰ろうか?」と学校かばんを手にした浦野くんに席に座ったままでいる真由美は、(……浦野くんの顔を見ないままで)言った。

「え?」その声を聞いて浦野くんはすごく驚いた。そしてこの真由美の言葉を聞いて、やっと浦野くんは、真由美が自分のことを、掃除が終わるまでの間、ずっと待っていてくれたのだと気がついたみたいだった。(鈍感なのだ)


「浦野くんはいつもいつも頑張っているね」と、学校帰りの道で真由美は言った。

「それはどうしてなの?」

「理由なんてないよ。だって、それは当たり前のことでしょ?」と浦野くんは(当たり前のように)言う。

 そんな浦野くんの言葉を聞いて「そっか」と真由美は言った。

 それから真由美はその顔を下に向けた。

 真由美の顔は真っ赤に染まっていた。

 この日、真由美はこれが『私の初恋』なのだと気がついた。(夜は全然、眠ることができなかった)

 真由美はそんな昔のことを思い出しながら、みんなと一緒に校庭で雪かきをしている浦野くんの背中をじっと見つめていた。

「真由美、浦野くんのこと好きなの?」

 と急に背中越しに春日が言った。

「え!?」

 と驚いた顔をして真由美は後ろを振り返って春日の顔を見た。

「ど、どうして!?」

 と真由美は言った。

「だってさっきからずっと浦野くんのことばかり見てるんやもん」とふふっと笑って春日は言った。

「別に好きじゃないよ、ただ頑張っているな、って思って見てただけだよ」

 と顔を真っ赤にしながら真由美は言った。


 いつものように最後まで残って雪かきを終えた浦野くんは満足そうな顔で笑っていた。

 真由美はいつものように、そんな浦野くんのことを(こっそりと)遠くから見ていた。

 真由美は浦野くんのことがずっと、ずっと大好きだった。

 でも、告白をしたりして、自分の思いを浦野くんに伝えるつもりは全然なかった。

 浦野くんは女の子から告白されるようなすごくかっこいい男の子というわけでもなかったし、真由美はこんな風にして頑張っている浦野くんのことが見ていられればいいと思っていた。

 でも、今年。

 中学二年生になった真由美は浦野くんに告白をすることにした。

 その理由は浦野くんがもうそろそろ、この山奥の町から引っ越しをしてしまうことを友達の春日から聞いて真由美が知ったからだった。

「告白しないと、絶対一生後悔するよ。浦野くんが引っ越しをしないうちに、自分の気持ちを絶対に伝えたほうがええよ、真由美」

 と真剣な顔をして春日は言った。

「……うん。わかった」

 と真由美は言った。

 真由美はそれから数日後に浦野くんを中学校の裏庭に呼び出した。

 すると(なにもしならい)浦野くんはほいほいと真由美の嘘に引っかかって、中学校の裏庭まで(呑気な顔をして)やってきた。


 ……あなたに会いたい。


 世界は真っ白な雪の色をしていた。

 

 真由美は空を見ながら、裏庭に、一人でぽつんと立っていた。

 やってきた浦野くんは真由美に気がついて、「やあ」といつものように無邪気な顔で笑いながら真由美に言った。真由美は「うん」と浦野くんに言った。

 真由美の心臓は、すごくどきどきとしていた。

(顔もほんのりと赤く染まっていた)

 でも、なるべくいつも通りに振る舞いながら、真由美は「浦野くん。引っ越ししちゃうんだよね?」と浦野くんに言った。

「うん。もう少ししたらね」

 と浦野くんは言った。

「いつ決まったことなの?」

「うーん。詳しいことは僕にもよくわからないけど、結構急な話だった」

 と浦野くんは言った。

「遠くだよね?」

 地面の上にある真っ白な雪を見ながら真由美は言った。

「うん。海の見えるところ」

 と、地面の上にある雪を触りながら浦野くんは言った。

「そこはあんまり雪は降らないらしいんだ。だから、もうこんな風にいやってなるくらいに雪を見たり、触ったりする日は当分なくなってしまうのかもしれない」

 と浦野くんは言った。

「帰って来ればいいよ。雪を見たり、触ったりするためにさ」

 と真由美は言った。

「そのためにこの町に?」と浦野くんは言った。

「うん。たまに、でいいからさ」

 と真由美は言った。


「うん。それもいいかもしれない」

 とにっこりと笑って浦野くんは言った。

 真由美はしゃがんで雪を触っている浦野くんの隣まで行くと、浦野くんのすぐ横に座り込んで、同じように雪を触った。

「冷たいし、雪かきしても、どうせまたすぐに降るし、転んだりするし、いろいろと面倒くさい。私、雪ってあまり好きじゃない」と真由美は言った。

「富田さんらしいね」

 と浦野くんは言った。

「僕は雪は好きだよ。確かにいろいろと面倒だし、大変だけど、雪は綺麗だし、見られないと思うと、すごく寂しい気持ちになる」と浦野くんは言った。

「私も雪の降らないところに引っ越しがしたい」

 と真由美は言った。

「大人になったら、すればいいよ」とにっこりと笑って浦野くんは言った。

 それから二人はそんな風にして、いつものようなたわいもない会話をした。

 結局、真由美は浦野くんにその日、告白をしなかった。

(二人で雪だるまを二つ、作っただけだった)


 真由美が浦野くんを呼び出しための嘘の話を済ませると、浦野くんは「じゃあ、またね」と言って真由美の前からいなくなった。(一緒に帰ろうか、とか言ってくれなかった)

 そのことを春日に電話で伝えると「意気地なしやね、真由美」と言って、電話越しに真由美は春日に怒られた。


 それから浦野くんが引っ越しをして、この山奥の雪深い町からいなくなってしまうまで、真由美は浦野くんに告白をしなかった。

「真由美、本当にええの? 本当に後悔しないんやね?」

 と何度も春日は言ってくれたけど、「うん。大丈夫。後悔しない」と言って、真由美は告白しなかった。

「これ、よかったらもらって」

 そう言って、浦野くんは引っ越しのときに真由美にお守りをくれた。

「どうもありがとう」

 泣きながら、そう言って真由美は浦野くんからそのお守りを受け取った。


 それから季節は過ぎて、浦野くんのいない冬がやってきた。

「真っ白やね」

 そんな見慣れた雪の降った風景を見ながら、にっこりと笑って春日が言った。

「本当だね」

 と真由美はいう。

「浦野くん。雪を見るために帰ってくるやろか?」

 春日は言う。

「さあ、どうだろう? わかんない」と真由美は言った。


 真由美が後ろを振り返ると、二人の歩いている雪の積もった道の上には足跡が残っていた。

 今日は中学校の卒業式。

「じゃあね、真由美、ばいばい」

「うん。ばいばい」

 そう言って、笑顔で春日と別れたあとで、真由美は中学校の卒業証書の入った筒を持ちながら、家までの一人の帰り道で、いろんなことを思い出していた。


 今も君を思う。


 雪の降る町 終わり

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