Q11 ささやかがよく使うモチーフはなんですか?
モチベーションが死んでいる。ささやかです。
さて。今回はかなりテクニカルな部分,すなわち,ささやかが詩や小説でよく使うモチーフが何かを解説しようと思います。このモチーフの解説をしてしまうと,私の創作をかなり解析できてしまうと思うので,これを公開するのは果たして適切なのかしらんとも思いますが,しかしこういう点こそ気になるものではないかとも思うので書いていくことにします。これさえ読めば誰でもささやか節がまるわかりだよ☆ ささやか節なんてものがあれば,だけど(笑)。
1 太陽
スベスベマンジュウガニなんかが顕著なのですが,私は太陽の存在を否定的に扱うことが多いです。理由としては,その眩しさは大勢のためのものだけれども,ごく少数は太陽がないほうが快適であるという,普通への疎外感であると思われます。それにほら太陽って直視すると眩しすぎて危険じゃないですか。しかもひどい高熱で近づいたら普通に人間は死にますよ。そんな危険物を否定的に(自分の安寧を脅かす存在として)描くのはあながち間違っているとは言えないじゃないかなあと抗弁してみます。
一方,太陽そのものではなく,夜明けや陽だまりのような太陽からの派生については好ましいものとして登場させることが多いです。太陽は適切な距離を保てばそれは福音となりえるのです。
2 酸素または呼吸
酸素が吸えない,呼吸ができないといった形で,普通なら誰でも出来るはずのことが上手くできない,あるいは行うのに普通よりもコストを払わなくてはならない,という意味を出すことが多いです。私は日常生活に一切支障ないんですけど心臓が悪いからか疲れると息が苦しくなるんですよね。これはそういう私の経験が大きく反映されているんだと思います。呼吸は我々が恒常的に行っているモノであり酸素は生存に不可欠なモノです。これが不自由になるという表現はわかりやすくかつ強烈だと思っています。
3 タラバガニまたはアルマンコブハサミムシ
私は現実世界ベースの世界観に異常を持ち込んで一切説明しないって感じのことをたまにやるんですけど,その際によく出てくるのがタラバガニやアルマンコブハサミムシです。彼らが選択されることに特に意味はないですが,しかし逆を言えば作中において彼らと人間をその精神性からすると分別する意味がない,というケースで登場することが多いです。私は人権を筆頭とした人間の特別性の根拠に疑問を持っているのでその疑念の反映なのでしょう。
ちなみに私の作中で食人がでるのも同じような意味合いだと思います。
4 食事
私の小説のほとんどには食事が登場します。本当かと思ったらちょっと調べてみてください(笑)。この理由はちょっとよくわからないですね。でもたぶん基本だと思っているんでしょうね,食べるということが。
あとは食事はその人間性や物語の色を反映させやすい気がします。たとえば自殺シリーズでは集まった食事をとるということが家族としての絆の反映として書かれています。ありふれた日常では人肉が平然と食されており同作の世界観と現実との乖離を明確に示しています。このように食事は物語の世界観を反映させやすいシーンであるので便利だなあと改めて感じました。
5 包丁(万能包丁を含む)
主に詩において現実を打破するための手段として選択されることが多い包丁。身近でけれど非現実的な殺傷能力を持つ包丁は私たちが手に取ることができる確かな反抗です。
似たようなところでは、AK-47(カラシニコフ)もありますね。安価で大量生産され,なおかつ使い勝手の良い銃は,暴力などの他者への有効な攻撃手段の象徴です。
6 強姦(性的虐待)
世の中にはたくさんの理不尽や絶望がありますが,その象徴として私は強姦を使用します,たぶん。派遣切り,いじめ,人種差別などなど,他にも同様の意味を持つ事象は存在しますが,強姦はその中でも多くの文脈を必要とせず,唐突に襲い掛かる理不尽としても用いることができる上,性という人間の根源を傷つけるという点で私の創作と相性がよいことが多いです。なお,チンディスにおける主人公は強姦そのものを望んでいたというよりも,他人の尊厳を踏みにじる決定をし,なおかつそれを実行することを望んでいたとみています,私は。
7 通り魔
現実的には通り魔も強姦も同じように唾棄されて然るべきものですが,私の創作の中では通り魔には肯定的な態度を取ることがあります。それは通り魔によって,人生に苦しんでいる人間が,通り魔の責任をもって,その人生を終わらせることができるという意味を与えているからですね。もちろん,理不尽の象徴として否定的に使うこともあります。
8 世界征服
たまに詩で登場しますね。既存の現実に対して反抗する文脈で使われることが多いです。
9 コンビニエンスストア
これもたまに詩で登場。現代社会の象徴,かなあ。
10 四角い部屋
これは端的に言うと,我々人間は結局のところ自己の主観を通して現実を認識している以上,自分の世界には自分しかおらず,他者とのコミュニケーションは錯覚に等しく,我々が存在しているのは閉鎖された小さな余地の中である,ということですね。そういう孤独や絶望や諦念です。「私と貴方は途絶している」「理解とは妄想でしかなく多かれ少なかれ我々は幻想と会話しているようなものだ」まあそんな感じです。
これは唐辺葉介や御影瑛路の「僕らはどこにも開かない」(旧版・新版両方持ってます)の影響を強く受けた表現だと思います。
とりあえず今ぱっと思いつくのはこれくらいです。ざっと列挙しただけなので今後掘り下げるものアリかもですね。ひとまず今回はこれで終わりーっと。
あ、また思いついたら追記するかもしれません。
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