第3話 自己紹介

 生徒たちが各教室に入り、一年A組にも生徒が移動し終えた頃、ガラガラと音をたてて前側のドアが開いた。そこから姿を見せたのは二十代半ばの外見をした男。


「はーい、お前ら席に座れー。自分の席が分からん奴は俺に聞きに来ーい」


 男は遠目に見ても、比較的顔面偏差値が高いと分かる。クラス中の女子がキャアキャアと浮き足立っているのがその証拠だろう。

 意外にも押し寄せた女子の群れを難なくあしらい、素早く席につかせた男は、教卓の前に立った。


「えー、俺は三崎和正。数字の三に、山崎の崎、日本を表す和でかず、正しいとかいてま。よく間違われるけど、かずまさじゃないからな。年は二十五。誕生日は大晦日。イベントが一つ潰れて悲しい人間です。よろしくな。じゃあ、これから定番の自己紹介といくぞー。面白いの期待してるぜ、じゃあ一番からどんどん回せー」


 指示された通りに出席番号が一番となる者から自己紹介が始まった。緊張があるのか、固い口調だったり、逆に軽い感じであったりと、自己紹介一つにも個性が感じられる。


「あたしの名前は鵲麗羽。趣味は音楽を聴くことね。あとは……えっと、そ、そう! 歌唱部に入る予定よ。よ、よろしくしてあげないことも、ないわっ」

「っと、俺は周防隼人って言います。好きなこと……は何だろ。運動、かな。部活は決めてないんで、良いのあったら勧誘してください。よろしくな」


 何の問題もなく、テンポよく自己紹介が回っていく。そして、遂に宗方の番となった。


「ん? 次ー。次は、宗方ー自己紹介しろー」


 一向に始める様子のない宗方に、間延びした声で三崎が急かす。


「宗方巽」

「………え、それだけ? 好きなこととか、部活とか、好みのタイプとか、ないの?」

「知ってどうなる。知る必要のないことだろう。…俺は、他人とつるむ気はない」


 やはり温度なく響くその声に、その内容に、クラスがざわつく。興味深そうに見つめられていた視線は、いつしか睨み付けられるものに変わっていた。しかし、やはり宗方がそれを意に介す様子は見られない。クラスの空気が殺伐としたものになったのを敏感に感じ取った三崎が口を開いた。


「あー、じゃあ次いけ。宗方、お前放課後少し職員室よれ」


 三崎の少し声のトーンが下がった指示にも返事をすることはなく、ただ鼻をふん、と鳴らして自分の席に座る。


「あ、えっと、じゃあ……変な空気になっちゃったけど、気にせずいっきまーす! 俺は三住奏。奏君とか、奏ちゃんって呼んでね! 好きなものは女の子! 可愛い彼女募集中でっす。しくよろ! 部活は、そーだなー。……宗方の入ったところにするわ!」


 三住の最後の一言に再び周囲がざわめく。あちこちから「やめとけ」という言葉が聞こえる。先程のことでよっぽどの悪印象を持たれたのだろう。そして、それに対し、三住は明るく、クラスのムードメーカーとなりそうな存在であるのに、宗方と関わろうとする理由が掴めない。宗方自身も、三住を理解できず、警戒していた。


「またお前は面倒事を……もういい。次いけ」

「はい。私は峰岸香澄といいます。好きなものは本と、人間観察ですね。部活は、文系に入る予定です。よろしくお願いしますね」


 丁寧な口調と、静かな微笑みに、周囲から低い「おおっ」という声が聞こえる。


「なーなー。お前、何部に入る予定なん?」

「……」

「なあってば。聞こえてんだろ?」

「……」

「おーい。俺ずっと喋り続けんぞ。良いのかー」

「……五月蠅い」

「へー。ずっと喋り続けられんのは嫌なんだ」

「……チッ」

「あ、今舌打ちしたろ。聞こえてんぞー」

「黙れ、そこの馬鹿共」


 突然の言葉と同時に宗方と三住の頭頂部に拳骨が降り下ろされた。


「ッ!」

「いってぇっ! 何すんだよ、カズセン! 親睦を深めてたところだろ!?」

「やかましい。そんなことは後でしやがれ、この問題児共が」

「……俺は何もしてないだろう」

「ほお? 生意気言ってんのはこの口か? 問題児その一元凶が。俺はお前が抵抗で喋ったことに猛烈に驚いてるぞ」

「まぁじでっ!? カズセン、ポーカーフェイスヤッベェ! あっはははっで!」


 ニコニコと微笑んだまま宗方の頬をギリギリとつねっていた三崎が、ゲラゲラと笑い転げる三住の頭頂部に再び拳骨を入れた。

 周囲はカオスなその状況に呆気にとられていたが、次々と我に帰りだす。


「カズセン! 時間過ぎてるー!」

「あぁ? 何だよ、時間短ェんだよ。今日は解散。各自寮に戻れ。明日遅刻すんなよ」


 三崎の言葉を皮切りに、生徒は次々と教室を後にしていく。宗方も例に違わず荷物をまとめ、教室を後にしようとしたとき、『何者か』に制服の首根っこを捕まれた。


「なぁに勝手に帰ろうとしてんのかなー? そう簡単に帰れると思うなよ。面倒事を増やしてくれた罰だ。洗いざらい吐いて貰うぜ」

「……チッ」

「はは! お前は結構異質だと思っていたが、結構子供だな。感情が漏れ出てるぜ?」

「……出してやってんだよ。これ以上、誰かに関わられるのは御免だ」


 眉を寄せて不機嫌そうに呟く宗方をちらっと盗み見て、三崎は嘆息する。


(こりゃあ、根は随分と深ェな。だが、この俺を相手にしたんだ。一年あれば十分。……お前を縛るものから、楽にしてやるよ)


 襟元を掴むのはやめろと宗方が言ったため、腕を掴みながら職員室まで無言で歩き続ける。その間にも、三崎は顰めっ面のままの宗方の観察を続けていた。


(しっかしまあ、ほっせぇ手首。女みてえだな。睫毛も長いし。……でも、雰囲気が刺々しすぎるんだよなー。他の教員も逃げるレベルだぜ?)


「何だ、さっきから。見てんじゃねえ」

「あー、そりゃあすいませんで」


 そして、再び無言になる。

 歩き始めて数分、漸く職員室の看板が見えたかと思うと、宗方の体は壁に押し付けられ、両手は頭上で拘束されていた。それをした犯人を睨み付けると、飄々とした様子で口の端をつり上げる。


「何のつもりだ」


 地を這うような声で三崎に問うと、三崎は飄々とした様子を変えないまま問いに答えた。


「職員室に行って膝付き合わせても、お前逃げるだろ? だから、こうした方が確実だと思って、実行に移した」


 ケロリと言い放つ三崎に、宗方はぐっと喉を鳴らす。こうしている間にも腕を解放しようと必死に抵抗しているが、びくともしないのだ。


「……ッ!」


 意を決して、唯一自由な足を振り上げようとしたとき、足すらも三崎に押さえ込まれた。


「ったく、手癖足癖悪ィな。……さて、お前、初っ端からあんなこと言ってどうすんだよ。独りになるぞ」


 三崎の呆れたような声で言われた内容に、ひくり、と体が無意識に反応する。


『そんなんだと、この閉鎖的な学校で独りになるぞ』


 周防の多少険のある声が脳内に響く。宗方も、わかっていた。自分の行動が自分だけでなく、周りのためにもならないことを。周防や三崎が言ったことなど、とうに理解していたのだ。


(だからって、どうしろってんだ。これが、俺の生き方なんだよ)


「……そんなこと、アンタに関係ないだろ」

「ある。お前は俺が担任してる、俺の生徒だ。俺の生徒に、俺が関係ないなんて言わせねェぞ」

「はっ、生意気で嫌な生徒もアンタの生徒ってか?」


 考えるよりも先に、皮肉が口を溢れだす。思考が、回らない。


(これ以上、俺のなかに入ってくるな)


「おう、ちゃんと自覚してるじゃねえか。そうだよ。お前みたいな生意気で嫌な生徒だって、俺の生徒だ。確かに、今日一日のお前の印象は最悪だ。……だけどな、もしかしたら、俺にも知り得ない事情があってのことかもしれない。なら、無責任に全てを否定するなんて出来ねえよ」

「アホか。ただ単に人と関わることが面倒だからかも知れないだろう」

「そうだな。確かにふざけた理由かもしれない。なら、俺がその腐れ切った根性を叩き直してやるだけだ。……教師ってのはな、教える師なんだよ。人生もお前らより先輩だ。解決できないこともあるかもしれない。でも、どんなときもお前らのことを第一に考えて動く。それが教師だ。俺は、お前の道を探して、舗装してやる。道を選んで、繋げていくのはお前の役目だ」

「……アホか。熱血かよ」

「……かもな。らしくなく熱くなっちまったぜ」


 お互い、なにも変わらない。だが、確かに、三崎の心からの言葉は宗方に届いていた。


「……今は、言えない。ただ、俺の人生として、大事なこと。それが、理由だ。だから、変えられない」


 そう言って、宗方は俯く。声が震えていたこと、微かに体も震えていることを隠すかのように。三崎はただ、小さな教え子の姿を優しい瞳で見つめていた。


「……そうか、理由はわかった。言えるときになったら言ってくれ。相談もいつでも受け付けてる」


 力は強くないのに、何故か拘束されて動けなかった両腕を解放される。動かしてみても、痛みは感じない。

 腕の感覚を確かめているうちに、三崎は職員室へと歩き出しており、ふと視界を上げたときには職員室へと入っていくところだった。

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