Rowing.10

 退路にいた女は俺に話しかけてきた。



 「そんなこと知らなかった。だから、その………」



 言いたいことは手に取るようにわかる。俺は彼女の言い分を代弁してやるつもりはこれっぽっちもないが。



 「で、何が言いたい?」



 俺は冷たく突き放そうとした。後ろから刺さる視線を無視しながらも彼女に向き合うことに専念する。今にも泣き出しそうな表情。でも、以前とは違った泣く前の表情。



 「翔悟君にそんな過去があったにも関わらず、裕福だから勝てたとかなんとか言ったこと。理由も聞かずに言うなんて……」



 「それは違う。俺だって、望月に隠してた。言っても納得なんかされないと思った。だから……お前は悪くない」



 「―――違うよ。私だって先生から聞いた時、私が航大を想うくらい好きな人を失くしてる翔悟君にたまらない気持ちになったの。事前に聞いていればこんなことにならなかったかもしれない。それに今のボート部を支える役職にいる私の気持ちが、周りの雰囲気にまで影響するとは思わなかった」



 悪影響を与えているとは自身で気付いていたらしい。ただ、その悪影響の原因が直接的な部分、間接的な部分を含めても俺に関係しているとなると俺も同罪だ。



 「だったら、それは望月だけのせいじゃないな。翔悟、お前のせいでもある。雰囲気が良くならない原因を作った翔悟とその雰囲気が良くならないようにしていた望月。そして、その根本的な原因を作ってしまった私にも責任がある」



 三人それぞれの責任を述べた姉さん。俺の目の前で涙を流す望月。バスにもたれかかる相座先輩。それぞれがこの話に対して何を思ったのかは分からない。だが、今考えるべきことはそんなことじゃない。と、思った俺は神無月先生ねえさんに提案した。







 「「「「え‼全員を地区予選に出す⁉」」」」



 大会一週間前にして爆弾発言をしたうちの姉。その驚きの声がトレーニング室にこだまする。

 これまで姉さんは強いものが活躍するという信条の基に方針を定めてきた。しかし、今回の雰囲気の悪さを作った原因に少しでも関係のある姉さんが地区大会に限ってはということで出した命令。



 「ああそうだ。今回の部の雰囲気が悪くなった責任は少なくとも監督である私にもある。だから、そのお詫びみたいなものだ。気持ちよく練習することも、皆が楽しんでいくことも私のモットーの中にはあった。だが、いつの間にか欠落していた。そういうことだから、出場したい種目を言ってみろ」



 その爆弾の威力は強く、元から出場権のなかった人たちまでが驚いている。「いきなりはやめろよぉ」といいつつも嬉しそうな人もいたり感情は様々。

 望月が希望を取り始めると周りが勢いづいてきた。そして、本来の雰囲気……以上のモノをよみがえらせることができた。



 





 この部の人員は男子十四人、女子十人という計二十四名。さらに、三年生を合わせたら四十人近くなるという元大所帯部だった。その為、出れない二年生などが続出し、そのことが影響して雰囲気が悪くなった、という見解を生んでいた俺は姉さんに今回の案を提起。そのことに姉さんはしぶしぶ了承した結果が全員出場を実現させた。地区大会は基本出場艇数が定められておらず、何艇でも(常識の範囲内)で出すことができることを生かした結果だ。まあ、県大会に関してはそうもいかず、結局地区大会だけになってしまった。



 「では、出場種目が決まったので発表していく。まずは男子シングル。播崎高校A:相座良樹。播崎高校B:東山翔悟。播崎高校C:街宮蒼汰。の以上三名」



 姉が順番に発表していく。



 「最後に女子シングル。播崎高校A:安芸加奈子。播崎高校B:島明日香。播崎高校C:望月奏。以上三名」



 全員の出場種目が決まった。別にAだから速いというわけではないが、そういう風潮があるのも事実。去年はそれで一つ揉めたらしい。まあ、今年はそのようなことは無い……と思っていたのに。



 「―――マム。僕は一つ不満があるのですがよろしいですか。何故僕は東山よりも遅いのにAを付けているのでしょうか。僕はBが良いのですが……いや、Bにしていただきたいところですね」



 「例年言っているように記号に意味などはない。あるのは出場権だけだ」



 「…………いや、やはりそこにこだわるべきであると」



 相座先輩が恐る恐る申し上げると、マムの顔は険しく。



 「出場権剥奪を希望か?」

 

 

 「いえ、なんでもございません」



 と、即答で返した。さすがに出場権だけは惜しいようだ。

 そういう風に言いつつも相座先輩は部内トップクラスの速さ。現段階では俺と今回はダブルスカルに出場する真柴勝也ましば かつや先輩と千田宗次郎せんだ そうじろう先輩がかろうじてついてこれるくらいだろうか。後は様々の戦闘力を持っている。

 一方女子の方は安芸先輩の一人勝ちというところか。インターハイは確定とまで言われている注目度の高い選手で、大きな大会は連覇するだろうと予測されている。女子のキャプテンでもある安芸先輩は侮れな部内においても侮れない人である。それ以外では「みこりこ」と呼ばれているコンビの中川美子先輩と加隈璃子かくま りこ先輩は上位に入るだろうと言われている。仲良しコンビで地区は圧倒的に勝利するはずだ。



 「他に質問はあるか。無いなら私は戻る」



 「「「「ありません」」」」



 全員が声を揃えて質問がないことを伝えた。その合図を聞いて、姉さんは職員室へと戻って行った。今日もデスクワークで忙しいようだ。



 姉さんが帰ったあと、俺は帰りの支度をしようと部室に戻ろうとすると女性の声で名を呼ばれた。



 「東山くん。悪いんだけど、今日の帰りに付き合ってくれない?そう長くはならないはずだから」



 赤にも見える明るい茶髪は光に当たることでその赤っぽさをより引き出している。先ほどおろした髪は若干ふわっとしており、いつもよりもラフな感じに見せている。青のポロシャツは女子部で揃えたものらしく以前にも見覚えがある。胸が大きいことが強調されるラインがはっきりとしていて、迫られたら恐らく一撃で落ちる。そんな武器を備えた先輩、安芸加奈子先輩だった。



 「……ええ。まあ。はい。その。僕で。いい。なら」



 つい二音で区切ってしまった。それほど今、俺は先輩に惹かれているのかもしれない。(まじまじと見るのは初めて)

 俺の返答に安芸先輩は笑顔で言った。



 「おっけぇ。じゃあ、着替えたら正門に来てね。あ、自転車だよね?場所移動するから必要だけど大丈夫?」



 「は、はいっ!大丈夫ですっ」



 やや緊張気味で答えるも、実際は物凄く緊張している。そのせいか手汗はいつもの倍以上かいており、先ほど貰った大会要項がぐしょぐしょになりそうだ。そして何より、後ろからの視線が痛い。


 

 「……じゃあ後でね。待ってるから」



 そう言い残した先輩は女子更衣室に速足で戻って行った。その背中を見送り、部室に戻ろうと回れ右をすると、痛い視線プラスαのことが待ち受けていた。






 

 校門前に佇む俺は先輩に言われたとおりに待っていた。遠足前の眠れない雰囲気に似ているところがある。そこに、やって来た制服姿の先輩A。



 「お待たせしちゃったね。じゃ、行こうか?」



 俺はその声に従い、何とも思わず、疑念も抱かずについて行った。まあしかし、ここから本当に眠れない夜になるとは思わなかったとだけ記しておこう。

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