Rowing.9

 二学期が始まり、夏を開けた生徒たちが続々と校舎へと入っていく。まだ八月後半ということもあって、外気の暑さは異常だ。年々高まる最高気温はいつまで上がり続けるのか。そろそろ止まって欲しいものである。



 直射日光を浴びまくった後に教室に入ると、そこは楽園だった。



 「涼しいいいいいっ!」



 それ以外何も言えない。朝練の後に高まった体温を程よく冷ましてくれる清涼飲料水とは違い、一気に冷やしてくれる冷房は最高である。

 


 そのような朝を迎えた後のホームルームで。



 「なあ。望月と喧嘩してるのか?最近話してないってボート部の他の奴が言ってたぞ。なんかあったのか?」



 余計なことを話しかけてきたのは前の席にいる鎌崎という男子。望月に好意を抱く青春満喫ボーイである。



 「いや、特に話すことないからな。だから話してないだけだ」



 「理由のようで理由じゃないような返答だな。やっぱりなんかあった?」



 しつこい奴だ。



 「ない、本当に何もない」



 「…………そうか。まあ、それならいいや。秀才で運動神経抜群の望月さんにお前は似合わないもんなー。俺みたいなやつしか似合わなねえよ‼」



 望月には想い人がいる、と言ったらどうなるかな。というくだらないことを考えているとそんな俺に意外な訪問客が来た。



 「―――東山。少し時間はあるか?」



 「何の用でしょうか、相座さん」



 我が部のキャプテンにして、望月の奴隷。相座良樹がわざわざ俺のクラスに尋ねてきたのだ。普段は自分から来いと命令するのだが、今日は自分で出向くほどのことがあるらしい。



 「実はお嬢のことなんだが……」



 「話すことはありませんから自教室へおかえりください」



 先輩の話の内容を聞く前に即一蹴した俺は踵を返す。だが、力の強い手で肩を抑えられて、身動きが取れなくなる。この一カ月でかなり筋力が増えたみたいで大男につかまれた気分だ。



 「なんです?忙しいんですけど」



 「お嬢の元気がない。お前、何か知ってるだろう?話せ」



 「………だから知りませんって。本当に何も知らない……」



 「監督が察してる。このままだと大会に出さない可能性がある」



 「…………」



 姉さん――神無月先生が察するほど、今の部活の雰囲気が悪いらしい。別に俺が負のオーラを肥大化させたわけじゃない。俺は心の底からなんとも思ってない。だが、望月は何かを思っている。それが今回の問題につながっているのだろう。



 「――放課後、バスの前に来い。そこで話をしよう」



 俺がこのままだと話さないと踏んで、約束を取り付けるだけ取り付けて去って行った。まあ、知ってることを話さないと後から大変なことになりそうな気がしてならない。逃げずに行くことがこの場において最も適当な選択肢だろう。







 言われた通り、俺はバス置き場の前に来た。そこには四台のバスがあり、正面から野球部、サッカー部、ボート部、学校用となっている。ボート部のバスは二年前に買い替えたばかりで比較的綺麗だが、他はかなり古い。まあ、部自体がそこまで強くないからという理由で買い替えてもらえないのかもしれない。

 五時を回ったところで相座先輩が到着した。少し走って来たようだが、かなりの汗をかいている。そしてもう一人、相座先輩の後ろについてきていた。



 「―――姉さん。来てたのかよ」



 「はああ。翔悟、ここは私の職場よ?来てないわけがないじゃない。で、相座。今日の話ってのはなんだ?」



 「イェス、マム!本日は例の件でお呼びいたしました」



 相座先輩は従者になることが趣味なのか、と周りが思うほどに従いまくっている。すでに十人くらいの部下(パシリ)になっているとか。



 「ふーん。で、その原因が翔悟なの?」



 「お嬢に関して何かを知っているようですから」



 「………………」



 先生相手にも望月への「お嬢」」という呼び方は忘れないようだ。それに疑問を抱かないうちの姉もやっぱりおかしい。

 


 「じゃ、翔悟。知ってることを話してみろ。それで決着がつく」



 「―――わかったよ。本当に知ってることしか話さないからな?」



 俺はあの日の全てを二人に話した。嘘は言わない、真実だけをつらつらと口に出した。真剣に聞いていた二人は終始表情が変わることがなかった。


 

 話し終えると、二人は何やら相談していた。そして、姉さんの方が先に口を開けたという。



 「―――そうか、これは私に原因があるみたいだ。翔悟、すまない」



 いきなり謝罪してきた姉。正式な謝罪の仕方で頭を下げ、地面に視線を向けている。



 「姉さんっ!いきなりどういうことだよ?そんな謝らなくても…………」



 「お前の過去を話したんだ。多分だが、それが原因だ」



 俺は何も発することができない。いつも誤魔化し続けた俺の過去を勝手に話されていたとは思いもよらなかったからだ。母さん以外の誰にも話さなかったことを姉さんが話した。ということは、母さんが姉さんに俺の辞めた原因を全て話したことになる。でも、その母さんは。



 「去年の末。その前に話して貰ったんだ。翔悟がボートから離れた原因と、のことをな」



 そうだ、俺は去年に二人の大切な人を失くしている。一人目は何でも相談できた母さん。超元気でいつも笑顔を絶やさなかったあの人は交通事故で亡くなった。そしてもう一人は。



 「春日部優奈かすかべ ゆな。翔悟の元カノで心臓病を患って亡くなったとてもいい子、って母さんは言ってたっけ。私は直接会ったことがないからどんな人かは分からないが、お前にとって最高に大切だったんだろうな」



 「―――それを全て話したのかよ。せっかく秘密にしておいたのに、なんてことをしてくれたんだよ………ってまあ、過去のことだからな。今更感はあるけど」



 それを傍で聞いていた相座先輩は黙っていることしかできなかった。俺の過去を知り、それも中々ヘビーな内容のものを聞かされたとなっては口を開きにくいだろう。



 「それを望月が相当知りたがっていたからな。つい口を滑らせてしまった」



 「だったら、俺に何関係があるんだよ。その過去を話した姉さんにしか非はないじゃんかよ」



 姉さんはごもっともという顔をするも束の間。俺が最初に告白した内容に責任転嫁をし始めた。



 「お前があの艇庫を見せてしまったのと話してしまったことが大きく肥大化させたんだよ。分からないのか?お前がしたことはボート競技を金持ちの遊びだと確認させたようなものじゃないか。それに彼女が五十嵐航大のライバルがこんな最高の環境で練習しているならそりゃ負けるに決まってる、って感じさせてしまうだろ。それだけ彼女は昨年の五十嵐の負けを認めたくないのと、それと同時にお前のブランクに腹を立てた。だが、蓋を開けてみればお前は大切な人を二人も失った可哀そうな奴だと知る。そのことに彼女がお前に対して何かを言えると思っているのか?」



 俺なら言えない。



 「―――傍から失礼する。東山。お前にそのような過去があるとは知らなかった。確かに疑問に思っていたがそのようなことがあったとは思わなかった。今までの失礼を詫びよう。本当にすまなかった」



 「い、いや。相座先輩まで何を謝るんですか!お、俺はただ…………」


 

 沈黙が生まれる。風で巻き立つ砂埃が俺たちにかかる。全員の服がなびきながらもまだ沈黙は破られない。相座先輩はメガネを光らせ俯き、姉さんはあさっての方向を見ている。このままでは心地が悪いと思った俺は退散しようと退路を見るとそこには最近ポニーテールにしたあの女が立ちはだかっていた。

 

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