Q12 ささやかの小説は狂ってますか
信仰する宗教は、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教。ささやかです。
さて。
今回は狂気について話そうと思います。ほら、私の小説ってかなりぶっ飛んだことしたり滅茶苦茶な世界観だったりするじゃないですか。だから、そこら辺の説明として、私は小説タグで狂気とか入れたりするんですが、正直私は自分の小説に狂気という評価が適切だとは必ずしも考えていないんですよね。
そもそも狂気ってなんなんでしょうね。たとえば「ありふれた日常」とかは、同作品内において、世界の良識・倫理・常識に反する行いは一切なされていないわけですよね。私達は古代の風習を奇異の目で見るように、「ありふれた日常」を見てしまうけれど、実際それを狂気と断ずるのはなかなか難しい点があるんじゃないかなと思っています。自殺シリーズも同タイプですね。
一方、「チンポに突き刺さるディストピア感」やスベスベマンジュウガニにおいては、主人公の判断や結果は、その世界の規範に抵触しており、この点、狂気とすることもできるかもしれません。ただ、彼等の思考も決して支離滅裂ではなく、彼等の論理や理屈によって動いているのであり、極論、価値観が異なるだけです。先は世界単位で価値観が異なるのに対し、こちらは個人単位で異なるということですね。そうなると、その価値観を有する者の多寡で、正気と狂気の境界線を引くということになり、まあ確かに社会的にはそれはそれで間違っていないのかもしれないけれど、厳密に考えるとそれってどうなのかなとか漠然と思ってしまいもしますね。
そんなわけで、私は自身の作品について「精神が異常」とか「社会的に不適合」などの評価を下すことには躊躇いはないのですが、狂っているとか狂気とかいう表現を使うとなるとちょっと躊躇ってしまうんですよね。より説明しようとすると、正常である私達とは異なる、という意味で使いたくないというか。
あのね、正気と狂気に境界線なんてきっとないんですよ。きっとマーブルチョコレートのようにまじりあっていて、たまたま手にとってみたとき、どちらが濃いとか薄いとか、見える部分が多いとか少ないとか、たぶんそれだけですよ。ああ、私は狂っていて、だから今日も元気ですよとか言いながら生きているんでしょうね。面白い冗談です。
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