エリクシル・ウィッチ

小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中)

第一編

序章

第0話   誕生の儀

 白く、小さなつま先を、湿ってぬるつく腐葉土ふようどにしずめ、一歩一歩、どこまでも。


 森の奥へといざなう道は、ずっとずっと続いていて、終わりがないかに見えた。


 うすい桃色に色づいた花も、岩の隙間すきまから湧きでる水も、枝葉のあいだから、顔をのぞかせる鹿や鳥も、少女が近づくと、夢だったかのように消えてしまう。


 あとに残るのは、毒の実のなる、新緑色した低木だけ。

 

 いろんな色が実っていて、お菓子みたいに甘い匂い。

 指でつまめるほど小さく、丸く愛らしい形。


 どれも大人の言っていた特徴と合致がっちしていた。


『どんなにおなかがすいても、これだけは、ぜったいにたべてはいけない』


 少女は集落の大人に、そう教わってきた。


「ここで、あきらめたく、ない……」


 ろくに休まず何日も、歩き続けていた。

 ぼやけてくる視界……。重い足取り……。

 枝葉の向こうの動物たちも、恐ろしいモノに見えてくる。


「ここでとれる、おくすりのくさが、みんなのびょうき、なおせるって、せんせぇいってたもん……」


 一歩、また一歩と進むうちに、何か見えてきた。

 それはか細いくきに大きな葉っぱの付いた草だった。

 集落の医者が薬草図鑑で見せてくれた挿し絵と、寸分違わない。


「あった!」


 少女は力をしぼって走った。

 どんどん近くなる、薬草の緑。

 手を伸ばせば、届く距離に。


 ひざが汚れるのも気にせず、少女は地面にしゃがんだ。


「……あれ?」


 そこには、短い茎の雑草しか生えていなかった。


「みまちがいかな……ん?」


 背の高い草木にまじって、さっきの薬草が、風にもなびかず生えていた。


「またあった! こんどこそ!」


 少女は腕まくりし、ついでに背負っていた荷物をぜんぶ放り捨てた。

 自分で作ったお弁当も、大人用の大きな水筒も、とうに中身がない。


 摘み取ろうと伸ばした指はくうをつかみ、さらにその先に薬草が現れる。


「もういちど!」


 少女が湿った草地を蹴り進む。



 最後の薬草は、どろどろに濁った沼の水面に生えていた。




――――――――




 森にきりが舞い、草露くさつゆが雨のように根の深みに達し、動物たちが歌をさえずる夜に、一人の少女が、森に生まれた。


 白銀色の、薔薇ばら花弁かべんのようにふわふわした長い髪に、風にあおられる絹のようなはかない線。

 少女は、大樹の根本に、ぼんやりと立っていた。

 

「生まれたか」


 両手に鳥の羽毛うもうが生えた大柄おおがらな魔女が、草木を掻き分けて歩いてきた。


 その後ろを、若い魔女たちがぞろぞろと続く。


 奇異な手の魔女は一人だけで、他の魔女は、人と大差ない姿をしている。


 わずかな月明かりの下、夜目よめのきく魔女たちは、一斉に少女を取り囲んだ。


 両手に羽毛が生えた大柄な魔女は、幼い少女の目の前までやってくると、その小さなあごを、片手でグイと持ち上げた。

 哀愁を帯びた深い青の瞳が、自我なく夜空を見上げている。

 力強さを感じさせない、感情の抜け落ちた小さな顔だった。


 両手に羽毛が生えた大柄な魔女は、困ってため息をついた。


「魔の森が数年ぶりにはらんだと思うたら、なんとひどい……こんなに未熟な魔女を生み落とすとは」


 大柄な魔女が少女のあごから手を放すと、支えを失った少女はカクリと下を向き、そのまま、地面を眺めた。


 大柄な魔女は、今度はかがんで、片手で少女の体を引き寄せると、顔を近づけた。


 少女の瞳をのぞきこむ。


「……魔力の気配がしない。魔の森に入った人間が、飢えに苦しんでもあの実を食べなかったというのか」


 初めての事態に、周りがざわついた。


 驚きと奇異なものに向ける視線が混じり合い、やがておもしろさを見い出して、若い魔女たちがくすくす笑う。


 それを大柄な魔女が一喝で黙らせた。

 そして少女を突き放して、立ち上がった。


「魔法が使えぬ魔女など、役立たずと蔑まれて苦しむだけだ」


 両手に羽毛が生えた大柄な魔女は、頭上に腕を放るようにかかげた。

 両手の間から、勢いよく炎が燃え上がり、それぞれの影が激しく踊った。


「ここで森に、かえす!」


 少女に向かって、巨大な火の玉が振り下ろされようとした、


 そのとき――


「お待ちください村長!」


 一人の若い魔女が飛び出して、少女を庇うように腕に包んだ。


 両手に羽毛の生えた大柄な魔女――魔女の村の村長は、振り上げていた腕を、静かにおろした。


 激しい炎がボッと音を立てて、消える。


 森に月夜の闇が戻った。


「ローズか。何の用だ」


「この子はおそらく、魔法の才に目覚めるのが遅いのです。時間をかけて待っていれば、いずれ魔力が降りてきます。ですからわたくしにこの子をお授けください。きっと立派な魔女にしてみせます」


 ローズが、お願いします、と頭を下げた。

 少女もまねして、ぺこりとお辞儀じぎした。


 その様子を見た周囲の魔女たちが、ひそひそ話し合う。


「暇ねぇ」

「よそさまに構うなんて、ほんっとあの子って物好きよね」

「そういえば聞いた? ローズの恋人って、人間らしいわよ」

「え? わたしたちの言葉が聞き取れる人間が、この世にいるの? ウソじゃな~い?」


 魔女の村長は思案し、うなった。


「ローズ、皆の前でそのようなことを。出した言葉は引っ込まぬぞ。その覚悟は、あるのだろうな」


「はい」


「……そこまで言うなら、面倒を見ることを許そう。ただし、条件がある」


 村長はくたびれた布地ぬのじそでをまくって、片腕を突き出して見せた。

 なんと、肩のあたりまで羽毛で覆われている。


 そこまで進行していたとは知らなかったローズは、目を丸くした。

 村長は腕まくりした袖を元に戻した。


猶予ゆうよは、私が完全に魔物に変わるまでだ。それまでに、この子に魔力が降りなければ、処分する。よいな」


「そんな、処分なんて重すぎます!」


 困惑するローズを無視し、村長は分厚ぶあつまぶたで、黒目がちな両目をゆっくりと湿らせると、皆のほうへ体を向けた。


「誕生の儀は、これにて終了。みな、それぞれの生活に戻るがよい」


 蜘蛛くもの子を散らしたように集会は解散。

 村長も森の草花を押し分けて、静かに去っていった。



 ローズは緊張から解放されて、ひとまず、ほっと胸を撫でおろした。


「怖かったわね。もう大丈夫よ」


 笑みを浮かべて優しく呼びかけても、少女は無表情で、無反応だった。


 まだ言葉がわからないのだと察したローズは、少女の肩をゆっくりと引き寄せた。


わたしはローズ。あなたは……私と髪の質が似てるわね。ロゼッタは、どうかな」


「ろぺった」

「ロゼッタよ」

「ろぜった」


「そうそう! ロゼッタ、今日からいっしょに暮らしましょ。何か着る物を用意しなくちゃ」


「ろぜった……まじょ?」


 覚えたばかりの単語で作られた、純粋な質問に、ローズは苦笑した。


「そうよ、あなたは魔女なの。私も、そしてここに住むみんなもね」


「みんな……まじょ……?」


 ロゼッタの深い青色の瞳が、真っ赤な髪をもつ美しいローズを映していた。


「まじょ……?」


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