第8話 人々の存在意義
11時32分。中央区の住宅地。
小さな時計台の屋上に座り込む蝙蝠怪人は、白い林檎の形をした宝石を見詰めていた。
宝石の奥から垣間見えた十字架の無い教会のような外装した建物と、
庭に遊具の設置された付属の施設がふと彼の視界に映り込む。
その純白に煌めく宝石を思い詰めた様に力強くグッと握り込む怪人だが、
髑髏の様な仮面の奥ではどのような感情が渦巻いているのか知り得ない。
すると当然、ポツポツと宝石に水が細やかな水滴を残して弾け飛ぶと、
思わず空を見上げる彼は音も無く静かに降ってきた小雨を見て呟く。
「降ってきたか……。」
霧雨に降られる蝙蝠怪人は、鉛色の曇り空を眺めながら呟いた。
雨の降り始めた街並みは濃霧が徐々に薄霧へと変わり、
建物の輪郭を視認することが出来る程度に霞んでいる。
「話は済んだのですか?」
不意に霧の中から声が聞こえてくると、
蝙蝠怪人は振り向きながら立ち上がって近付いてくるその2つの影を見詰める。
すると薄霧の中から先に梟の様な姿を模った甲冑の怪人が現れた。
兜にミミズクの様な羽角を模した装飾と、
白と黒の身体に背中から広がる大きな翼が特徴的な怪人だった。
そしてその背後には彼の付添人のように、
200cm以上ある巨体に重武装した板金鎧の怪人が静かに佇んでいる。
梟怪人を見た蝙蝠怪人は「……ああ。」と返事をすると、ゆっくりと立ち上がりながら向かい合う。
「あの子は連中とは違って、きちんと人と話をすることが出来るからなぁ……。
話は反故になったが、無駄なやりとりなどは無かったさ。
お互いに確認と了承をした。それだけだ。」
彼の返答に梟怪人は遊具が設置された施設に黙って視線を向ける。
「……………。」
思い詰めた様子でその場所を見詰める彼は、
「……反対派の地球人が動き始めました。」と静かに言った。
「地球から転送されてきた者達を含めて、力欲しさに貴方を探しています。
貴方の計画に賛同する者はもう既に彼1人だけです。」
そう言った彼は重騎兵の様な怪人に視線を送ると、蝙蝠怪人は可笑しそうに笑いながら言う。
「白々しいねぇ……!
自分たちから手引きしておいて子ども達に責任転嫁とは目も当てられないなぁ?
あの指輪といい……君達のルールや取り決めどころか、
この世界の秩序ですらどうでも良いと言っている様なものだなぁ……。」
皮肉めいた笑いに梟怪人は漸く彼と視線を合わせると、
「こうなることぐらい貴方も分かっていたのではないのですか?」と静かに言う。
「貴方達がそれぞれ別々の力を与えられた理由も、
結局は協力しなくては意味がない力だと。そう言っていたではありませんか。
人間が1つにならなくては何も変わらないと。
それをあなた自身が理解していた筈だというのに、何故?」
口早に問い詰める梟怪人に彼は、
「何故……とは、また一方的だなぁ……?」と鼻で笑う。
「さっき襲って来た奴も世の中が弱肉強食の世界なら、
人間に心や感情はいらないと言っていたが……。
君達はこの世界の人間を洗脳してどうだった?
心を傷付けてはいけない人間達が魔法や科学を利用して、
人間が人間を必要としない社会を発展させているということがそもそもの矛盾だなぁ?」
「……何が言いたいのです?
科学を発展させて人間が人間を必要としない世界を創ったのは貴方たち地球人の方です。
愚民政策による奴隷制社会を維持した結果、
大衆が自ら人種主義体制を助長し、社会性と倫理観が欠如した点が良い例です。
その弊害により一過性ストレスに対する耐性が著しく低く、
行動依存症による中毒症状から思考能力の欠如した協調性のない人間社会を増長したのですから。
我々はそういった矛盾による障害が起こると分かっていたから洗脳したようなものですよ。
人間同士の余計な争いや諍いを起こさないことが目的なのです。」
感情の籠っていない冷淡な口調。
それはまるで翻訳した説明文を機械が読み込むかのように、
次から次へと理解し難い言葉が一斉に並べられた。
「そこが地球人と同じだと言っているのだよ……!」
対して蝙蝠怪人は彼がその言葉を言い切ったと同時にすぐさま言い放った。
「地球の人間は本当に大概だが、 君たち含めて他人に対する要求度があまりにも高過ぎる。
口を揃えて世界の平和だの平等だのと都合の良い事ばかりを言わせて、
惰性に繰り返してきた歴史とは裏腹に自由を失った人間達はどうだった?
超人思想なぞに取り憑かれているから、
人間を美化して理想論を語るだけの現実逃避をした連中ばかりになるのだよ。
人間を研究する上で、人間が都合の良い機械ではないことぐらいは学んでおくべきだったな?」
「そんなことはありません。
現在の倫理観や宗教観を失った地球人だからこそ、
トランスヒューマニズムを推奨した意識改革を行うことが可能なのです。
資源と環境の無駄にする前に人類の機械化を促進すれば地球人にも進化の可能性は十分にあります。
科学技術に頼らざるを得ない貴方がた地球人は、もはや人間である必要はないのですから。」
梟怪人は肩をすくめて理解を示す事が出来ない様子を見せると、
彼は再び「ふふふふっ……。」とさも可笑しそうに笑った。
「自分で言っていておかしいと気がつかないのか?」
小馬鹿にした訳ではなく、面白おかしくて笑っているのだ。
「いいえ、分かりません。何がおかしいのでしょうか?」
一見、挑発したような態度にも反発することなく、ただ単に質問する梟怪人。
感情の起伏もなく、定型業務の様に受け答えする彼に対して、
蝙蝠怪人も変わらず飄々とした態度で話を続ける。
「この世界の連中は頭脳や心という感性を進化させるのではなく、心を守る社会を創った。
その結果に対して君達はその意味をまるで理解していない。」
「意味……?
結果が無くては理解出来ないのは当然のことです。
実験の段階で答えを出そうとするのは全て憶測に過ぎません。」
機械人形の様に淡々と受け答えする梟怪人は、
明確な理由を追及する為だけに悩むことなく受け答えをする。
「……コミュニケーションというのは理解できるかどうかではなく、
相手の意思をどれだけ汲み取れるかが重要だということだ。
理解がないと受け入れられないというのは、
他人と会話をする必要が全くないなぁ?
生憎、こっちは都合の良いお人形さん遊びを終わらせたいと言っているのだよ。」
しかし、そんな彼の応答を予想していたのか、
蝙蝠怪人は言葉を用意していたかのように人差し指を振りながら答える。
「彼らは君達と違って進化したいから人間の心を守っているんじゃない。
完璧な人間など存在しないという結果を分かっているから、
人間として不安定な心を守る社会を創った。
人間の文明にこれ以上の進化は必要ない。
それが彼らの出した結論という訳だ。」
人間が進化する必要は無い。
それは人間がネオテニーだからという話ではなければ、
人体の神経系の情報伝達速度がコンピューターに比べて遅いからという、
生物的な限界を追求するような小難しい話でもない。
人間という心や感情を持つ不完全な生き物が進化することのないまま、
人の心と感情が豊かで穏やかな社会の中で生きていたいという極めて単純明快で合理的な話をしているのだ。
それは人間の善良な心を愛しているが故に。
所詮、魔法や科学などは必要最低限の道具に過ぎないという、
異世界スフィアの人々が辿り着いた結論なのである。
「……………。」
その回答に対して梟怪人は思考停止した様にピタリと動きが固まった。
黙って見詰める彼に蝙蝠怪人は諭すように続けて言う。
「……戦争で何もかもを沈められたこの世界で、何もない海の上にこの街を造ったのは何故か?
魔法と科学を発展させておきながら、
自然との共生を実現しようとしている意味は何なのか?
彼らが向き合い始めたその現実が人間として生きるということなのだよ。
いい加減、夢から覚めるべきだ。」
言い放たれたその言葉に梟怪人はピクリとも反応を示さなかったが、
暫くすると止まっていた息を吹き返す様に再び早口で言葉を並べ始める。
「仮にそれが本当だとするのなら、我々も貴方と同じ手段を取らざるを得ませんね。
あるいは更に洗脳を施す必要があるでしょう。
この世界の人間にも、地球人のような余分な因子が残っていたということなのですから。」
彼の発言に蝙蝠怪人は返事をすることなく黙った。
「…………。」
単純に相手の意思を確認できた以上、余計な問答は必要ないと判断したからだ。
しかし、数歩分の距離をとって話を聞いていた重騎兵の様な怪人は声を洩らす。
「貴方は……。」
話を聞いて痺れを切らしたのか一歩踏み出しながら話を切り出す様に発言する。
「……貴方たちは何も思わないのですか?」
梟怪人に向かって言った声に2人はゆっくりと視線を向けた。
「自分たちで創った世界を簡単に壊して……本当に何も思わないのですか!?」
彼に首を向けた梟怪人は何の躊躇いもなく頷いて即答する。
「人の歴史は洗脳による支配です。何も疑問に思うようなことではありません。
貴方達の政府が個々人を国民番号で整理している上で、
一部の地球人が身体にマイクロチップを埋め込んでいることと同じです。
新人類を支配する人間達ですら自分達が管理されていることに疑問など抱きはしないでしょう。」
そう言って彼は首からぶら下げたネックレスの鎖を掴むと、ハート型の宝石が見える様に掲げる。
「地球人が大衆にブレインマシンインタフェースを無意識に推進させている様に、
我々もこのような非効率的な道具に頼らざるを得ないのですから。
どちらにしても人間が物に依存するのであれば、
管理しやすい物を使わせるのは当然のことなのです。」
物々交換から貨幣を用いた売買取引に変化した様に、
時代の変化によって人間がより便利な物に依存することは当然である。
物が使いやすくなるほど我儘で貪欲な人間が増加する上で、
社会の裏で人々が苦しむことで人間性や精神性が希薄になった。
そこから生まれる様々な人間社会の綻びに対して、
無個性、無責任、無関心の言葉で片付けられるのなら、
人間を機械同然に扱い、管理することが社会環境への適応なのだ。
アレセイアと呼ばれるその宝石を目の前で揺らし、そう説明する。
「……自分の人生や居場所が壊されてもそう言えるのですか?」
しかしながら重騎兵の怪人の問い掛けは、 人間を物として扱う彼の意に反しているのだ。
「少しでも違えば人間を使い捨ての道具みたいに簡単に殺して!
その命に心や感情が積み重なっていたことに、
人間として生きる意味があったのだと何故分からないのですか!?」
それに対して答えて貰う為に彼は問い掛け続ける。
「この世界の人達も洗脳されているだけで、本当はただ……!
人間は心があるから生きていられるんだって言っているだけなのにっ!
何でそんな簡単なことにも気付いてやれないんですか!?」
感情的になって説教を始める彼を宥める様に、梟怪人はすぐさまその質問に回答する。
「人間が人間の道具であることは事実です。疑問に思う必要などありません。」
返ってくる答えは感情ではなく、目の前にある現実とその現状なのだ。
「それと御言葉ですが、人の心や命そのものに価値や意味はありません。
そもそも人間の脳の活動はシナプスの電気伝達によって存在を認識しているだけなのです。
ですからご安心下さい。いずれ人間は肉体そのものが必要なくなりますよ。
重要なのは記憶が記録として残ることなのですから。」
だが、理屈に対して論理で返しては感情による混乱は収まらない。
「……っ!」
思わず重騎兵の怪人は彼に向かって足早に詰め寄る。
抑え切れない感情による暴走は、依存や洗脳による現実逃避か、
徹底した権力や暴力でしか解決できないのである。
それが人間を社会的に抑え付ける唯一の不変的な方法なのだから。
「それじゃあ人間が……っ!
存在する意味なんてないから言っているんじゃないですかぁあっ!!!!」
梟怪人の目の前まで接近しながら大声を上げる彼はその両手で掴み掛かろうとした。
しかし、その時。
「止めろ。」
彼の動きは背後から右肩に置かれた手によって制止される。
「……っぅぅう……!」
振り向き際に蝙蝠怪人が右肩を掴んでいた。
その様子を不思議そうに見詰めていた梟怪人が首を傾げると、
そんな彼に蝙蝠怪人は首を向けて静かに言う。
「話は終わった筈だなぁ?
これ以上、問答しているほど時間に余裕はないんだ。
君達は文句だけ言って何もしない地球人とは違うのだろう?
だったらいつも通り、自分達の持ち場に戻ればいい。」
その呼び掛けに素直に頷いた梟怪人は、
背中から翼を広げるとゆっくりと上昇して2人を見下ろしながら言った。
「ええ。貴方のやろうとしていることは、
たとえ失敗したとしても意味があることです。
結果を楽しみにしています。」
雨にうたれながら言葉を残すと彼はどこかへと飛び去って行った。
「……………。」
蝙蝠怪人はその白と黒の翼を見送ると鼻で笑いながら呟く。
「……そう言って本当に見ているだけなのだから質が悪いな。」
重騎兵の様な怪人はその声に視線を向けて、
一歩踏み出しながら話を切り出す様に発言する。
「……黒崎さん。僕には何が正しいのか分かりません……。
あの人達みたいに完璧な人間社会を創ることが正しいとは思いませんが、
他の人達みたいに何もかもを諦めて好き勝手にやることが良いとも思えません……。
それとも……そう考えてしまうのは、
僕が何も知らない子供だからなのでしょうか……?」
感情と理屈だけでは現実は変わらない。
打開策のない現状に気が沈んでしまった彼は弱弱しくそう訊ねる。
その様子に励ます訳でもなく、突き放しもしない蝙蝠怪人は、
「君は……本当に生真面目だな。」と呟きながら言った。
「ただ……地球もこの世界も、何も変わりはしない。
都合の良い人間の世界を創る為に監視と実験を繰り返しているだけだ。
結局は早いか遅いかの話だというだけであって、問題を先送りすること自体に意味はない……。」
雨にふられて静かにそう語ったその一瞬。
強い風が吹き荒れて辺りにピューと高い音が響き渡ると彼は、
街を覆い始めるどす黒い雨雲を見上げる。
「あまり時間はないな……。」
そう呟いた彼は再び向き合って視線を合わせながら言った。
「君も、君のやりたいようにするべきだ。
正しくないと思うのなら自分達で正していくしかないのだからなぁ……。」
11時41分。中央魔法署 魔法犯罪対策本部。
入室した魔法使い達が口の字形式に並び替えられた机に向かうと、
バタバタと慌ただしく席に着いていく。
辺りを見渡した本部長は全員が揃ったことを確認すると、
「皆、急遽集まってもらい申し訳ない。」と呼び掛けながら会議に移った。
「率直に事件を解決する為に対策を見直し、追い込みを掛けることとなった。
街に霧を起こしていると思われる魚の怪人および第2の怪人に対して、
今までのケースの怪人の犯行とは似て非なるものであった為、
昨日の蜘蛛の怪人のような地球人である可能性は低いと思われた。
しかし、その後に押収された遺留品や彼らの行動について改めて分析を重ねた結果、
その可能性はかなり高いという結論に至った。」
事件の方向性が変わってきたことについて本部長は資料を掲げながら、
「時間の都合上、詳細は各自配布した資料で確認して欲しい。」と一言添える。
「もしも想像通りの結果になるのなら、
再び同じ事件現場に現れた魚の怪人の謎の行動も、
やはり行方不明者と何か関係があるのかもしれない。
その件に関して、まずはサツキ君。」
本部長の視線を向けて名指しされた女性は、
怪人の目撃者であるアメリア・ミオの取り調べを行った巡査部長だった。
巡査部長は「はい。」と返事をして立ち上がると、
資料を手に持ちながら説明を始めた。
「まず始めに、行方不明者のハヤセ・ミズキさんの経歴についてですが。
以前の経歴については現在開発途上にあるメルクリアで、
国の支援金を受けながら5年前に職業訓練校に通っていたことが分かりました。
食品衛生責任者、防火管理者などの資格を順当に取得し、
1年前にはメルフィオナの南区に在住、と書いてありますが……。
3年前からは既に知人の喫茶店に住み込みで働き、
店からの紹介があって南区の空き店舗を借用。
それから半年前に喫茶店スタードロップ営業開始となっています。」
一通りの説明を終えた彼女は一端、
机の上に置いた手帳を手に取ると再び全体を見渡しながら発言する。
「ですが……、調べによると彼女は5年以上前の記憶が曖昧で、
本来の戸籍が不明であることから身元不明者であったことが分かりました。」
行方不明者が怪人で有るか否か。
懐疑の念を抱かれる中で魔法使い達は思わず口々に言う。
「身元不明……?」
「いや、記憶喪失……か……?」
「それか……本当に地球人なのか……?」
その中で会議に参加するアヤ・アガペーは、緊張した面持ちで彼女を見詰めて答えを待つ。
「…………。」
それはその怪人と遭遇した女性がつい30分前に、
怪人であったとしても人として信じたいと語ったからだ。
(「やっぱり、昨日の事件のことを考えると未だに私の携帯にも連絡は無いのは不安ですし。
このまま何も言わないで事件が終わってしまったら、絶対に後悔するって思いましたので。
だってハヤセさんは自分の好きなことで人を幸せにすることが出来る凄い人ですから!
そんな人が何の理由も無く人に危害を加えようとするとは思えないんです!
だから例え、ハヤセさんが怪人だったとしても私は信じていたいです!」)
脳裏にはそう言い切って微笑んで見せた女性の真っ直ぐに向き合う姿が思い浮かぶが、
もしも本当にハヤセ・ミズキが怪人ならば事態は深刻化する一方なのだ。
そして現時点では周囲の不安を払拭させる様な根拠がある訳でもない。
そんな不確かで曖昧な答え合わせを求めながらも、巡査部長の口は開かれる。
「当時、彼女が保護された場所は、
先の大戦による被害を受けて自然保護区に指定されたグローブ・ボヘミアの付近です。
唯一、アレセイアのネックレスを所持していたことから記憶を分析し、
そこに至るまでの記憶が欠如しており、身体的な外傷はないことから、
過去に何らかの精神的な衝撃を受けた可能性があります。
記憶の分析による拒絶反応やストレス症状が診られないことから、
精神的な障害とも考え辛く、現時点では怪人との関係性を調べることが先決かと思われます。」
肝心な情報が曖昧であると、騒然としていた一同が静まり返る。
報告を終えた彼女に本部長は頷くと、彼女が座ったと同時に進行を続けた。
「いずれにしてもこの異常気象と水害を止める為に、魚の怪人を強行的に捕獲せざるを得ないだろう。
今一度、改めてその対策を見直して欲しい。
では、ヒイラギ君。」
名前を呼ばれて今度は警部が「はい。」と返事をして直ぐに立ち上がる。
「事件は一定の範囲内で行われていて、
複数の怪人が関与していることは間違いないです。
詳細は資料の次のページに記述されています。」
そう言ったヒイラギは資料を掲げながら説明を始める。
「科警研と協力してもらい、局地的なシミュレーションを行った結果、
霧の発生地点はほぼこの範囲内に限定されました。」
指で示した街の簡易的な地図には、
霧が東北東、北北西、西北西、西南西、南南西の4か所が丸印で囲われていた。
「これは東西南北の4つに分かれる水路の前を通過した直後に霧が発生していますが、
この条件でいうと南区の水路だけは、必ず入る直前に霧を発生させています。
この性質を利用して南区から中央区に繋がる水路に追い込み、
あらかじめこの水害対策で閉じている中央区の防潮水門まで誘導することで、逃走経路を封鎖し、確保することが出来ます。
その為に引き続き巡回中の警備艇と連携を取り、
我々は南区周辺の水路や住宅地に張り込み――――」
話を区切りながらヒイラギは制服の腰部に装備された筒状の物体を掲げる。
「今回はシールドランチャーを使用して防護壁を展開します。」
それは20cm程の擲弾発射器の様な形状の道具だった。
彼らが所持している光弾を放つ拳銃を拡張する為の特殊な武器である。
「そして現在、科警研に急遽手配中の捕獲用麻痺弾を用いて、防護壁で包囲した怪人の身柄を確保します。
麻痺弾は神経毒が含まれた炸裂弾で一時的に筋肉を弛緩させることで行動不能にさせることができます。
輸送班が到着次第に作戦に移る予定です。」
ヒイラギが説明を終えると本部長は大きく頷きながら、
「よし!それでは、その一帯を固めよう。」と言って立ち上がる。
「新手の怪人や水路の氾濫で大変だと思うが、十分に注意を払って事件に臨んでくれ。」
全体を見渡しながら本部長が呼び掛けると、
魔法使い一同は「はい!」と返事をしながら立ち上がって急いで退室していく。
怪人の件で強張っていたアヤも、出動準備の為に向かおうとすると彼等に続いていく。
するとそんな彼女を目で追っていた巡査部長のサツキが、「アヤさん。」と呼び止めた。
思わずアヤは「はい。」と返事をして立ち止まると、
歩み寄りなったサツキは柔らかい表情で静かに言った。
「怪人の件についてですが、アメリアさんには私から改めて話しておきます。
だから、貴女は事件に集中して下さい。」
彼女なりの職務を全うさせる為の気遣いだった。
「……丁度、アメリアさんが言っていた言葉を思い出していました。
このまま何も言わないで事件が終わってしまったら、絶対に後悔する――――と。
それは今まで私達がやってきたことも同じことだと思いましたし、
私自身もそう何も知らないまま事件が終わって後悔することがありました。
だから私も、アメリアさんの気持ちには応えたいと思います……!」
固い表情が解れて緊張感が和らいだ様子にサツキは微笑んだ。
「アメリアさんは意思の強い人ですから。
きっとどんな形であれ、受け止めてくれますよ。
頑張って下さい。」
「ありがとうございます……!
怪人の判明次第、直ぐに連絡します!」
一礼するアヤは彼女に感謝の意を示すと、
微笑み返しては直ぐに振り返り、準備に取り掛かるのだった。
11時35分。メルフィオナ学院付属病院 2階 待合室
「これから、他の患者さんの診療に入らないといけないんだ。」
2階の外来の検査の案内が掲示された廊下を抜け待合室を歩く2人。
久遠彼方に、ハヤシは苦笑しながら申し訳なさそうに言った。
「ごめんね。君は地球人なのに……結局僕は、この世界。
スフィアの人間としての意見でしか話をすることが出来なかったよ。
本来ならそういった話で君なりにもっと色々と思うところがあったと思うけれど、
きちんと聞いてあげられなかったね。」
「いえ……!それは、当たり前のことなんです。
でも、俺は地球人ですから……自分の本当の気持ちだとか、
当たり前のことを見て見ぬふりをして誤魔化しているんだと思います。
多分、素直に自分の駄目なところを受け入れられていないんです。」
自嘲気味に浮かべた無邪気な笑顔。
自分を自分で否定できる彼が悪い人間ではないことをハヤシは知っている。
ただ、あらゆる面であまりにも幼すぎるのだ。
首を振るハヤシは「君は、十分素直だよ。」と複雑な笑みを浮かべて立ち止まると、
階段と吹き抜けが見える手前で互いに向き合ってから言った。
「でも……価値観や常識が違うから押し付けがましいと思ったかもしれないけれど、
それが人として一番大事なことだからね。
悩んだり、傷付いてしまうことは辛いことだけれど。
悩むことを忘れてしまえば……、人は誰しも、他人を思い遣ることすら出来なくなってしまうから。
この世界にいる以上、それを忘れないでいて欲しいんだ。
だからまた僕の方で定期的に診察する予定を作っておくね。」
真面目な表情でそう伝えたハヤシは横目にした1階の様子を2度見すると、
浸水被害に人気が無くなって排水作業に追われている人々の様子を眺めた。
「…………そういえば、今朝から異常気象と高潮で外は大変だったんだ……!」
1階のエントランスホールの待合スペースと正面玄関側が吹き抜けから見える階段前の廊下。
廊下の隅に立つ2人は受付の斜め上に設けられた大きなモニターから霧に包まれた街並みと、冠水被害で地区ごとに避難勧告が発令された報道が目に映った。
「この、街全体を覆った濃霧は、メルフィオナ全域に発生しており、
避難勧告が発令されていましたが現在、南区では避難指示が出されております。
不要な外出は避け、該当の避難所。又は周辺、警察の指示に従って行動して下さい。」
男性の声のアナウンスと伴に流れる街中の映像では既に外は昼か夜かの区別がつかない程に霞で覆われ、
水路か歩道かの見分けがつかない程に上昇した水位が川の様に流れる様子が映された。
「えっ……!?病院まで浸水している……!
というか、外はかなり大変なことになっていたんですね!
避難指示まで出ている地域もありますよ……!」
「結構ひどいね……!
中央区はまだ大丈夫みたいだけれど、このままだとこっちも避難指示になるかもしれない。
カナタ君も一応、このまま病院の中にいた方が良いかもしれないね。
ルルさんには僕から検査も終わったって伝えておくよ。」
そう呼び掛けた彼は「それじゃあお疲れ様!」と、手を挙げながら振り返る。
そんな彼に軽く一礼し、その背中が心療内科に戻っていく様子を見送ると、
ふと彼の真横を見知った顔が横切った。
(あれ………?)
思わず振り返り、その長靴をはいた少年に歩み寄って横顔を確認すると肩を叩く。
「カズラ君?」
振り返って顔を上げたのは紛れもなく彼方が昨日出会ったばかりの少年だった。
「あっ……。カナタの、お兄ちゃん……。」
思わぬ再会に驚いて目を見開いたカズラは彼の名前を呼ぶと、
急に慌てた様子で首に掛けたネックレスを両手で隠した。
「ぁっ…………!」
一瞬見えた黒い光。ハートの宝石とその光が目に入り込み、
偶然の再会に喜んでいた彼方は思わず声を洩らした。
「えっ…………?」
その再会は偶然ではなく必然なのだ。
両手から垣間見えたアレセイアの黒い光。
心に負った傷は治らない。
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