第7話 暴力と科学、齎される喪失
11時9分。中央魔法署 刑事課 事情聴取室。
「喫茶店で打ち合わせの予定をしていたのも、
以前からハヤセさんとは交友関係があったので……。
私のお店の雑貨を自分の喫茶店でも取り扱いたいと連絡があってのことでした。」
被疑者用の取調室とは違い、人が慣れやすい昼白色の照明が点いた被害者用の事情聴取室。
物々しい鉄格子の窓はなく、壁には港湾都市の風景画。
机の上の中央に置かれた小さな網かごには小ぶりの花々が飾られている。
「ただの商談ではなく……お互いのお店をより良くする為に、
いつか今よりも大きな店で雑貨カフェとして併設させたいと。
以前からそういった約束をしていました。」
応接用の椅子に座る耳に髪を掛けたショートカットの女性。
司法警察員である巡査部長の監督の下、事情聴取に当たる中。
怪人と遭遇した当事者であり捜査員であるアヤ・アガペーが、
被害者の知人であり、怪人の目撃者であるアメリア・ミオと向かい合って、失踪したハヤセ・ミズキとの関係について語っていた。
「ハヤセさんと知り合ったのは3年前の春頃でした。
南区に建ったばかりのあのお店に雑貨の注文や内装の装飾に関しての相談を受けたことがきっかけでした。
どこの街から来たのか……そういった過去の話は語りたがらなかったので知りません。
ただ5年前ぐらいから職業訓練校に通っていたらしくて、
資格を取る為にそれ以前からも喫茶店で働いていた経験があったみたいです。
自分のお店を持つことが夢だった、と嬉しそうによく話してくれました。」
メモを取りながら話を聞く魔法使いの2人に対し、
女性は「だからあのお店は、彼女にとって夢そのものなんです。」と声を震わせながら言った。
「あのお店はハヤセさんにとって、やっと見つかった居場所で!
この街の人にとってあのお店は、ハヤセさん自身そのものなのにっ……!
それなのにっ…………。あんなにも簡単に人の夢が壊れてしまうのは辛いことです……。」
昂った感情を抑え込む様に真っ直ぐで真剣に語った女性を2人は黙って見詰める。
「昨日……中央区で親子が人質に取られたニュースを見て、
彼らが人間の言葉を話せるということを知りました………。
それなのにどうして彼らはあんな無神経なことが出来るのでしょうか。
同じ言葉を話せるのなら、人の心だって通じ合えるはずなのに……。
どうして分かり合おうとしないのでしょうか……。」
事件そのものよりも被害者達を気に掛ける彼女に巡査部長の女性は肯定する様に頷いて静かに訊ねる。
「確かに、昨日の事件に関しては怪人の明確な敵意よりも目的を優先とした思惑がありました。
少しでも怪人がこちらとの対話に応じてくれれば何か違った結果になったかもしれませんが、
それは我々魔法使いも怪人が地球人であることを知らなかったからです。
先程、ハヤセ・ミズキさんでさえ怪人であるかもしれないと話されていたそうですが、
もし本当に怪人であったと分かった場合、今まで通りハヤセさんを人として受け入れられますか?」
率直な質問にアヤは少し緊張した面持ちでアメリアを見詰めていたが、
自身の話を受け止めた上で質問された彼女はすぐさま肯定する。
「勿論です!
もし本当だったら、地球人としてのハヤセさんとして向き合いたいです。
私にとってハヤセさんはお仕事のパートナーである以前に、友人ですから。
こんな突拍子の無い話でも捜査していただけるのなら確かめてもらいたいです!」
質問側の巡査部長も緊張を解く様に頬を緩ませると、彼女を見て確りと頷いて見せる。
「…………それを聞いて安心しました。
実は捜査の過程でハヤセさんの経歴から見ると、
地球人である可能性が十分にあると考えられています。
つまり……その怪人がハヤセさんであるかもしれないということです。」
その答えに思わずアメリアは「本当ですか!?」と声を上げた。
「それじゃあやっぱり――――ハヤセさんは…………。」
言い切る前に押し黙って、目を伏せた彼女に巡査部長は、
「まだ、そうと決まった訳ではありません。」と呼び掛けると顔を見合わせてから言った。
「その確証を得る為に今、怪人の捕獲を前提とした捜索が行われます。
もしハヤセさんが自分の意思とは関係なく怪人となっていたとして、
本人が社会に復帰する意思があったとした場合……。
今まで通りというのは……やはり難しいと思いますが。
ハヤセさんの状態次第によっては改めて社会生活に戻ることが出来ます。
ですがやはり、周囲の人々が抱いている信用は別の話です。
そこでもしも、そんな状況に陥ってしまった場合。
貴女の様に理解のある人がいたのなら、
彼女も1人の人間として前向きに立ち直ることが出来るのかもしれません。
まだ何の確証もありませんが、どんな結果であれ貴女に理解があることを確認できたことは私達にとって本当に心強いことです。」
彼女の予感していた通りに事態が起こりつつあり、
疑惑が確信に変わりつつある状況に逆に心配をされるアメリア。
「そんな……!それは私の方です!」
慌てた様な素振りで両手を小さく控え目に出して、
「こんな、思い付きみたいな話を真剣に聞いて貰えただけでも話してみて良かったんだ、って思いました。」と付け加える様に言った。
「やっぱり、昨日の事件のことを考えると未だに私の携帯にも連絡は無いのは不安ですし。
このまま何も言わないで事件が終わってしまったら、絶対に後悔するって思いましたので。
だってハヤセさんは自分の好きなことで人を幸せにすることが出来る凄い人ですから!
そんな人が何の理由も無く人に危害を加えようとするとは思えないんです!
だから例え、ハヤセさんが怪人だったとしても私は信じていたいです!」
怪人を信じたいという言葉を主張する様に巡査部長に伝え切るアメリアは言葉の終始にアヤを見て頷きながら口元を緩ませた。
喜怒哀楽を表情に出す素直な女性にアヤは思わず頷いて言った。
「アメリアさんからそう言って貰えたからこそ、ですよ。
私達は、今までの怪人達に何の疑問も抱けないまま事件を解決させなければならなかったことに後悔してきました。
それでも、今まで助けられなかった人達を救うことが出来るのかもしないのなら、迷わず捜査に乗り出せます。」
明るく前向きな姿勢を見せるアメリアに口元を緩ませて微笑むアヤを見て巡査部長は2人を交互に見ながら「そうですね。」と肯定した。
「この後、状況次第に怪人の捜査が行われます。
ハヤセさんの捜索が困難である以上はあの怪人が手掛かりになることは間違えないことです。
ですがその関係上、外は悪天候な上に屋内まで浸水してきています。
安全確保の為にもアメリアさんには暫くの間、
被害者用の支援室がありますのでそちらでお待ち下さい。」
11時11分。メルフィオナ学院付属病院 2階 心療内科 心理療法室
至る所に観葉植物が設置されている心療室を、
暖かみのあるオレンジ色の電球色が照らし出すぼんやりとした静寂の中。
チク……タク……と壁掛け時計の時を刻む音だけが聞こえている。
木製のダイニングテーブルを囲う様に、
布張りの椅子に座るハヤシ・ツトムと久遠彼方が対面する様に向かい合って、
掲げられた青い宝石のブレスレットの光を見詰めていた。
「恐らく君が夢の中で見た黒い炎のようなものは、
精神的に負担を掛けるものとみて間違いないだろうね。」
青く発光する宝石を見詰めながら告げるハヤシは、黒く点滅したネックレスに視線を移して言った。
「このアレセイアという宝石には、人間の欲望や情念に反応して取り込もうとする働きがあるんだ。
つまり、人の感情に反応するから単純に純粋な情念を溜め込めば、
青、赤、紫、ピンクそして最後には白になるんだけれど…。
こんな風に黒く点滅した場合は、
極度のストレス状態に晒されているということなんだ。
これが完全に真っ黒くなって点滅しなくなると、精神的に何らかの障害があると判断しているんだ。
まあ、君の場合はその初期症状といったところだね。」
身体の内部を多方向から検査して診断された結果、
ストレス状態にあると告げられた彼方はどこか安堵した様子で訊ねる。
「初期症状、ということは……。
それなら気持ち次第で治るってことですよね?」
ハヤシは「うん。」と頷きながらも、
補足する様に「でも誤解しないで貰いたいのだけれどね。」と続けて言う。
「もう聞いていると思うけれどこの世界では心を守らなくちゃいけないから、
心の健康状態が身体への負担や病気に繋がることを提唱しているんだ。
心の傷って治らないから、この病院にもそういう患者さんは多いんだ。」
心の傷を抱えること自体が一種の怪我や病気である。
この異世界スフィアにおいてその重大さを伝える彼は、
心よりも命を優先する価値観の強い地球人に対して、
大袈裟ながらも至って真面目な顔つきで説明する。
その重大さを諭さなくてはならないからだ。
「君の記憶の中での出来事を鑑みて、
特に蜘蛛の怪人と争ったことによる精神的な苦痛が一番大きいのだろうね。
要は環境の変化による悩み事が積み重なったことで心境の変化が生じたということだね。」
精神的な苦痛や不安によるもの。
黒く点滅する宝石の光を眺めながら説明するハヤシに対して、彼方も同じように宝石に視線を送る。
「…………。」
蜘蛛の怪人。
その呼称を聞いた彼の脳裏には怪人を押し倒した光景が目に浮かんだ。
「………それは……今でも思うところはあります……。」
赤く染まった両手には蜘蛛怪人の血が流れ、
彼はそれを見てどうすれば良いのかと震えていた。
そこで待って下さいと呼び止めた宝石の少女。
地球人の貴方にそこまでさせる訳にはいきません。
そう言った彼女もまた涙を流し、身体を震わせる。
どうしようもなく、遣る瀬無いやりとりが脳裏に焼きつけているのだ。
「確かに……、悩み事と言えばそうなのかもしれません。」
そんな彼は思わず目を伏せて「でもあの後、俺は……。」と、
今にも吐き出してしまいそうな言葉を飲み込んだ。
何故ならば彼はその真逆の選択をとったからだ。
「選んだんです。あの怪人を……、あの人を……!
殺すことを、決心していました。」
ゆっくりと顔をあげて正直に彼は悩みや迷いを捨てたことを打ち明かす。
だが、その事実を知っている上でハヤシは、
三角帽子を深く被りながら「……うん。」と静かに頷いて言った。
「でも……、それは君に限った話じゃないんだ。
……君は魔法使いのアヤさんに助けられたと言っていたけれど、
彼女も怪人と戦って迷っていたよね?」
迷っていた。
その魔法使いの少女もまた1人の人間として躊躇していた。
心ある人間として当然の行動に彼方は当たり前だと主張せずに、
ただ質問に対して素直に「……はい。」と遅れた返事をする。
その躊躇いがちの返事にハヤシは再び頷いて淡々と語る。
「彼女の場合……アレセイアの兵器を改良したベルトの適格者でありながら、
その前にも何度か蜘蛛の怪人を殺すことができずに逃がしてしまっているんだ。
それでも僕たちはそのせいで被害が拡大した……とか責めたりはしないし、
彼女から魔法使いとして戦う力を取り上げようとはしないんだね。
何故なら僕たち魔法使いは深く思い悩むことが出来る人達をあえて選んでいるからなんだ。」
思わず彼方は首を傾げて「あえて……?」と疑念を抱いて呟くと、
「どうして、そんなことを……?」と戸惑いに言葉を詰まらせる。
「確かに……怪人の正体が同じ人間だったと言われれば誰だって戸惑います。
でも、例えどんなことでも普通は決断力のある人を選ぶと思うのですが……。」
地球人である彼にとって迷うということはそういうことなのだ。
決断力のない人間はあらゆる組織において社会的に卑下されて、淘汰される。
それは欠陥であり、将来的な支障となりかねない不良で不要な邪魔者なのだ。
成果主義の地球ではその認識は間違いではないことを知っているハヤシは、
「うん……。地球だと、普通ならそうだよね。」と肯定的に頷く。
「例えばちょっと、意地悪な例え方をするけれど……。
もしも君が蜘蛛の怪人に対して……あのまま、
自分は正義で相手は悪だから戦うんだ、と主張して暴力を正当化すればどうだったかな?」
思わず彼方はその言葉に目を見開いて「えっ……?」と声を洩らした。
心を傷付けてはいけない異世界人から思いも寄らぬ残酷な問い掛けに目を疑ったのだ。
「そうやって理由があれば何も考えずに迷うことなく戦えたとして……。
結果さえ良ければそれで良いし、何も悩まずに暴力を振るうことが正しい事だと思うかい?」
まるで先を見据える様な質問とハヤシの吸い込まれる様な眼差しに、彼方は「思いません。」とはっきりと答える。
「だって……暴力を正当化するようになれば、
人の心や感情なんて必要無くなってしまうじゃないですか。
それはこの世界にとって真逆なことですよね?
魔法使いの人達がそういう意味で戦っている訳じゃないことは分かります。」
その言葉を耳にしたハヤシは三角帽子のつばを上げると、
「そうだね。その通りだよ。」と頬を緩ませて頷く。
「この世界の人はいくら洗脳されているとは言っても、
心を守る為ならどんな手段だって選ばないこともあるんだ。
例えばもし昨日、君が助けたあの男の子が躊躇なく暴力を振るう姿を見て、
悪い人をやっつける正義の味方だと憧れてしまったらどうかな。
悪い人には徹底的に暴力を振るって殺しても良いと思ったかもしれないよね?
でも……そんなものに憧れさせちゃいけないから、
暴力を使う人が暴力を悪いものだと自覚しながら使える人じゃないと絶対に駄目なんだ。」
「………だからあえて、魔法使いの人達には悩んだり考えてもらう必要があるってことですよね?
暴力を振るわない人にも正当化させない為に……。」
「そう。現実問題として暴力は暴力でしか解決できないからこそ正当化しちゃいけないんだ。
つまり、魔法使いは悩むことや考えることで人間の良心を持ち続けられる人じゃないといけないんだよ。
重要なのは結果よりも考える過程の方が大事だということだね。
それは僕ら科学者も同じで…科学の力で便利な道具を生み出すということは、
便利になった分だけ悩んだり、考える必要なくなるってことなんだ。」
つまり科学で物が便利になるということは、人間から思考能力を奪うことなのだ。
それは使えば使うほどドーパミンが分泌され、中毒症状を引き起こすように。
1日に必要な集中力と行動力を同時に奪うことで、
彼らの人生という限られた時間と将来的な可能性さえも奪うのだ。
しかしながらそんなことですら知る由もなく、
その恩恵を常に受けてきた彼は科学の否定と暴力との同義に疑念を抱く。
「悩んだり、考える必要がない……?」
「うん。そもそも何故こんな話までするのかと言えば、
昨日の一件で魔法使い側から敵意のある怪人に射殺命令を出されているんだ。
勿論それを使う魔法使いも同じで戦う人も武器が便利になる分だけ、
怪人に暴力を振るうことに悩む必要がなくなるんだ。
特に科学は人から仕事を奪ったり、人が生活する環境を壊すことも出来るからね。
科学兵器を使えば簡単に人を苦しめることが出来るし、簡単に人を殺すことも出来る。
例えそれで人の命を守れても、人の心を救うことは出来ないんだ。
科学も暴力も使えば使う分だけ誰がか不幸になるからね。」
そんなこと考えていればきりがない。
正常な地球人ならばそう答える筈だろう。
何故ならば弱肉強食こそが世の理なのだ。
戦場において殺される前に殺すなど世の常。
如何なる戦いにおいて心や感情など必要ない。
奪い合い、競い合いの世界で心や感情を優先するなど愚か者だ。
しかし、ここは心と感情を優先する異世界スフィア。
例え目の前の久遠彼方と言う少年が無欲で愚鈍な人間であったとしても、
その相対する価値観の違いを理解して貰う必要があるのだ。
「彼らはそんな科学の引き金1つで簡単に暴力を振るうことが出来るんだ。
そこで悩んだり考えたりする為にある筈の人の心が無くなってしまったら、
自分が暴力を振るっているという実感すら湧かなくなるんだよ。
だから君も蜘蛛の怪人のことで悩んでいる。
それは暴力でしか解決しようがないからだよね。
それでも決して暴力や科学を正当化してはいけないし、
何か理由を付けて開き直ってもいけないのは、
僕ら魔法使いにとっても同じことなんだよ。」
暴力と科学。
異世界スフィアにおいて、
この理不尽と不条理という適者生存の暴走を止めなくてはならない。
ましてや人間が齎す適者生存など嘘の一人歩きでしかない。
その言葉を隠れ蓑に一方的な弱肉強食というルールの下に、
暴力と科学を正当化して理屈を捻じ曲げただけのまやかしなのだ。
子供がごっご遊びで一方的なルールを創る様な都合の良い出鱈目でしかない。
自然と動物を滅ぼし、人間が人間と競争という名の殺し合いをするのなら、
人間には心や感情などいらない。
科学崇拝者たる盲目の地球人たちは人類の進化と発展の為と豪語し、
人間ではなく科学物質を愛でることを何ら疑問を抱かなかったのだ。
例えそれが自分たちには日常的に全く恩恵の無いことでも、
犠牲のない進化などないという妄言を信じて何ら罪の無い人間を生贄に捧げて続けてきたのだ。
そうして暴力と科学を肯定した愚かな地球人たちは滅ぼされ、縮小されてしまった。
それはこの異世界スフィアがかつては同じ歴史を辿ったから言えることなのである。
彼ら異世界人は2度とその様な心無き独裁者の為にある世界秩序を創ってはならない。
「カナタ君。問題を先送りにするということは、現状を受け入れているということなんだよ。
それじゃあ同じ過ちを永遠と繰り返すだけなんだ。
人が自由や平等の中で生きるということは何もしないということじゃないんだ。」
その恐るべき狂気に染まった史実を知っている異世界スフィアの人間達は、
決して同じ過ちを繰り返させてはならない。
もう彼らは科学という玩具の為に身の回りが見えなくなる子どもではないのだ。
「人が平和でいられる仕組みを守らなくちゃいけないんだよ。
それを守る為には人の心が正しくなくちゃいけなんだ。」
完璧な結果と成果を追求し続ける科学技術に心や感情を必要しないように。
人間という不完全な自意識を宿す存在を必要としない世界では、
人が平等な権利を主張することは根本的に不可能なのだから。
それを伝え、彼に考えさせる為にハヤシは悩むことの重要性を説くのだった。
11時20分。中央魔法署 魔法犯罪対策本部。
「今回の怪人には敵意がなかったんですよね……?」
経過報告を書きつつ本部で待機するアヤ・アガペーに対して、隣の椅子に座る若い女性はそう訊ねた。
「はい。確証はないのですが……。
少なくとも、敵意は感じられなかったと判断しました。」
顔を上げて頷くアヤは女性に返事をする。
すると今度は3つ隣の席でノートパソコンを広げる眼鏡を掛けた男性は、
「それが最善だったと思いますよ。」と2人の会話に入る。
「同行者の方は怪人に遭遇しただけで、襲われた訳じゃありませんからね。
昨日の怪人みたいに地球人だったとしても、無差別に人を傷付けているとは限りませんし……。
何より、攻撃してきた方の第2の存在の方が危険ですよ。
その後、現場で何者が交戦した形跡と、
彼らの持ち物と思われる遺留品が見つかったと連絡が入りましたからね。」
捜査開始から約1時間弱。
度々行方を晦ませる怪人達に翻弄される彼らは、
進展しない地道な捜査とそれらを阻む悪天候にただただ焦燥感に駆られていた。
ある者たちはホワイトボードに張り出した地図に線と時刻を書き出しては議論をし、
またある者たちは席から離れた場所から通信機器を用いて連絡を取り合っている。
難航した捜査によって魔法使い達の集中力も切れてきた頃合いだった。
手の打ちようのない受け身の状況に痺れを切らした男性は彼女らの話を聞いて、
ホワイトボードから視線を外すと歩み寄りながら言う。
「でも、行方不明者の知人を見て何故そんな不自然な行動をとったんだろう……。
仮に本当に正体が地球人だとして昨日の怪人の様な手段をとってなくとも、
地球を平和にする為に来た人間なら人を襲う目的は変わらないんじゃないのかな……?」
根本的な動機を追及する発言に他の人々も視線を集め始めると、
コの字に並べられた長机を囲う様に各々が発言をする。
「確かに……被害現場では既にハヤセ・ミズキは行方不明で、
怪人の鱗だけが残されていた訳だし……。
昨日の怪人みたいに怪人が被害者を襲った……。
あるいは攫ったのなら説明はつきそうだ……。」
疑念が恐怖や不安に変わる時、
人は身を守る為に真相を探ることを忘れてしまう。
「……………。」
だが、彼らは人々の心を守る魔法使いだ。
正直者の彼らにとって沈黙は雄弁ではない。
それでも。捜査の過程で憶測が過ぎることがあったとしても。
断定することも出来ず、最終的には起こってしまった事象で判断するしかない。
しかしそれは、彼らにとって受け入れがたい酷な現実が待っている。
集団射撃による徹底した殺戮が守るべき民衆に暴力の恐怖を植え付けて、
心や感情を持つ怪人の痛みに悶え苦しむ矛盾した結末が。
暴力という変えられぬ現実に静寂が訪れた、その時。
「……いつも通りの事件ならそうですよね。」
アヤの向かい側の席で資料を眺めていた前髪を真ん中で分けた女性。
蜘蛛怪人の一件で少年カズラを現場から救出したモモカが押し黙る彼らに言った。
「でも……そもそも水の中から出てくるような怪人が、
何でわざわざ陸に上がる必要があったのでしょうか?
それに今まで水路を巡回していたのに何故また同じ事件現場に現れたのか……。
何となく行動や目的に意味があるように思えます。」
その声に一同が外していた視線を向けると、
モモカは頷いて見渡すと向かい側の席に座るアヤを見て言う。
「少なくとも昨日の……。
アヤさんが蜘蛛の怪人と接触した記憶の映像を見て、
彼らに対しての接し方を……私達が変えていかなくちゃいけないんだと、そう……思ったんです。」
闇雲に受け入れるのではなく、自分たちが受け止め方を変えなくてはいけない。
彼女の訴え掛けるようなその意見に気付きを得て、
目を見開いていたアヤは曇っていた表情から真剣な顔つきに整える。
彼女は地球人である怪人達を見て、聞いた立場なのだ。
蜘蛛の怪人の慟哭を。白い怪人の青臭い人間味を。
彼らには彼らなりの願いがあることを知っている。
それを同じ人間として対等な立場を目指す為に、
一同に注目される彼女も見渡しながら言うのだった。
「……私達、魔法使いの役割は人の心を守ることです。
だから……この世界の洗脳されていたことも。怪人や地球人のことも。
何も知らない私達だからこそ、
時には怪人を信じることが今の魔法使いには必要なんだと思います。
昨日、白い怪人が私達に協力してくれたように。
少なくとも私は……!怪人と戦うのではなく、人を助けてみたいです!」
そんな彼女の真摯な意見に一同は頷き、
隣の若い女性は「そうですよ。その通りです!」と笑みを浮かべて肩に手を置いた。
「それが私達、魔法使いの本分じゃないですか!
頑張りましょう。まだ何も分かっていないんですから!」
お互いに顔を見合わせる仲間達から疎らに励ましの声が広がった。
「皆、聞いてくれ。」
悩み、考える彼らの不安や焦りが振り払われた時、今度は場の空気を一変させる声が聞こえてきた。
声の主は警部のヒイラギだった。
本部の扉から資料を掲げながら全体を見渡しながら入室していく。
「街に掛かった濃霧についての原因が分かった。」
その場にいる捜査員が忙しなく一斉に集まり始めると彼は資料を渡しながら、
「例の怪人の鱗を分析した結果、あらゆる水分を操作する能力があることが分かった。」と説明を始めた。
「鱗には水分を自在に誘引する性質があって、
それを魔法の力で怪人自身に引き寄せることが出来るなら、
理論上大気中の水分を思うように操作することも可能らしい。」
手前に立つ男性は「……怪人はそれを利用して霧を引き起こしているということですか?」と率直に質問をするとヒイラギは頷きながら持って来た資料を広げて見せた。
「そうだ。街の濃霧に関しては気象庁の観測によると、本来の予報では雨が降ることになっていたらしい。
だが、今日の0時以降から空気中の水分が海面に移動して、大気が急速に暖められている。
その大気中で暖まった湿度の高い空気が、街の水路と海面に接して移流霧を生み出している事が分かった。」
彼が見せる資料の地図とグラフには、
昨夜から街の水路をぐるぐると周回するような気温や湿度の変化が表記されている。
そしてその地図とグラフの下に詳細に記された街の水路の経路図と、
住民から寄せられた目撃情報によるある地点を時刻ごとに照合した図を見せる。
「そしてこれがさっきまで港や乗船場で起きていた不審な波や水流の時刻と、
移流霧が発生した流れを時間ごとに示した地図だ。」
それは濃霧が発生してから水路に起きた異変に通報された時刻と、
湿度が急激に変化した地点が一致している図だった。
質問した男性は思わず「そうか……!」と声を上げて確認する様に言う。
「事件現場で通報を受けてから今朝の8時42分から9時57分まで、
東区から発生していた不審な波や水流の時刻と一致している…!
つまり、怪人は水路を周回しながら街全体に霧を作っていたということ……!」
「そうだ。
そしてこの気温と湿度の変化が途絶えた場所は、事件現場のスタードロップ。
時刻が10時31分以降。
行方不明者の知人が通報してから、
アヤが怪人と遭遇する地点で途絶えているということだ。
それなら気象の変化を追えば確実に魚の怪人を止めることが出来る筈だ。」
説明を終えて資料から顔を上げたヒイラギは、全体を見渡しながら改めて指示を出す。
「あの周辺の警戒はいったん所轄に任せて、俺達は本部で対策を練ることに成った。
これ以上、闇雲に出動しても振り回されるだけだからな。
本部長にも各メディアを通じて水害による避難勧告を発令して貰っている。
総員、集まり次第すぐにでも会議を開けるように準備を整えてくれ。」
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