Rowing.14
―――出艇前ミーティング・艇庫の播崎高校本拠地(仮)にて。
「えーっと。私は審判艇からお前らを監視している。いつでも見張られていると思っておけよ。あと、決勝進出のクルーの皆、悔いを残して終わらせるなよ」
審判の正装に着替えている我が姉。神無月先生――神無月千紗の表情は眉間にしわが寄り過ぎていた。旦那さんが見たらどう思うのだろうと思ってしまうくらい酷い。ただ、真剣だということは理解できる。
結局、決勝に出場できるクルー数は七クルー。男子ダブル、女子ダブル、男子シングルが二艇、女子シングル一艇、男子クォード、女子クォード。そして、約三十分後に控えた女子と男子のクォードが既に出発しており、残ったクルーが先生の話を聞いている。一定の指示を受けたクルーから解散していった。
―――男子シングルスカル決勝の発艇時刻四十分前・水上
男子クォードプル決勝の最中だった。合計五艇の五人乗りの四漕手一舵手で構成された彼らの戦いはなかなかの見モノである。俺の意識がそのレースに飛んで、無意識に応援していたことに俺は気が付かなかった。正直、今までの俺であれば全く興味のなかった他のレースに心を奪われるなどなかったため、不思議な感覚を味わった気分だった。
レースは終盤に大きく動いた。五百五十メートル付近までを一位で独走していた愛光第一が急にペースが落ちたことで二番手グループの播崎と城下東が追い上げを見せていた。だが、三位グループの残り三校も負けじとペースをあげて、六校すべてのクルーの差が全体で十メートル以内に収まっていた。これを好機と睨んだ城下東が圧巻のスパートで堂々の一位を獲得した。そして二位から順に播崎・愛工第一・伊代瀬戸・城下北・松前中央という結果になった。予選では愛光第一にコンマ数秒で負けていたが、決勝で一秒差をつけて勝利することができた。全体的な秒差は八秒。このことはこの地区のレベルがそこまで差異がないということを示しており、激戦区の証である。そこを二位で通過した先輩方はやはり強い。
続いて女子のクォードプル決勝が始まった。女子は全部で四艇。数が少ないため、一艇でも抜けば賞状の圏内というありさま。出だしは全艇上手く決まったものの途中で練習量の差が出たのかどんどん離されていくクルーが出た。一位グループに聖アリス女子・播崎という順で約十メートルのマージンが生まれている。播崎の方が徐々に置いてかれていき、差が地味に引きつつある。一方の二位グループでは愛光第一が城下東を抑えるという形でレースが進んでいた。そして終盤、一位の聖アリス女子にどんどん話されていくことその差が二十メートル。ゴールラインをトップで過ぎた聖アリス女子はこれで十回目五年連続の優勝である。そして、二位に我が校である播崎・三位に、怒涛の追い上げと接戦を演じた城下東が・四位に愛工第一となった。男女とも二位という形で終えたクォード競技はまずまずと言ったところらしい。
―――男子シングルスカル決勝の発艇三十分前・水上
「うっはあああ。初めての決勝戦の舞台かよおおお!テンションあがるよなあ勝也!」
「あ、ああ。……………めっちゃ…………吐きそう」
「ってうおおおおおい!大丈夫かよ。まあ、後十分後には発艇だからな、終わるまで我慢だ我慢」
俺―――中川宗次郎は相方の勝也に対してどうしようもできない。ただ励ます。それだけが唯一できること。自分だって今にも吐きそうな想いでこの舞台に立っている。宗次郎と同様に沈んでしまってはチームの士気が下がる。俺はどうしてもそれだけは嫌なので明るい雰囲気を保っていく。
「…………それにしても早かったよなあ。男子クォードの奴ら。何位かは知らないけど、賞状は取れた気がする」
「…………そりゃあ………ね。まあ、取るかも」
「勝也はもちろん優勝狙うよな?あいつらみたいにビューンって駆け抜けてさ。そんでもって、表彰台の上に立つ!やれるよな⁉」
「…………おう。…………ま、勝つよ」
勝也が『勝つ』なんて口にすることは最近になってからのことだった。一年前、俺たちが初めてコンビを組んだ日にはそりゃあもう、酷いものだった。テンションの差が違い過ぎることから始まり、話も合わない。クラスで人気な俺の反対で影が薄いのが勝也。本当に正反対の俺たちが挑む五回目の公式戦に一緒に出られていることが奇跡だ。
『
既にこのレーンに立ってから五分が経過したようだった。ここを境目に緊張感が徐々に出てくる気がする、とは俺だけが思うことなのだろうか?たぶん誰もが感じている気がするのだが、そんな素振りを誰も見せない。
現在は無風。水面が揺れることもないくらい静かな空間になっていた。
『
全員が黙ること三分。この辺りでさらに雰囲気がピリピリしてくる。そして、いつもの呼びかけが来る頃でもあった。
『レーン
「「だああああッ!」」
『レーン
「「しゃあいっ!」」
『レーン
「「ういーーっす」」
野本野本ペア……今年のインハイ予選四位の超絶コンビ。しかも双子という上に行きピッタリのストロークで一本の漕ぎでかなりの距離を進む。愛称は「のものも」と言われているが、そんな可愛げのあるような二人には全然見えない。今大会の優勝候補の一角である。
『レーン
「うだあああああああっ!」
のものもペアを抑えての『A』を付けているこのコンビも侮ることができない。未知数の二人だが、用心してかからなけば食われてしまいそうだ。
『レーン
「よっしゃあああああああ!」
そしていよいよ、俺たちの番がくる。
『レーン
「………はい」「うっしゃあああああああ!」
ここでも声量の差が大きくある俺たち。だが、今大会のダークホースとなる以上はここでのことを気になんかしていられない。大事なのは勝負で『勝つか』『負けるか』の二択に拘り続けること。その『負けるか』の方を選んではいけないということがさらに慎重さを増させる。もうすぐ、俺たちの初舞台「決勝」の幕が落とされることになる。
「全力だせよな‼勝也!」
「………ああ。ここで、負けなんかもういやだ」
『アテンション…………』
全艇のクルーが一斉にオールのハンドルを前に差し出した。スタートの体勢を作り、気持ちを引き締める。静寂が生まれた瞬間、その時は来た。
『ゴーッ!』
ガコンガコンとオールを回す音が鳴り響き、全艇がスタートダッシュを決める。俺たちのペアも最高の出だしでレーン内を突き進んでいき、他に離されないように必死に漕いでいく。バウにいる勝也がぐんぐんと力ずよく引いてくれるため、俺にほんの少しの余裕ができるも、すぐに失われた。
「やっぱ、一筋縄ではいけないってことだな!」
俺は一言も発さずに百メートラインを駆け抜けていった。風切り音が従来と違うことに成長を感じたことに嬉しさが隠せない。
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