応援コメント

みみずの長さで」への応援コメント

  • いつのまにか、ゆっくりとぜんぶが変わってしまったという言葉にドキリとしました。何か、AIと人間の将棋の試合を見ているようで(例えがよくないな)。頑張っているつもりなのは人間。伸び縮みする尺度というのも示唆的で。結局総ては相対的なんだからノンビリ行けよ、と言われているようで。伸び縮みする測定器の間に何か見つけようとあがいている自分。乾いて見ていけるのかと。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。


    KIKI-TAさまの例を読みまして、私もひとつ思いだしたのを書こうと思います。


    どこの本か忘れましたがSFの短編で、車の自動運転に関するものがありました。
    近未来を生きる主人公たちが、道路交通法について話をするシーンで、
    「運転席に人間がいないといけないのは、とっさの時の判断を機械には任せられないからなんだって」
    「えー。人間がやるより機械の方が正確で安心なのにね」
    ……というような会話をします。

    私の生きている現代では、まだ肝心のところを機械に任せてしまうには性能(に対する信頼)が足りないように思います。しかし、それが改善されるのも時間の問題。今実験段階のものがいずれ公道を走るようになれば、私の意識も変わっていくでしょう。

    今、常識として、運転席に人間の乗っていない車が走るというのは有り得ないことです。危ないことです。
    しかしそれは絶対のモノサシではなく、技術の進歩、という伸び縮みするモノサシから生まれた常識なんだと思うのです。
    伸び縮みするモノサシから生まれたものを、絶対と信じることは、ちょっとおかしい。何故ならそれも伸び縮みするはずだから。
    こういった常識がいずれ変わっていくことも、楽しみにしていたいですね。進歩ということになるのか、退化ということになるのかは分かりませんが。


    おっと。失礼しました。
    コメントの返信にしては長くなってしまいましたね。
    (という、これも伸び縮みする……)